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博美と初めて会ったのは数年前、春雨がぱらぱらと降る土曜日の午後だった。文芸部の溜まり場になっている酒好きな村井准教授の研究室で、暇を持て余した部員たちが埒のあかない文学論や愚にもつかない恋愛話に興じていた。その日は、季刊の同人誌を編集するための新学期最初の集まりだったのだが、寄稿予定だった部員(博美のことだ)から遅刻するとの一報が入り、だらだらと皆で原稿を待っていたのだ。
僕は、久しぶりの参加で知らない顔も多く、議論に加わるのも億劫だったので、部屋の隅で宮本輝の『錦繍』を読んでいた。慣れない書簡体と周囲の騒々しさとで、なかなか内容が頭に入ってこなかった。
「今日、原稿を持ってくる予定になってるのは博美ちゃんといって、やたらと乳の大きい、少女のイラストを描く女の子なんだよ」
向かいに座っていた友人の吉富が、読書からも無駄話からも取り残されてしまっている僕に声をかけた。
〈やたらと乳の大きい〉という語がかかっているのはイラストなのか女の子なのか。どちらにも受け取れる言い回しだったが、恐らくはイラストだろう、と僕は思った。吉富は生きた女の乳、それも同年代の女子大生の乳なんかには興味がないはずだった。何故だかは解らないが、彼はそういう人間なのだ。
「そんなのが文芸部のテイストに合うのかな」
と僕は儀礼的に言ったが、この文芸部の同人誌なら、そんなイラストも違和感など全くないのは判っていた。発足当初は児童文学や絵本の愛好者が集まっていたのだが、吉富が、極めて下品なエロ漫画を同人誌に寄稿してから雲行きが怪しくなってきた。「文芸」を極端に拡大解釈した挙げ句、正統派の児童文学とその評論が中心だった同人誌には、ファンタジーとは到底呼べない二流SF小説や、児童文学をどう曲解したのか児童が変態男に陵辱される漫画や、路地裏の壁の落書きと大差のないレベルの卑猥なイラストや、ロールプレイングゲームの物語を土台にして好き勝手に練り上げた続編や、思い入れだけが先走りして誰にも受け容れられないであろう恋愛のポエムや、その他諸々の低次元の原稿とそれらを執筆する〈オタク〉的要素の強い人間が怒濤の勢いで押し寄せ、部としての目的と方向性を完全に見失ってしまったのだ。これはもはや文芸部などという上等なシロモノではなかった。でもそれなら文芸って何だろう?
「教室では上履きに履き替えるか、土足を許可するか──。この問題は〈人それぞれ〉とか〈個人の自由〉とかでは済ませちゃいけないんだよ。各自が好きなようにしたら、校舎の中は泥だらけ。結局、損をするのは〈上履き派〉だけなんだからね。それでも我慢して上履きを履き続けるか、土足で校舎内に入ることを自分に許すか。〈上履き派〉だけが決断を迫られることになるんだ」
吉富はかつて得意気にそう語り、自らの漫画作品の題材にも採用したが、それでは彼の寄稿した下品なエロ漫画は、果たして〈土足で校舎内を歩くこと〉ではないのか。図らずも、彼は〈上履き派〉たる児童文学を蹴散らす先駆者となってしまったのではないか。
僕はそんなことも思ったのだが、面倒なので黙っていた。もはや文芸部は、大半の部員が〈土足派〉なのだ。そうでなければ〈靴底に泥の付いてしまった上履き〉でぺたぺたと歩き回り、自分だけは頑張っているのだと思いたがっている思慮の浅い善人だけだ。僕はどちらに属するのだろう? あるいは、童話に出てくる蝙蝠みたいな存在かもしれない。
ともかく博美を待とう。彼女がやってくれば、吉富の言う〈やたらと乳の大きい〉の被修飾語が何か、はっきりするはずだ。少なくとも僕は生きた女の乳には興味があった。
結論を言えば、被修飾語はイラストと本人の両方だった。〈やたらと乳の大きい〉女の子が〈やたらと乳の大きい〉少女を描いていたのだ。吉富が意識して双方に修飾語がかかるような表現を用いたのかは、今となっては判らないし、別にどうでも良かった。
編集作業が終わったその夜、酒好きな村井准教授に誘われ、〈下品なエロ漫画を同人誌に寄稿した〉吉富と、僕、そして〈やたらと乳の大きい〉博美、さらには朗子(彼女は編集作業中に突然、自分がレズビアンであることを告白して周囲を驚かせ、隠し事をしていたストレスから解放されてすっきりしていた)を加えた五人で、キャンパスとは国道を挟んで向かい側のビルにある安っぽい居酒屋で簡単な慰労会を開いた。
