第四話
私が目を覚ますと、布団に寝かされておりました。
田川君が心配そうにのぞき込んできました。私はぼんやりとその顔を眺めていましたが、田川君は安堵したように喋り始めました。
「びっくりしたよ、突然碁石を飲み込んだから。吐かせるの大変だったんだからな。先生にひどく叱られたよ、参った」田川君は頭を掻きました。
「お爺様は?」と聞くと「君が大丈夫だと分かって、また出かけたよ、お母さんの所へ。そうそう、ストレプトマイシンが貰えることになったんだよ、よかったね」田川君は私に喜べと促すように布団をポンポン叩いて言いましたが、その右手には包帯が巻かれていました。
「スプレプト……」「ストレプトマイシンだよ、結核の特効薬の、知らないのか」
その後、田川君が延々と語る話に私は驚きました。
ストレプトマイシンとは、結核の特効薬でしたが、非常に高価で終戦直後の日本では極めて入手困難な薬だったのです。それを碁会所にたまに来るお客様の紹介で分けて貰える事になったというのです。
そのお客様とは、いつも沢山お菓子を呉れる『名局おじさん』でした。『名局おじさん』はどこかの役所のお役人さんで、トミさんに泣いてあやされている私を見ていて、その事情を知っていたらしいのです。
これは後で聞いた話なのですが、当時世情を騒がせた『海烈号事件』とよばれた大密輸事件が発覚し、押収品の中に大量のアメリカ製ストレプトマイシンが含まれていたそうです。その物資は摘発後、民間に払い下げられたのですが、その部署に『名局おじさん』が居たそうなのです。
お爺様は、今日その話で出かけたそうで、お爺様も半信半疑でしたが紹介された病院に行くと、話がトントン拍子にうまく進んでびっくりしたそうです。喜んで帰宅すると私がこんな事になっていて驚き怒っていましたが、お医者様に心配ないと言われると、一刻も早くお母様に知らせたいとまたお出かけになったそうです。
私はお母様のご病気が治ると聞いて、たまらなく嬉しくなりました。そして神通力が発揮されたのだと確信したのでございます。
それからの日々は、明るく楽しい毎日でございました。お母様は治療のため転院され、経過も順調で退院の日も近いようでございます。
碁会所に出入りする皆様は、今回の騒動を幼児の単なる誤嚥事故と思ったようですが、私の体には、碁石がはがれたような薄赤い痣がたくさん出来ていました。
お医者様は蕁麻疹か何かのかぶれだろうと言っていましたが、そんな事はありません。この痣に碁石を乗せれば、きっとまた吸い付くに決まっているのです。
ところが、あの日以来、お爺様から碁石を握ることを固く禁じられていて、試すことができません。
しかも、日に日に痣は薄くなっていき、幼さ故に私の記憶も次第に薄れて、他に興味が移っていってしまいました。
私は碁会所で新しいお給仕を始めました。
田川君に棋譜のつけ方を教わり、対局中のお客様の棋譜を取るのでございます。
もちろん、お菓子などを頂けるのなら拒む理由はございません。
『名局おじさん』はあれから一度も碁会所にいらっしゃいません。
役所に問い合わせてみても、そのような者は在籍していないと言うのです。
いくら感謝してもしきれないあの御方は、いったい何処の何方なのでしょうか。
完
【あとがき】
私は長い間、この事を忘れていました。
本当に長い間、私が成人し結婚して娘をもうけ、その子が成人した頃のことでございます。私は図書館の喫茶コーナーに飾られていた一枚の絵を見ました。ある前衛芸術家の作品でした。もちろんオリジナルではなく複製品でしたが、それでも十分に訴えかけるものがございました。
カラフルな明るい色彩の抽象画だったのですが、蝶々のモチーフを覆い隠すようにキャンバス一面に水玉模様がびっしりと書き込まれている不思議な絵でした。水玉模様がこの画家の特徴的な画風だとは、後で知りました。
この絵自体の良さは、正直言ってよく分かりませんでした。ですが、このキャンバスを埋め尽くす水玉模様の反復繰り返しが、私には盤上の碁石に思えて、そして何よりも、絵のバランスを崩壊させてまで執拗に水玉を書き込まねばならなかったこの芸術家の狂おしいまでの情念が、私の魂を大きく揺さぶったのでございます。その瞬間、私の心の底にずっと眠っていた記憶の扉が開いたのでございましょう。まるで昨日のことのように色鮮やかに、あの日の事が蘇りました。碁石が肌に吸い付く感触までも思い出せたのでございます。
きっとこの方も私と似たような体験をなさっているのでしょう、間違いございません。
え? はい、母はもちろん今も健在でございます。