5.新人メイド襲来
翌朝、私はヴォルゴ宮殿の一室で目を覚ます。
「おはようございます、ロミア様。お加減は変わりありませんか?」
「おはようございます、フェルさん。こんなに心地良いお部屋でゆっくり休ませて頂いたので、とても良く眠れました」
部屋まで起こしに来てくれたフェルさんにそう告げると、彼女はほんの少し間を置いてこう言った。
「……それは安心致しました。目覚めの紅茶をご用意して参りますので、その間に身支度を整えさせて頂きますね。ですが本日はその前に、ロミア様にご紹介させて頂きたい者がおります。……エリザ、お入りなさい」
フェルさんに呼ばれて部屋に入って来たのは、若い少女だった。
年頃は十代……カミラと同じぐらいだろうか。
「さあエリザ、ロミア様にご挨拶をなさい」
「お初にお目に掛かります、メイド見習いのエリザと申します! まだまだ至らない所だらけでどうしようもない新参者ではございますが、もしも何かやらかしちゃっても……そ、そこはどうかご愛嬌という事で、ぜひ目を瞑って頂ければと……!」
元気に挨拶をしてくれたエリザと名乗った女の子は、フェルさんより少しシンプルな黒いメイド服に身を包んでいた。
フェルさんと同じ黒髪をしていて、それを頭の後ろでお団子にして纏めている。
……あと、かなり個性的な子であるらしい。
彼女を紹介してくれたフェルさんはというと、眉間にしわを寄せて、エリザさんを冷徹な目で見下ろしていた。
「エリザ……あなたという子は、本当にどうしてこのような……」
「えっ、ええっ!? あ、あたし、何か変な事やっちゃってました!?」
「……存在丸ごと全てが変ですよ、あなたは」
「ひっどーい! こんな可愛い女の子にそんな事言うなんてーっ!」
「そうやって無闇に叫ぶのを止めなさいと、あと何度繰り返し言い聞かせれば学習するのですか……? いい加減、その口を縫い合わせてやらねばなりませんか……?」
「ヤダヤダ〜っ! 師匠ったらもう、そんな物騒な事言わないで下さいよー!!」
……ほんの少ししか彼女達のやり取りを見ていないけれど、確信した。
フェルさんは絶対、この子に手を焼いている。
そして同じ職場で働く弟さんであるゼル先生とも、いつもこんな感じなのだろうな……と。
「あっ、そうだ! えっと、これからロミア様のお着替えや入浴のお手伝いは、このエリザが担当させて頂く事になったらしいです! 本日からどうぞよろしくお願いしまーっす!」
「よ、よろしくね、エリザさん。ええと……」
物凄い勢いでお辞儀をするエリザさんを見て、フェルさんが深い溜め息を吐く。
私はそんなフェルさんの様子を見て、ひとまず彼女をエリザさんから遠ざけてあげた方が良いのではないかと直感した。
「……フェルさん、お水を貰っても良いですか? それとエリザさんも、早速ですが着替えを用意してもらえると助かるんですけど……」
私服なんて持って来ていないから、今着ているのは昨晩フェルさんが部屋に置いてくれていた寝巻きだった。
他に持っている服といえば、公爵家のパーティーで着ていた借り物のドレスぐらいだし……。
それも今はこの部屋には無いみたいだったからさ、流石に寝巻きのまま宮殿内を徘徊するわけにもいかないからね。
私が二人にそれぞれお願いを伝えると、エリザさんは嬉しそうに瞳を輝かせる。
「はーいっ! 師匠直伝のお着替え術で、このエリザがロミア様をパーフェクトなレディに仕上げちゃいますねっ!」
「えっ、いや、着替えを持って来てもらうだけで大丈夫なんですけど……!」
「遠慮しないでくださいよぉ〜! それにあたしの事は、エリザって呼び捨てにして下さって全然大丈夫なんで!」
朝から騒々しい私とエリザ──呼び捨てにしてほしいなら、そうするしかないのかな──のやり取りを、フェルさんはどこか諦観を浮かべた表情をしていた。
「……色々と言いたい事はありますが、わたくしはお茶の用意をして参りますので、一旦失礼させて頂きます。エリザ……くれぐれも、ロミア様にご迷惑をお掛けしないように」
「分かってますって〜師匠っ! 何と言ったって、あたしは師匠の一番弟子なんですから!」
行ってらっしゃーい、とブンブン手を振ってフェルさんを送り出すエリザ。
私も思わず彼女に釣られて手を振ってしまって、それを見たフェルさんが、数秒間手で顔を覆っていた。
……ごめんなさい、フェルさん。
エリザの不思議な魅力に、初対面で飲み込まれてしまった私の負けです。
フェルさんがお茶を用意しに向かった後、エリザはワクワクした顔で私の方に振り返る。
「それではロミア様ぁ……。朝のお着替えタイム、行っちゃいましょー! おーっ!!」
高らかに右手を天に突き上げるエリザに、私は困ったように笑うしかなかった。
フェルさん……なるべく早く戻って来て下さいね……!
