第二話
私はお爺様に大切に育てられておりました。
一人娘の初孫であり、唯一の孫にもなってしまった私を、また母に会えぬ不憫な孫として、それはそれは慈しみ育てて呉れたのでございます。
私はなぜか女の子の遊びにあまり興味が持てず、またお爺様もご自分の目の届くところに私を置きたがったので、しぜん碁会所が私の遊び場になったのでございます。
私は毎日碁会所で遊んでいましたが、囲碁に興味はありませんでした。五才の私には難しすぎましたし、お爺様も敢えて教えようとはしませんでした。
私の興味は、お客様が呉れるお菓子にあったのでございます。
私がお爺様の真似をして腕を後ろ手に組み、対局中のお客様の間を大仰に歩き、その碁盤を子細に見ては、分かりもしないのに「もう終わっておる」とか言うと、どっと笑いが起こり、お客様が私の手にあめ玉やチョコレートを握らせてくれるのでございます。
囲碁用語を使うと皆様が喜ぶのを知って、私は対局で使う言葉を懸命に覚えては「なかなか筋がいい」とか「つまらぬ手だ」とか言ってお菓子をせしめる術を覚えたのでございます。
お客様の中には、盤上にお菓子をいくつも置いて、わざわざ私に碁の講評を求める方もいて、私はいつも「おぉ、これは名局だ」と言ってたくさんのお菓子を手に入れるのでございますが、そんな時いつも書生の田川君は「やよいちゃんはお菓子に目がくらんでいるだけだ」と意地悪を言うのでした。
田川君は弟子を自称する方たちの一人なのですが、まだ十一才の小学生で碁会所に出入りする人の中で一番小さな男の子でした。お爺様は田川君からは月謝を取らず、よく碁の指導もされていて、人に紹介するときにも一人だけ「うちの書生です」と言われ、特別に目をかけておられるようでした。
ひと月に一度、お爺様は私の母の見舞いに行かれました。お母様のお加減が良い時には私も連れて行ってもらえるのですが、病院の中庭で十メートルも離れてお会いするのです。お母様のご病気は結核というもので私にうつすのを恐れて、こんな見舞いの仕方になるのですが、それはお母様の手さえ握れない歯がゆいものでございました。私がついお母様の方へ近づいてしまうとお爺様は私の手を取って引き戻します。ですので、私は精一杯大きな明るい声で話し掛けるのですが、お母様の声はとてもか細くて、よく聞き取れません。何度も聞き返しているうちに、いつもお母様は泣き出されてしまい、私も悲しくてお爺様の引き止める手をぶって泣いてしまうのです。そして家に帰ると、詮無い事でございますが、お母様に歳の近いトミさんの懐に泣いて飛び込み、慰めてもらうのが常だったのでございます。