1.異国の海と空
帝国の軍船は、一般的な大型船よりも速いのだという。
その中でも最新鋭だという船で向かうのだから、通常ならば三日は掛かるという航路を一日で突き進んで行くらしい。
とはいえ、船上で夜を越すので寝る場所が必要になる。
ここで一旦、騎士団長のレオールさんとは別れるらしい。
「フェル」
ジュリウス陛下の短い呼び掛けに、レオールさんと入れ違うようにして甲板に姿を現した人物が居た。
「お呼びでしょうか、陛下」
少しハスキーだけれど、耳に残る心地良い落ち着いた声。
頭にはメイドさんが付けるような白いフリフリのやつを乗せていて、勿論その人物が着ている服も、カミラが着ていたような侍女用の白黒の服とスカート。
一目見て誰もが美人だとしか言えないような綺麗な女性が、私に向けて優雅に微笑んだ。
「ああ……お初にお目に掛かります、ロミア様」
彼女の姿は、主人を支えるメイドでありながらも、包容力とどこか影のある美女という印象が強く胸に残る。
アリスティア家で出会ったカミラとはまた違う、大人の女性だった。
「わたくしはフェルと申します。先程、アリスティア家の使用人であるカミラさんとお話をさせて頂きました。そして、船内でロミア様のお世話を任された者でございます」
「えっ……カミラとですか!? そんないつの間に……」
「フフッ……。まだ彼女とは短いお付き合いですが、話が合いそうなお方だと思っておりますよ。それから、カミラさんから預かり物がございます」
フェルと名乗った、黒髪ロングが美しい女性。
海風に乗って、彼女の髪からふわりと良い香りが漂ってくる。
……同性ながらも、思わずキュンとしてしまいそうになってしまう。
どうやらそれすらも彼女にはお見通しのようで、フェルさんが「フフッ……」と恥ずかしそうに、小さく笑った。
照れ方すらも可愛いとか、美人ってずるい気がする……!
というか、陛下が私の政略結婚の話を知ったのなんてついさっきの話だったのに、どうしてフェルさんがカミラと接触出来てるの!?
……あんまり考えすぎても無駄な気がしてきたけど。帝国人が特別凄すぎるだけって可能性もあるもんね!
「え、ええと。それで、カミラから預かっている物って何ですか?」
「お荷物は船内客室の方にございます。では早速ですが、ロミア様のお部屋へご案内致します」
そうして私はジュリウス陛下とも一旦別れ、フェルさんの案内で客室へと通された。
王侯貴族の護衛船という役割の為か、私に宛てがわれた部屋はびっくりするぐらい豪華だった。
ここが船の中だと知らなければ、普通にどこかのお城の一室だと言われても納得してしまう程だ。
「ベッドもあるし、見るからに高そうなソファにテーブルまで……!」
「カミラさんからお預かりしていた品は、そちらになります」
フェルさんが手で指し示した編み籠の中を見てみると、そこには私が伯爵家へ向かう際に持って来ていた鞄が入っていた。
父さんがくれた、あの鞄だ。
母さんからのブラシも。着替えも。
そして──
──ジュリウス陛下から頂いたという、昔から何故か強い愛着のあった“ひとりぼっちの狼の子”の絵本もある。
「カミラ……。私の大事なもの、全部ちゃんと届けてくれたんですね」
「はい。……カミラさんからは、“ロミア様のご無事を祈っております。ごめんなさい”……と、伝言が」
「……そう、ですか」
ごめんなさい。
カミラがフェルさんに伝えたその言葉が意味するのは、どういうものだったのだろう。
……彼女は優しい人だ。
私の事情はフェルさんの口から聞いているだろうから、私が大変な出来事に巻き込まれているのに、何の手助けも出来なかったからと気に病んでしまっているのかもしれない。
状況が落ち着いたら、カミラに手紙でも渡せれば良いんだけど……。
「帝国側の港への到着は、明日の昼頃になります。お食事はこちらへお運びしますので、夕食の時間までに何かご用がありましたら、こちらの手鏡をお使い下さい」
そう言って彼女が手渡してきたのは、手の平に収まるぐらいのコンパクトな手鏡だった。
母さんの手鏡は取手が付いている大きめのものだけれど、これは貝殻のように閉じられる、蓋付きの丸い手鏡だ。
「これは……?」
「この手鏡に魔力を流すと、わたくしの方にその反応が伝わる仕掛けが施してあるのですよ。使用人を呼び出すベルのような物だとお考え下さい」
魔力を使うって事は、これは単なる手鏡じゃなくて魔道具なんだ!