*
フェルさんの一番弟子を自称するメイド見習いのエリザは、びっくりするほど元気すぎる女の子だった。
そんな彼女と私を残してお茶の支度をしに行ったフェルさんは、私に何か失礼な事をしてしまわないかどうか、とても心配そうにしていた。
実は、私もちょっぴり不安だったのだけれど……。
エリザはまるで見習いとは思えないほど、テキパキとお化粧とヘアセットを終わらせてくれたのだった。
パーティー向けのようなメイクではなく、あっさりとしたお化粧にしてもらったから、そう時間は掛からなかった。
途中でティーセットを運んできてくれたフェルさんにお礼を言ってから、一度紅茶を飲んで一息付いて……。
それから改めて、今度はフェルさんも見守る中でエリザに髪を纏めてもらった。
「はいっ、出来ましたよ〜ロミア様っ!」
エリザは私の髪を後ろでゆったりとした三つ編みにしてくれて、綺麗な紫色のリボンで纏めてくれた。
ドレッサーの鏡越しに、ウズウズとした表情のエリザが手鏡を持って私に後ろ姿が見えるように反射させながら、こちらを見詰めている。
「ど、どうですか!? かなり上手く三つ編みに出来たと思うんですけど……!」
「エリザは手先が器用なんだね。自分じゃこんなの難しすぎて、絶対に出来ない……!」
「きゃ〜っ! お褒めの言葉、頂戴しちゃいました〜!!」
私が素直に感想を伝えると、エリザは嬉しそうに頬を染めながら、身体をもじもじとさせて喜んでくれた。
どうやら彼女がフェルさんの一番弟子という言葉に、間違いは無いのだろう。
すると、さっきまで無言を貫いていたフェルさんが、
「……まあ、悪くはないですね。このリボンの色も、ロミア様の髪色に映えていますし……ね」
と、ちょっとぶっきらぼうにエリザの事を褒めたのである。
それを聞いた途端、エリザはまるで山ほどプレゼントを貰った子供のように、瞳をキラキラとさせ始めた。
「わ〜っ! 師匠があたしの仕事を褒めるだなんて! 今日は雪だけじゃなく、空から剣の雨が降って来るんじゃないですか!?」
「……あなたが調子に乗ると、騒がしくて敵いません。あなたにはもっと、ヴォルゴ宮殿のメイドに相応しい節度というものを身に付けてもらわなければなりませんね」
「はーい、ごめんなさい師匠ー!」
「『はい』は伸ばさない!」
「はい、師匠ー!」
……このやり取り、もしかして毎日やっているんじゃなかろうか?
何となくでしかないのだけれど、無性にそんな気がしてならないわ……。
「エリザには後ほど、追加で教育を施すとして……。ロミア様。本日は朝食の後、魔術師団長のゲラート様から面会の申し出がございます」
ゲラートさんというと、昨日謁見の間で会った人だね。
「お着替えが済んだ頃合いに、お部屋へ朝食をお持ち致します。その後、ロミア様がよろしければ魔術塔へご案内させて頂きたく思いますが……如何でしょうか?」
「その魔術塔という場所に、ゲラートさんがいらっしゃるんですか?」
「はい。魔術塔は宮殿の西側にございます。そちらが魔術師団の皆様が、日々様々な研究や物品の開発を行う施設となっております」
昨日のゲラートさんのお話では、彼の一族が加護を識別する判定石を作り出したという事だった。
彼が私に面会を申し出たのは、もしかしたらその事だったり……?
……って、そんな事あるはずないか。
私は魔力自体はあるけど、何の加護も得られなかった属性無しなんだから。
……気を取り直して。
魔術塔の中を見られるなら、喜んで見学させてもらいたいわね!
