第一話
私の家は、東京の下町で碁会所を営んでおりました。
繁華街の裏手にあった米屋の店舗を借り受けて碁会所にした、間口の広い家でございます。
以前は米俵が積まれていた正面の広い土間に床几を十脚ほど置き、その中央に碁盤を置いて、客は床几を跨いで対局するような即席の碁会所でございましたが、戦後すぐの娯楽の少ない時代でもありましたので結構繁盛しておりました。壁に会員の名札が段級位順に並んでいて、夏には開け放した出入口から風が吹き込むと、木の名札が風鈴のように涼しげな音を立てて揺れていたのを今でもハッキリと憶えているのでございます。
父は先の戦争で召集され南方で戦死しておりましたし、母は病弱で私が物心つく前より入院したままで、私は母方の祖父に育てられて居たのでございます。
お爺様は若い頃、少しは名の知れた棋士だったらしく、囲碁にお詳しい方の中には、いまでもその名を知っていらっしゃる方もおりました。
当時、就学前の私にはそんな事は知る由も無く、ただ、皆様方から先生と呼ばれていたのを記憶しておりますが、私が生まれるずっと以前の、お婆様がお亡くなりになった時分に棋士を突然お辞めになってしまったようでございます。私はその辺の経緯には不案内でございまして、いずれこれには深いご事情がございましょうが、お爺様は私には何もお話にならないのでございます。
碁会所に使っている土間の奥には座敷が二間あり、そこでお爺様と私は寝起きしていて、通いの小間使いのトミさんが日々の面倒を看てくれていたのでございます。
碁会所には、お爺様と小間使いのトミさん、それから毎日通ってくる会員さんが四、五人いらっしゃり、この方たちはお爺様のお弟子さんと自称されていましたが、お爺様は弟子など取れる身分ではないと仰って取り合いませんでした。
午後や夕方からは仕事帰りに一局と、何人もの方がお見えになり、また賭け碁が禁止以外、午後からはお酒も出前も有でございましたので、トミさんは毎日てんやわんやで、自称お弟子さん達もお手伝いをするほど盛況だったのでございます。