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11.初めて見る景色

 私がどうにか泣き止むまで、彼は下手な慰めの言葉も掛けず、静かに同じ時間を過ごして下さった。

 そのお陰で、多少時間は掛かったけれど、今はある程度気持ちも落ち着いてきた。

 

 私を捨てた実の父親が、領地と他の姉妹の為に私を呼び戻し、公爵家に売ろうとしていた事。

 公爵家に嫁いだミリー様とその赤ちゃん達が、立て続けに亡くなっていた事。


 その二つの出来事が繋がっていたという事実は、否定しようのない現実でしかなくて……。

 

 ……もしもあの夜、パーティー会場の外でジュリウス陛下が私を見付けて声を掛けて下さっていなかったら。

 私はきっと、彼女と同じ地獄の日々へと突き進んでいたのだろう。

 彼がミリー様の死を(いぶか)しみ、お墓の調査を命じていなかったとしたら……。

 ……改めて私は、間一髪のところで命拾いをしたのだと実感した。


「……すみません。お借りしたハンカチ、せっかく綺麗な物だったのに汚してしまって……」

「いいんだ。それにそのハンカチは、“貸した”んじゃない。いつか君に“返そう”と思っていた物だったんだからな」

「えっ……?」


 ──貸したんじゃなく、私に返そうとしていた……?


 目を見開く私に、陛下が小さく微笑む。


「……端のところに、君の名前と小さな葉が刺繍してあるだろう?」


 そう言われて、すっかり私の涙で濡れてしまった白いハンカチを広げてよく見てみる。

 するとそこには、金の糸で綴られた『ロミア』という名前に寄り添うように、小さく丸い葉を幾つもつけた緑色の植物が刺繍されているではないか。


「ほ、本当だ……。でも、どうしてこれをジュリ様……いえ、ジュリウス陛下が? 私、陛下とお会いしたのは今夜が初めてだと思っていたんですが……」

「……ずっと昔に、父に連れられてシルリス王家へ挨拶に伺った事があったんだ。現在の国王であるアーディン殿は、俺の学生時代の先輩にあたるんだが、その前に息子同士の顔合わせをした」

「その当時に、まだ伯爵家に居た頃の私と陛下がお会いしていたんですか……?」

「ああ。その顔合わせの帰りに、アリスティア領で馬車の車輪が壊れてしまってな。修理が済むまでの間、俺は父の目を盗んで探検に出たのさ」


 今では理知的な雰囲気のジュリウス陛下だけれど、少年時代は意外にも活発な子供だったらしい。

 ちょっと想像が付かないかも……。

 ……だけど、冒険物の本が好きだって言っていたし、案外今でもそういう部分が残っていそう。

 思わず少し笑ってしまいそうで、失礼になるから真面目な顔を作ろうと頑張った。


「……頑張って笑うのを我慢してくれているようだが、どうせなら思いっきり笑ってやってくれ」

「……お見通しでしたか」

「別にそんな事で怒ったりしないから、俺の前では変に緊張したり、遠慮はしないで良い。……少なくとも当時の俺は、君の事を大切な友人だと思っていたのだから」


 その言葉通り、彼が私に不快感を示しているような様子は無い。

 むしろその後の発言に、驚きの方が大きく勝ってしまう。


「周囲を探検しに行った俺は、気が付けば美しい薔薇が咲く庭に迷い込んでいた。その庭で、薔薇に囲まれた可憐な少女と出会ったんだ」




 *




 子供の頃の俺は、その金髪の美しい少女を、薔薇の精のようだと思った。

 一瞬で心を奪われる──というのは、まさにあの瞬間を示す言葉だろう。

 

 ……それこそが俺の、ロミアとの初めての出会いだった。


「あなた、この辺じゃ見かけない子だね。最近引っ越してきたの?」

「……っ、ううん、違うよ!」

「そうなの? それじゃあ、あなたの住んでる場所の事を教えてくれない? 私、生まれた時からずっとこのお庭より向こうの場所に行った事が無いから、ずっとお外の事が気になってるの!」

「……どうして外に出られないの?」

「お父様が言うの。私は身体が弱いから、大人になるまでこのお屋敷から離れちゃダメだって。お姉様は、この前もそれより前にも、今日だってお母様と一緒に王都までお買い物に行かせてもらえてるのに……」


 そう言って俯く人形のように滑らかな頬は、どう見ても血色が良かった。

 病弱だというのなら、そんなか弱い大事な娘を一人で自由にさせるものなのだろうか?

 ……そもそも、姉だけを連れて外出するなんてどんな差別だ?