魔法にはほとんど触れてこない人生だったし、珍しい魔道具とか見せてもらえたりしないかな、と期待で胸が膨らんでしまう。
「私も是非ゲラートさんにお会いしたいです!」
「では、そのようにゲラート様にお返事を申し上げて参りますね」
そしてフェルさんは、優美さを感じさせる流麗な動作で礼をしてから、速やかに部屋を出て行った。
それからエリザに着替えを手伝ってもらい、リボンの色に合わせた上品な長袖のワンピースを着る事になった。
最初は誰かに着替えを手伝ってもらうのに抵抗があったから、一人で着ようとしたのだけれど……。
「お着替えの補助も、メイド修行の一環なので!」
と力説されてしまうと、断り切れなかったのよね。
袖の部分はレースで小さな花があしらわれていて、スカート部分は落ち着いた紫色。
ワンピースに使われている布地は、とても良い手触りをしている。作りもしっかりしているし、どう見ても高級品な雰囲気が漂っていた。
……こんなに立派なお洋服、本当に私なんかが着させてもらって良いのかな?
そしてエリザの話によると、宮殿の中は寒さに強い造りになっているらしい。
なので、半袖のような薄着でなければ過ごしやすいように工夫されているのだとか。
……とはいえ、夜眠る時は暖炉を使わないと、流石に厳しい寒さなのだけれど。
それから、魔術塔までの移動中には上着を着ていった方が良いだろうと、エリザがアドバイスをしてくれた。
朝食を済ませた後は、エリザに案内してもらいながら宮殿内を歩いていった。
この後、魔術師団長のゲラートさんにお会いする為だ。
帝国は常に雪が降る地域だから、魔術塔までの経路も屋内にあった。
吹雪のせいで道が塞がってしまわないよう、配慮されているそうだ。
「どこもかしこも雪ばかりの土地だと、普通に生活するにも苦労が多そうね」
少し先を歩いて案内してくれているエリザに話し掛けると、彼女は快く質問に答えてくれた。
「昔はそのせいで食糧難になって、かなり大変だったみたいですねー」
「今は大丈夫なの?」
「はい! 魔術師団の方々が色々と頑張って研究して、室内で野菜や果物が育てられるような施設が出来たんです! それのお陰で、食糧の輸入が追い付かなくても、意外となんとかなるようになったんですよ!」
「室内で作物を……? そんな素晴らしい技術があるの!?」
「えーっと……詳しい事は、あたしじゃ全然分からないからアレなんですけど……。ゲラートさんはすっごい人ですから、質問したら答えて下さると思いますよ!」
フェルさんから預かった手鏡の魔道具もそうだけれど、帝国の魔術師団ってとんでもない人達の集まりだったりする……?
……室内で作物を育てようだなんて発想が飛び出すぐらいなんだから、そりゃあとんでもない才能を持った人達に決まってるか! 自己解決!
室内で色々なものが育てられるなら、食べ物になる植物を育てる以外にも使えるわよね。
それに雨は勿論、そこまで害虫の心配をしなくても良くなるかも。人目だって気にしなくて済むだろうし……。
商会に居た頃は、家の庭にちょっとしたハーブ畑を作ってたのよね。
それが雪国でも問題無く出来るのなら、素晴らしい事は間違い無し!
……でも私、今はそんな呑気な事を考えてる場合じゃないわよね。
私はあくまでもシルリス王国の人間であって、いつまでもジュリウス陛下のお世話になってばかりではいられない。
無事にレドとの婚約破棄が成立したら、なるべく早いうちに自立して生きていけるよう、何か仕事を見付けないといけないもんね。
天国の父さんと母さんを、早く安心させてあげないと……。
「あっ、見えてきましたよ! あれが魔術塔に続く扉ですよ、ロミア様!」
「うわ、凄い雰囲気ある塔だ……! 他にもお仕事あるだろうに、ここまで案内してくれてありがとうね」
「いえいえー、これがあたしのお仕事ですからね! こんなの朝飯前ですよっ!」
「ふふっ。もし今ここにフェルが居たら『今日はもう朝食は済ませたでしょう?』なんて言われそうだね」
「うわー、本当にそう言われそうですね……」
自信満々に胸を張ったり、フェルさんからのお小言を想像してげんなりするエリザは、面白い程にコロコロと表情が変わる。
……そんな彼女のお陰で、少し気分が明るくなったような気がした。
「それではロミア様、お部屋に戻られたい時は魔道具で師匠に……えっと、フェル様をお呼び下さいね! すぐにお迎えに来てもらえるはずですから! ではでは、どうぞお気を付けて!」
「うん、ありがとう。また後でね、エリザ」
いつまでも落ち込んでばかりじゃいられない。
せっかくの機会なんだし、私でも働けるような職場がないかゲラートさんに相談してみようかな?