連絡に使える魔道具だなんて、商会でも見た事が無いのに……!
帝国の技術力、もしかしてシルリス王国より遥かに上なのでは……?
というか、これを量産出来たら爆売れするのでは!?
手紙のやり取りぐらいしかなかった通信網に革命が起きるし、これさえあればお客様から直接注文を受けられるじゃない!
商売繁盛、間違い無し!!
……でもそういえば、陛下のピアスもそういう連絡用の魔道具だったみたいよね。
それなら帝国軍でも採用されている物なんだろうし、魔道具の特許も国で管理されていそうだし……。
他国に真似されて、諜報や戦争に利用されでもしたら、帝国にとって大きな損失になるだろうし……。
あ〜、それなら商会で取り扱うのは無理だろうなぁ……って、もう今の私はルーシア商会の人間じゃないんだったわ。元従業員だった。
内心大興奮でとんでもないアイテムを受け取ってしまっものの、一気に現実に引き戻された私は、大人しく部屋の中でゆっくり過ごす事にした。
普段の私だったら、許される範囲で船の中を見て回ってみたかったところだけど、生憎今の私にはそこまでの体力も筋力も無い。
暇潰しに本棚の中から一冊の本を手に取って、王国では見た事が無かった小説を読んでみる事にしたのだった。
*
翌日の昼過ぎ。
雲一つない薄青の空。見渡す限りの屋根に積もった、真っ白な雪。
そう。昨日フェルさんが話してくれた予定通り、私達を乗せた帝国軍船はヴィルザード帝国領の港に到着したのである。
「ようこそ、俺達の故郷へ」
「さ、流石は帝国……《冬幻郷》の異名で呼ばれるだけの場所、ですね……。貸して下さった服とコートが無ければ、とっくに凍えていてもおかしくないです……!」
帝国領は一年中、どこも寒い場所ばかりなのだという。
船が着く前に、フェルさんに着替えを用意されていた。
冬用の服や毛皮のコート、もこもこの帽子と耳当てにマフラーと、防寒具一式をしっかりと身に付けている。
こんなにガッチリとした防寒装備なんて着た事が無かったから、鏡で自分の姿を見て新鮮さが凄かったのよね。
それでも海から吹き付けてくる風は、何も覆われていない私の顔を突き刺すように冷たいのだ。
もしも一日中ここで立ち続けていたら、すぐに風邪を引いてしまいそう……!