 まだ出会って間も無い薔薇の少女の心境を思うと、俺は我が事のように胸の内に怒りが湧き上がった。


「……それなら、君のお姉さんだって買ってもらえないような物をプレゼントするよ! ちょっと待ってて!」


 少々の返事を待たずして、俺は来た道をがむしゃらに駆け戻った。

 まだ修理の済んでいない馬車の積荷の中から、暇潰しにと持って来ていた絵本。

 それは帝国に伝わる古い伝承をモチーフにした、小さな狼が登場するおとぎ話。それを持って、俺は再び彼女の元へ馳せ参じた。


「お待たせ!」


 そうして彼女に手渡した絵本こそが、“ひとりぼっちの狼の子”だ。

 その表紙を見た少女は、真紅のルビーのように綺麗な大きな瞳を見開いていた。


「わあっ、知らない絵本だ! これ、ほんとに私にくれるの?」

「うん! この国じゃ買えない絵本だって父上が言ってたから、君にあげる!」

「ほんと? ありがとう! 私、プレゼントを貰うなんて生まれて初めてだから、すっごく嬉しい!」


 心の底から幸福を滲ませる笑顔を浮かべる少女。


 ……初めての贈り物。

 

 それを彼女に渡したのは、少女の両親ではなく、この俺であると言うのか。


「……でも、ちょっと待ってね」


 当時まだ八歳だった俺は、彼女の言葉に衝撃を受けて固まっていた。

 そんな俺の顔を、彼女は持っていた白いハンカチで拭い始めたのだ。


「い、いきなり何!?」

「ほっぺたに泥が付いてるの。取ってあげるから、動かないで!」


 その言葉に、俺は馬車に戻る途中で水溜りに気付かず転び掛けた事を思い出す。

 泥の付いた顔で少女の前に戻って来てしまったのかと、恥ずかしさやら情けなさが込み上げた。


「……これで綺麗になったね」

「あっ、そのハンカチ……せっかく綺麗で白かったのに、泥で汚しちゃった……」

「そんなの気にしなくていいのに」

「でも……」

「……それならさ。このハンカチ、洗って返してくれない?」

「えっ……? でも僕、遠くに住んでるのに……」


 帝国から王国までは、船で海を渡らなければならないのだ。

 それに、まだ俺も子供だった。

 とても一人でハンカチを返しに行くような許可は得られないだろうし、勝手に入り込んだ屋敷にハンカチを届けさせでもしたら、この子が叱られてしまうかもしれない。

 とはいえ、俺のせいで汚してしまったハンカチをそのまま返すのは忍びなく……。


 すると、どうしたら良いのかと狼狽(うろた)えている俺に、彼女がにっこりと微笑んだ。


「遠くに住んでるなら、いつかまた会いに来て。その時に返してくれればいいから! ね?」

「……分かった。いつか、必ず……!」




 *


 


「まあ、その……君に親切にハンカチを貸してもらった恩があったんだよ。“いつか洗って返す”、という口約束をしてな」


 残念ながら俺の事はすっかり忘れてしまっていたようだが、何はともあれ、あの時の()()()()()との再会を果たせたのだ。

 

 ……これは彼女には言っていないが、いつか俺が父上のように強くなった時、告白しようと思っていた。

 他の姉妹ばかりを優遇する家族の手から解放して、“ずっと前から君が好きだ”と。

 “俺と結婚してくれ”と、成長して大人の女性となった彼女にプロポーズするつもりだったのだ。


 ……ふむ。


 幼少期から想定していたプロポーズ計画からは状況が大きく悪化していたが、彼女のこれからの事を考えると── 


「……それにしても不思議ですね。そんなに印象深いやり取りがあったなら、陛下の事を忘れるなんておかしいような気がするのに」


 ロミアの言う通り、その事も少々不自然なのだ。

 俺が贈った絵本の事は忘れず大切にしてくれていたというのに、俺との出会いは覚えていない。

 ……というより、“記憶が抜け落ちている”かのように思えてならなかった。


 ──俺の単なる考えすぎかもしれないがな……。

 



 *




 それから私達を乗せた馬車は、山を一つ越えた辺りで速度が緩み始めた。


「……そろそろ到着だな」


 到着って……そういえば、私達ってどこに向かっていたのかしら?

 そんな疑問に思わず首を傾げていると、とうとう馬車が停車する。

 すると、箱馬車の扉が外から開かれ、一足先にジュリウス陛下が降りていく。


「さあロミア嬢、俺の手を」


 と、自然なエスコートでドレス姿の私の下車を補助して下さった。

 まるで宮廷物語の王子様とお姫様みたいな状況に、勝手に頬が熱くなる。

 私なんてご令嬢の自覚ゼロの庶民育ちなのに、何がどうなってこんな状況に置かれているのやら……!

 

