2.鏡合わせ
飛空艇が地上から離れた後、私はジュリウス陛下に勧められて、窓の外から見える景色を眺めた。
そして、窓の外一面に広がる白の世界に感動した──ところまでは覚えているのだけれど、その後の記憶が無いのだ。
気が付いたら私は、見知らぬ部屋の天井を眺めていた。
「ここは……?」
ゆっくりと身体を起こすと、どうやら私はベッドに寝かされていたというのが分かった。
周囲には私の寝ていたベッドだけではなく、他にもいくつものベッドが置かれている。寝室……というには、何だか違う気がする。
「ああ、気が付かれましたか」
声のした方に顔を向ければ、そこには白衣を着て髪を結いたフェルさんが居た。
「フェルさん……私、飛空艇の窓から外の景色を見た後から、何も覚えていなくて……」
ベッドの側までやって来たフェルさんは、片方の口角だけを上げて小さく笑った。
何だか、今朝までのフェルさんの笑い方と違うような……?
彼女、こんな風にキザっぽい笑い方はしなかったと思うし。
「……ぼくはフェルじゃありませんよ」
「えっ……? でも貴女、服装や髪型は違うけれど、どう見てもフェルさんと同じ顔をしていると思うんですが……?」
目覚めたばかりの頭が大混乱しているところに、目の前の人物は更にとんでもない発言を投下した。
「フェルとぼくは、双子なものでね。ぼくが弟の方、ゼルナンド。どうぞ気軽に、ゼル先生と呼んでもらえば良いですよ。ふふっ、驚きました?」
そう言ってフェルさんとそっくりの顔で、悪戯っぽい意地悪そうな笑みをこちらに向けて来る。
「フェルとレオから聞いたけど、どうやらきみは窓の外を見た途端に倒れてしまったそうだよ? ここに運び込まれた後に一応診せてもらったから、今はもう大丈夫だろうね」
フェルさんの双子の弟、ゼルナンドと名乗った長い黒髪を束ねた彼──ゼルナンド先生は、戸惑う私を見下ろしていた。
「ゼルナンド先生……もしかして、貴方はお医者様なのですか?」
「まあ医者っていうか、正確には治癒術師だね。あと、やっぱり長いからゼル先生で良いよ?」
「そ、それじゃあお言葉に甘えて……」
という事は、ここは病院……? だからベッドがこんなに沢山あるのかしら。
ゼル先生は続けて言う。
「ぼくは帝国所属の宮廷治癒術師なんですよ。きみ、極度に高い所が苦手だったりする?」
「た、高い所……? ……あっ!」
彼にそう言われて、思い出した。
飛空艇で窓の外の景色を見ていた時、私はふと「こんな所から落ちたら、ただでは済まないんじゃ……?」という想像が頭をよぎってしまったのだ。
そうして私は、急に気が遠くなって……気を失ってしまったのだろう。
「心当たり、あったみたいですね?」
「……は、はい。お恥ずかしい話ですが……」
「これまで滅多に高所に行く機会が無かったから、自分が高所恐怖症だとは気付けなかったんでしょうね。……まあ、気絶するほど苦手な人は珍しいケースだけどさ」
「ご、ご迷惑をお掛けしました……!」
「迷惑なんかじゃないさ! 久々に良いものが見られたし……ね?」
「良いもの、ですか?」
「ええ、そりゃあもう! あのジュリウス陛下が血相を変えて、きみを抱えてここに飛び込んで来たもんでね。フェルもかなり取り乱して、 ぼくに連絡寄越して来てさ、ビックリしたよ! それに陛下のあんな真っ青な顔、そうそう拝めるもんじゃないからさ〜!」
ゼル先生は本当に楽しそうに笑っているけれど、双子同士でも雰囲気は全然違っている。
……それにしても、陛下はそんなに必死に私を運び込んで下さったのね。
……いや、一国の皇帝陛下にそんな事をさせちゃったとか、私大丈夫なの??
不敬罪とかで罰せられたりしませんか!?
その時は勿論、心配してくれてる陛下を笑ってたゼル先生も道連れでね!!
「……とりあえず、ヴィルザード帝国へようこそロミア様。体調に問題無いようなら、軽食でも済ませてから陛下への謁見をお願い出来るかな?」
「はい、問題ありません」
「それじゃあ、ここで少し待ってて下さいね。きみが目覚めたって連絡しないといけないですから」
すぐに戻りますよ、と言い残してゼル先生は部屋を出て行く。
彼が戻って来るまで、私は窓の外に見える景色に目を向けていた。
王国領ではあまり雪が積もらないけれど、外には真っ白な雪景色が広がっている。
私……本当に異国の地に来ているのね。
*
病室を出て行ったゼルナンドは、コツコツと靴音を鳴らしながら廊下を歩いていく。
一面の雪に囲まれた、帝都ローディア。
その中でも一際荘厳で歴史のあるヴォルゴ宮殿は、地上二階、地下三階建ての規模を誇る。
ゼルナンドは双子の片割れであるフェルの待つ部屋へ向かいながら、ぽつりと呟いた。
「……あの子からちょっと妙な魔力反応を感じだけど、何なんだろ。とにかく、このままどうか幸せになれると良いけどな。彼女も……それにジュリウス陛下もさ」
彼の吐露した本心は、自身の靴音に掻き消されていった。
*
それからすぐにゼル先生が戻って来た。それに、彼の双子のフェルさんも一緒だった。
「ロミア様、お加減は本当に問題ありませんか!?」
「大丈夫だって言ってんだろ、フェル。このぼくの診察が信用出来ないってのか?」
「あなたには聞いていません! ロミア様にお聞きしているのです!!」
わぁ……フェルさんって、こんな風に怒鳴る事もあるのね。
彼女のこの取り乱した様子を見る限り、ゼル先生が言っていたのは事実だったんだわ。
「心配しないで下さい、フェルさん! 私はもう平気ですよ。ほら、こんなに元気ですからっ!」
言いながら、私はベッドから立ち上がって笑顔を向けた。
「……あなた様が、そう仰るのであれば。ですがロミア様、もしもほんの少しでも体調が悪くなるようでしたら、すぐにわたくしをお呼び下さいね? 例の手鏡、まだ肌身離さずお待ちですか?」
「ええ、ちゃんと携帯してますよ」
そう答えた私の言葉を受けて、フェルさんははにかむように笑った。
……やっぱり、フェルの笑い方は花が綻ぶように綺麗だわ。
彼女の双子の弟、ゼル先生の方は何というか……。
こうして姉弟で並んでいると、同じ顔をした天使と悪魔を見ているようなのよね。
ゼル先生が悪人だと言いたい訳ではないのよ? あくまでも、雰囲気の話だから。
……陛下の事は笑ってたけど、ね!!
「ほらほらフェル、こんな所でいつまでも立ち話してるつもりかい? 陛下をお待たせしてるんだから、そろそろ行った方が良いんじゃないの?」
「……それもそうですね。ゼルに指摘されたのは一生の不覚ですが、陛下の御前へ参りましょう」
「……あの、もしかしてなんですけど。フェルさんとゼル先生は、仲が悪いんでしょうか?」
私が二人に尋ねると、
「フェルと仲は良いと思うけど?」
「ゼルと仲は良くありませんよ」
と、全く同じタイミングで断言してきた。
二人の仲が実際どうなのかはさておき、フェルさんとゼル先生は息の合った双子だという事だけは、間違いなさそうだ。