酒好きな村井准教授と、夕方のキャンパスで顔を合わせると、七割四分八厘ほどの確率で「飲みに行かない?」と誘われる。そして、自ら誘っておきながら、最後に必ず「僕は別にどちらでもかまわないけど」という一言を付け加えるのだった。誘われた相手、つまり我々学生は一般的に、教員からの酒の誘いは断りにくいものだが「どちらでもかまわない」という一言が付加されていることによって、ずいぶんと気が楽になる。村井准教授は酒好きな上に女好きでもあり、誰からも評判の良いタイプではなかったが、僕はそうした彼の配慮が好きだった。ただし、村井准教授に誘われたからといって、別に酒をご馳走してもらえるというわけでもなかった。
その日は断る理由もなく──それがある人は恐らく断って帰ったのだろうが、ともかく、残った学生は四人で、村井准教授に連れられて安っぽい居酒屋の暖簾をくぐった。
〈やたらと乳の大きい〉博美は、やたらと酒が強かった。そして〈レズビアンであることを告白して長年のストレスから解放された〉朗子は、
「あー、すっきりしたー」
という台詞を繰り返しながら、水っぽくて不味いカクテルを何杯も呷った。
酒が弱く、飲み過ぎるとすぐに肌が荒れる〈下品なエロ漫画を同人誌に寄稿した〉吉富は、その日も大して飲んではいなかったが、滅多に訪れることのない生身の女と話せる機会によほど昂奮したのか、ともかく、恐らくは生身の女にこそ到底理解され難いような気がする、例の〈上履き論〉を得々と語り始めた。やれやれ──僕は声に出して言った。
博美は強度の近眼だったが、酔って壊すといけないからと、席に着くなり眼鏡を鞄にしまって、虚ろな目で酒を飲んでいた。しかし、吉富が自慢の論を唱えはじめると、こうすればよく見えるのだとでも言うように大きく開いた目を彼に向けて真剣に聞き入った。僕は、唇に触れるか触れないかの微妙な位置でグラスを止めている博美の左手を黙って眺めていた。恐らくは純銀製だろうが、手入れが悪くて光っていない──それ故に年季も感じさせる飾り気のない指輪を、彼女の薬指に見出した。男からのプレゼントだろうが、いつでも身につけている、という風情だったから、幸せな恋愛をしているに違いない。歯磨き粉でこすると綺麗になるよ、と教えてあげようと思った。いつかそのうちに。
僕は、吉富の話は何度も聞かされてうんざりしていたし、彼の、同人誌の荒廃に対する無自覚にも呆れていたので、その日の〈上履き論〉には耳を傾けていなかったが、いつものパターンからすれば、あと三十分くらいは話し続けるだろうというのは想像できた。だから、その得意気な演説が終わるまで博美の左手の薬指を眺めていようと思ったのだが、
「何が正しいかなんて、誰にも分からないじゃないですかー」
と、〈レズビアンであることを告白して長年のストレスから解放された〉朗子が、さも面倒くさそうに、でも自分こそ正しいという自信に満ちた態度で言い放った瞬間、〈下品なエロ漫画を同人誌に寄稿した〉吉富の独演会は無残にも幕を閉じてしまった。
博美はグラスを置いて、元通りの虚ろな目に戻った。朗子は店員を呼び、水っぽくて不味いカクテルをジョッキで持ってこいと注文している。酒好きな村井准教授は禿げ上がった額を紅潮させ、にやにやと笑いながら、よく飲むねえ、と朗子をからかっていた。
そんなはずはない。何が正しいか、それが誰にも分からないはずなどない。僕はそう思ったが、女の肌にしかぬくもりが感じられないのだと、編集作業の手を休めることなく語った朗子の、告白までの心細さと不自然な忍耐の継続を想起すると、何も言い出せなかった。朗子がそう言うのなら、あるいはほんとうにそうなのかもしれない。
朗子は、体内へ躊躇せずに入ってくる男たちや、女性らしく振る舞うよう厳しく躾けることを誇りに思っている両親や、同性愛者にも生きる権利はあるなどと口先ばかりの恩を押し売りする社会や、そうしたいくつもの〈土足〉で、自分の足下の〈上履きの靴底〉が泥だらけになっていくのを黙って見ていることに、今日、訣別したのだ。〈上履きか、土足か〉などという曖昧な観念論へのかすかな怒りと、少なくとも自分には分からないということは分かるのだという自信、それらが原動力となって、決して多くはない彼女の語彙から振り絞られた、
「何が正しいかなんて、誰にも分からないじゃないですかー」
という言葉は、〈下品なエロ漫画を同人誌に寄稿した〉吉富に届いただろうか。届くはずはないな、と僕は思った。でも別に、届かなくても朗子は不服に思ったりしないだろう。
博美は、吉富の〈上履き論〉について一言も発しなかった。肯定でも否定でもない、何が正しいかは分からないじゃないですかもない。一言も発しなかった。それだけだ。酒好きの村井准教授は、話を聞いていたかどうかすら分からない。誰にも分からない。