「 は、はい! ありがとうございます……って」


 そんな事を考えていた矢先、馬車を降りた先に広がっていた光景に、私は目を見開いた。

 きらきらと太陽の光を受けて反射する青い海が、どこまでも遠くに続く大きな港。

 大小様々な船と、多くの人々で賑わう見知らぬ町。

 そして、鼻を抜ける独特な風の匂い──これが潮風というものなのだと、私は直感した。


「……私、本物の海って初めて見ました」

「そうだったのか。ふふっ、また君の新たな経験の瞬間に立ち会えさせてもらえたようだな。この後は、向こうに見える一番大きな船に乗るぞ」

「……育ての親が商人だったので、海を題材にした絵画を目にする機会は何度かあったんです。いつか本物の海を見に行けたら良いなぁ、とは思っていたんですけど……」

「……そうか」

「海の匂いとか、港の雰囲気だとか、絵では分からない事ってこんなにあったんだなって……驚いちゃいました」


 それに、港で働く人々の賑やかな雰囲気が、何だかとても懐かしく感じてしまうのだ。

 向こうで魚を売るおじさんの威勢の良い掛け声だとか、食材を買いに来た人達が満足そうにしている表情だとか……。

 ……私が育ったルーシア商会で見てきた光景に、とてもよく似ていた。


 その後、私はここまで送ってくれた若い馬車の御者さんにお礼を言った。

 ここで彼とはお別れになる──と、思っていたのだけれど。


「なあジュリ、この馬車と馬はどうすんだ?」

「それは借り物だ。あの青い文字の看板が出ている店に返却してくれ。俺達は先に行くから、レオも後から合流しろ」

「はいよ。……ったく、相変わらず人使いが荒いヤツだな」


 どうやら陛下と彼のやり取りを見る限り、二人は何やら親しい間柄であるらしい。

 というか、今“ジュリ”って呼び捨てにしてませんでした!?

 何なの、あの赤髪のお兄さん! 何者なんです!?


 一つ溜め息を吐いた彼は、仕方が無いといった様子を隠しもせず、ジュリウス陛下の指示通りに馬車を走らせ始める。

 その後ろ姿を見送りながら、


「……あ、あの! さっきの御者の方も、もしかして帝国の……?」


 と彼に問うと、陛下は微笑と共に頷いた。


「ああ。あいつもこちらで調査にあたらせていた、優秀な帝国騎士の一人だよ」

「えっ、騎士さんなんですか!?」

「後程、改めて紹介させてもらおう」

 

 ではこちらへ……と、先程彼が言っていた船の方へと案内される。

 港に停泊している船の中でも一際大きなその船は、漁船でも商船でもないような気がした。

 となると、これは旅人が乗るような定期船なのかもしれない。

 

 ……そう思ったものの、甲板から周囲を観察する限り、この船には私達以外にそれらしい乗船客は見当たらなかった。

 こんなに巨大な船なのだから、もっと大勢の人が乗りに来ていてもおかしくないと思うのだけれど。

 

 とはいえ、私は出港前から妙にソワソワしていたりする。

 前に父さんの取引の仕事について行った先で、大河を渡る為に小舟に乗せてもらった事はあったけれど……。

 流石にこんな大きな船に乗るのは生まれて初めてなので、船の上から見える景色が新鮮で楽しいのだ。


「この船、他のよりも随分大きいですよね! 何というか、本で読んだ軍船ぐらいの規模みたいな感じで……。それなのに、私達以外には船乗りさんしか見掛けない気がするんですけど……」

「ほう、ご両親に商人としての目利きを鍛えられていたのか?」

「え……?」

「これは我がヴィルザード帝国が誇る、最新鋭の軍船だ」

「ほ、本当に軍船なんですか!?」


 ま、まさか陛下、私なんかの為にこんな大きな軍船をわざわざ用意して……!?


「そうだぜ、お嬢さん。因みにこの船、貴族向けの護衛船としての役割も兼ね備えてるから、魔物の襲撃なんかも心配しなくても問題ねえ」


 どこか聞き覚えのあるその声に振り返れば、ちょっと前に陛下に指示を出されていた御者の青年──いや、帝国騎士さんがやって来た。

 彼はどことなく風格のある立ち姿をしており、海風に揺られる薔薇のように赤い髪で、腰まで伸びた後ろ髪を一つに縛っていた。


「……レオ、女性に対してその口の利き方は無いだろう」

「うるせえなぁ、テメェはオレの父親か?」

「こんな馬鹿息子を持った覚えは無いな」

「オレもテメェみたいな厄介な野郎が身内だった覚えはねえが……そこのお嬢さんが嫌ってんなら、今からでも態度を改めてやらねえ事もねえ」


 二人がそんな話をしている間に、船は既に出港していた。


「……で、アンタにはどう接すれば良いんだ?」

「そのままで構いませんよ。陛下は私を『ロミア嬢』なんて呼んで下さいますけど、育ちは根っからの庶民ですからね。……そういえば、貴方も帝国の方なんですよね?」

「ああ、そこのムッツリ皇帝陛下の近衛騎士団で団長をやってるレオールだ。出来れば末長いお付き合いをさせてもらいたいもんだな、ロミアお嬢さん?」

「おいレオ! 誰が!! ムッツリ皇帝だって!?」

「あーヤダヤダ。図星突かれてキレ散らかしてやんのー」

「レオ!!」


 謎のムッツリ発言はさておいて……近衛騎士団の団長ですって?

 

 え、めちゃくちゃ若いけど……?

 そのうえ、めちゃくちゃ顔が整ってるけど??

 ジュリウス陛下も然り、帝国では顔面が強くないと皇帝に仕えられない法が制定されてたりするんですかね……?


 また別の意味で先が思いやられるな……と遠くを見詰めながらも、私達を乗せた帝国軍船は、まだ見ぬヴィルザード帝国へと向かっていく。

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