ふと、同じく防寒着を着込んだフェルさんの方を見て、思わず自分との違いに落ち込んでしまった。
彼女は元から身長が高く、スタイルが良くて手脚もすらりと長い。
私と同じぐらい何枚も服を重ね着しているはずなのに、シルエットがスマートなのだ。
腰まで伸ばされた彼女の長い黒髪が風に靡くと、とても画になっていた。
港で風に吹かれるフェルさんの美しい姿を絵画にしたら、きっと凄い価値の高い絵になるに違いない……。
そう思わせてしまうほどに、フェルさんはこの雪国が似合っていた。
……まあ、それはそうよね。彼女は帝国人なのだもの。寒さに慣れているから、私みたいにガチガチに震えてなんかいないもの。
勿論、いつの間にか防寒仕様の鎧姿に着替えていたジュリウス陛下と、レオールさんも様になっていた。
こうして彼らが鎧を身に纏っているのを見ると、本当にお二人は本物の皇帝陛下と騎士さんだったんだなぁ……と、しみじみと実感してしまう。
特に、陛下の白い髪が帝国の雪景色と相まって、幻想的な雰囲気を感じさせるのだ。
この国を背負う、美貌の皇帝──というのだろうか。
冷たい強風にもびくともしない広い背中が、何だかとても頼もしく、同時にそのまま急な吹雪にでも呑まれていってしまいそうな、アンバランスな儚さも漂わせていて。
……どうしてだろう。
この人を一人にさせてはいけない……と、そう思わずにはいられないのだ。
窮地に救いの手を差し伸べたのは、彼の方だというのに。
胸に渦巻く己の感情に戸惑っていると、陛下がこちらに振り向いた。
「ここから少し歩いた先に、空港がある。そこから飛空艇に乗り込み、帝都の空港まで向かうぞ」
「こ、今度は空港ですか!? 一応、話には聞いた事がありますけど……」
「お嬢さんも流石に飛空艇には乗った事ねえだろ? 空飛ぶ船だなんて、よその国じゃそうそうお目にかかれねえ代物だぜ」
「ほ、本当に空を飛んでしまうんですか……?」
だって空って、あの“空”でしょ……?
風の魔法が使える人ならまだしも、普通の人は空なんて飛ばないし、飛べないんだよ……!?
陛下とレオールさんの説明にビビり散らかしていると、フェルさんが美しすぎるスマイルで頷いて言う。
「ええ、飛びますよ? 現時点では帝国領内でしか飛行許可は出ていませんが、風の加護を持つ魔術師が同行する事で、飛行の安定性を確保しているのです」
大きな船が、空を飛ぶ……。
海の船に乗ったのだって初めてだったのに、次は空の船に乗る事になるだなんて!
飛空艇──どこかの国が、そんな船を完成させたのだという噂。
父さんが新商品の仕入れで王都に向かった際に、そんな話を聞いたのだと私と母さんに話してくれたのを思い出す。
まさか自分がその噂の船に乗る機会がやって来るとは、思いもしなかった。
……でも、空を飛ぶって大丈夫なの?
「その……いきなり何かの手違いで落っこちてしまったりとかは、しませんか……?」
私が恐るおそる尋ねると、ジュリウス陛下は小さく吹き出して笑った。それにフェルさんまで!
レオールさんなんて、もはや笑いすぎて咽せている。
意外と失礼っていうか、笑いすぎじゃないですかね!?
「フフッ……大丈夫だよ、ロミア嬢」
「ンッフフ……! いくら初めての飛空艇だからって、近所のガキ共でもそこまでビビりゃしねえよ!」
「そ、そこまで笑わなくても良いじゃないですかぁ……!」
「ああ……申し訳無い。あまりにも怯えて俺を見上げる君の姿が、まるで小動物のようだったものでな」
「そーそー! そういう可愛げがある女の方が魅力的だぜ? コイツと違ってな」
「殴りますよ、レオ?」
「むぅ……これは褒められているのか揶揄われているのか、どう受け止めるべきなのか……!」
気を取り直して、とフェルさんは話を再開する。
「飛空艇は、現段階ではこれから乗る一機しかありません。軍に配備されるまでにはまだ時間が必要ですが、こちらは陛下や側近など、限られた者が使う専用機になっています」
「ええと……身分の高い者が乗る船だから、落ちる心配は無いという事なんですね?」
「ご明察です。それならば安心して頂けますよね、ロミア様?」
そう言われて、私は頷いた。
皇帝陛下も使う乗り物なら、彼女の言う安全性に間違いは無いのだろう。
むしろ、ここまで安全だと言われたのに乗船を拒否してしまえば、私が帝国の技術力を信用していないと思われてしまうもの。
……本当はまだ、ちょっぴり怖いけれど。
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