10.私は“いらない子”
「私が政略結婚の道具って……どういう事ですか!? 私、今日のパーティーには社会見学のつもりで来いって言われて──」
「それは伯爵の出まかせだ。あの男は君を手元に戻して、領地の再建と姉妹の未来の為に、君を売ろうとしている」
ジュリウス陛下の口から告げられたのは、あまりにも予想外の内容だった。
「レド先輩……レドという男には、我が帝国の生まれであるミリーという妻が居た。彼女も公爵家と同じ炎の加護を持ち、心優しく厚い信仰心を持つ、評判の良い女性だった」
「……どうして、“だった”って過去形なんですか?」
「……彼女は、昨年末に病死したと公表されている」
「ご、ごめんなさい! 無理にそんな話題を聞き出してしまって……」
「いや、いいんだ。むしろ、この話はここからが本番だ」
そう言って、ジュリウス陛下は更に言葉を続ける。
「レドとミリー嬢の夫妻は、子供に恵まれなかった。そのうえ彼の弟君は、幼い頃に不慮の事故で亡くなっている」
「あ……そういえば私がまだ子供の頃、商会に居た頃に聞いた事があります。確か、公爵家のお子さんが海難事故に遭ったとか……」
「その通り。ここ十年以内、レドの周囲にはどうも身内の死に関わる話が多すぎたんだ」
「……もしかして両家は、跡継ぎ問題を解決する為に私と政略結婚させようとしているんですか?」
私の問いに、陛下が即座に答える。
「……ミリー嬢は、シルリス王国貴族の純血思想に合わせて、公爵家と同じ炎の加護持ちの由緒正しい家柄の女性だと言ったな。当然若い夫婦なのだから、世継ぎの為に子供を残さなければならない。だが……二人の結婚後、周囲から見て不自然な程に、ミリー嬢は屋敷に籠りきりだったそうだ」
特に庶民の間で噂が拡がるスピードは凄まじいもので、『奥様は重い病に罹ったのではないか』『子供が出来ない事を苦痛に感じて、塞ぎ込んでしまっているのでは?』等、様々な憶測が飛び交った。
「そんな噂が出た矢先に、彼女の訃報だ。公爵家からは『病によって急死した』と発表されたそうだが、純血思想の根強い貴族──それもシルリス御三家のパレンツァン家が、若くして命を落とすような身体の弱い女性を妻にするはずもない」
「……そう言われると、確かに違和感があるような気がします」
純血思想とは、一族に受け継がれた魔力属性の加護をより強化する為、同じ加護を持つ男女が子孫を残す“加護婚”を強制するに近い考え方だ。
特に建国の時代から残るシルリス御三家であれば、炎の加護で建国王を支えた公爵家の血と誇りを守る為にも、必死で炎の血脈を受け継いでいく使命があるだろう。
となれば母胎となる女性も、元気な子供を産める健康体が相応しいとなるはず。
噂話が事実なら、流行病でもないのに急死したというのは不自然に感じられてもおかしくはない。
そもそもミリーという女性は、健康面には何の問題も無かったのだと彼は言う。
「……そこで先日、秘密裏に彼女の墓を調べさせてもらった」
「えっ、お墓をですか!?」
「妙な胸騒ぎがしてな。当然、パレンツァン領の者には一切悟らせていないから安心してくれ。……その調査の結果、ミリー嬢の墓からは複数の乳児の遺骨が発見された」
「……どういうこと、ですか」
複数の、赤ちゃんの骨。
それって、まさか──そんな。
思い至ってしまった残酷な計画に、恐怖を通り越して吐き気を催してしまい、咄嗟に手で口元を押さえる。
何も言えなくなってしまった私を見て、陛下は「……察しの通りだろう」と呟いた。
「あの家は恐らく、既に純血の家系ではなくなっていたのだろう。故にレドは、本来生まれるべき炎の加護を宿した赤子を得る為に、ミリー嬢を娶った」
赤ちゃんのうちに亡くなった子供達は、きっと強い魔力を持って生まれたのだろう。
貴族や王族の子供なら、生まれてすぐでも判定石の色が濃く出るというから。
……だからこそ。
「望んだ加護ではなかった赤子は、生まれて間も無く母の手から取り上げられ──捨てられた。これはあくまでも俺の想像に過ぎないが、ミリー嬢は世継ぎを産む為だけに過酷な妊娠と出産を繰り返し……心を蝕まれてしまったのかもしれない」
「そんな……そんなのって……あんまりじゃないですかっ……!」
パーティー会場で出会ったレドは、見た目だけなら麗しい青年だった。
きっとミリー様は、それが家の為の結婚だったとしても、せめて彼と幸せな家庭を持ちたかったはずだ。
……それなのに、純血思想なんていう王国の古い考えに縛られて。
せっかく宿った小さな命を、目の前で“いらないもの”だと言われて奪われたのだ。
……あの男のせいで、一人の女性と何人もの子供達の未来が絶たれてしまったのだ。
自分が見下され、無様に屋敷の外に放り出された時でさえ我慢出来ていたはずの涙が、次から次へと溢れ出して止まらない。
悔しかっただろう。
辛かっただろう。
騙された、と恨んだかもしれない。
これから幸せな人生を歩めるはずだった子供達は、どんな思いで母の死を天から見下ろしていたのだろう。
「……赤子の骨が見付かった後、俺は今日のパーティーで直接レドに真相を訊ねるつもりだった」
「……っ、うっ……、」
「だが、先に様子を見に行かせていたメイドから入った報せが、先程の君とあの男との政略結婚の話だ。アリスティア家の加護も、公爵家と同じ炎。……これでもう、ミリー嬢の件は黒だと確定してしまった」
ジュリウス陛下の話では、お父様は私にミリー様と同じ未来を歩ませようとしているらしい。
私を公爵家に差し出す対価として、領地経営の支援と、騎士である姉・ダリアの昇進。加えて妹・アカシアの学費の援助を求めたそうだ。
「既に両者間では、禁術とされている命の誓いが交わされている。一方的にこの魔法契約を破った者は、どんな理由であれ、相手の任意のタイミングで命を対価として奪う事が可能になるものだ」
「……そこまで、して。叶えたい、ものなんですか……」
いくら私が、何の取り柄もない属性無しの子だからって。
いくらシルリス王国が、純血思想を重んじる歴史があるからって。
「そんなものの為に、他人の命を道具として扱って、許されるはずがないじゃないっ……!!」
そうして私達を乗せた馬車は、アリスティア領から大きく道を逸れた。
大好きだった両親は、私を残して逝ってしまった。
私の本当の両親だと打ち明けた人達は、血の繋がった実の娘すらも政略結婚に使う、悪魔のような人達だった。
……今なら分かる。
どうして初対面のあの時、ダリアさんの目が凍て付いていたのか。
何故なら私は、これから出荷されるだけの家畜でしかなかったからだ。
「……ロミア嬢。君の身柄は、この皇帝ジュリウスが保護すると約束する。君は見ず知らずの女性と子供達の為に涙を流せる、清廉な心の持ち主だ。だからどうか──俺と一緒に、帝国に来てくれるか?」
──君自身とその心を、どうか俺に護らせてほしい。
彼の真っ直ぐで、それでいて静かな誓いの言葉に、私は大きく頷いた。
再び涙でぐしゃぐしゃになる顔を見せたくなかったから、ずっと俯いたままでいたけれど。
「……迷惑でなければ、これを使ってくれ」
そう彼が私に手渡そうとしてきたのは、シワ一つ無い綺麗なハンカチ。
思わず見上げてしまった視界に入ったのは、心痛な面持ちでそれを差し出していた。
彼のその優しさは、今も私の身体を温めてくれている外套と同じように、私の冷えた心も元通りになるまで……外の降りしきる雪のように、そっと寄り添っていてくれた。
*
「ロミア! ロミアは帰って来ておるか!?」
玄関の方から聞こえてきた大声の主、ダリオス伯爵の声が屋敷に響き渡る。
旦那様の不在という束の間の平穏な時間が騒々しく終わりを告げた事に舌打ちを漏らしたが、よくよく今の叫びを思い出してみると、ロミア様とは別々で帰って来たのだろうか?
不思議に思いながらも玄関まで向かうと、旦那様は私の顔を見るや否や、無遠慮に詰め寄って来る。
正直、死ぬ程嫌いなオッサンが至近距離に居るのは気色悪いったらない。本気で無理だ。
「カミラ! ロミアは帰って来ておらんか!?」
「……いえ、まだご帰宅されておりません」
「クソぅ……! あのまま大人しく外で待っているかと思いきや、屋敷の外にも、ここにすらも姿が無い……!」
……もしかして。
ロミア様は何らかの理由で伯爵の計画を知って、土壇場で逃げ出した……?
しかし、外は予想通りに雪が降り出している。
お召し物は春用のドレスだし、徒歩で逃げ出したのなら体調を崩してしまうだろう。
それに、お金も荷物もこの屋敷に置いたまま。
このまま目の前で右往左往して、錯乱状態のこのクソ旦那様から逃げ切るにしても、現実的に可能なのだろうか……?
「ロミア様……」
……どうか、どうか、貴女は無事に逃げ延びて。
明るいヒマワリのような笑顔がよく似合うあの子には、ミリー様みたいに悲惨な末路を辿ってほしくないから。
どうか神様、女神様、聖女様。
私の友達になってくれたかもしれないあの人の未来を、どうかお護り下さいますよう……。




