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極東のキマイラ  作者: 酒井 成駿
1/1

首都防空とレッドドラゴン


 兵舎の椅子は、やはり傾いている。

 この食堂でもそうだ。

 女性の中でも、小柄である私の重心が少し前に移動するだけで、

その都度、カタッと床を小さく鳴らす。

 それは、決して大きな音ではなく、周囲もそれを気にする様子はないのだが、

 当の本人からすると、その音が無性に気になって仕方がない。

 右隣の椅子と交換してみたが、同じように脚のバランスが合っていないのだ。

 最初から欠陥なのかわからないが、椅子くらいちゃんと直して欲しいものだ。

 このような違和感を気にするのは、別に私が几帳面だからという訳ではない。

 ただ、なにか不吉な出来事の始まりのように感じてしまうのだ。

 熟練の飛行機乗りは、少しでも違和感があると、原因を突き止めるまで飛ばないらしいが、それに似たようなものと勝手に思っている。

 日々の訓練が体に叩きこまれているのが、自分でもわかってしまう瞬間だ。

 しかし、休息の時くらいは、そのようなことを気にせずに落ち着いて食べたいものだが、どうにか解決しなければという念に取りつかれてしまうのだ。

 すでに、この不具合をどうにかしなければ、重大な事故を招くと思いこんでる。

 だけど、立ちあがって端から順に座り、傾いていないかを探すのも正直、面倒であるし、他に人がいるこの食堂で、そんな奇抜な行動をとって注目を浴びたくはない。

 それにこんな些細な理由で、椅子を探しまわること自体が、戦わず逃げることを憶え、この先、壁を乗り越えない思考の癖がついてしまうのは嫌だ。

 なので、何か隙間を埋めるものがないかと、周囲をきょろきょろと探しているのだが、丁度良い物はどうもなさそうだ。

 そうかと思い、手元の鞄を開けて探るが、これも相応しい物が見当たらない。

 仕方ない。本来、このようなことはしないのだが、最早、時間がもったいない。

 私も16歳になった。こういった問題も金銭で解決すべき時がきたのだ。

 財布から紙幣を取り出し、4つに折りたたんで、椅子と床の隙間に入れようと足元に屈みこむ。

 もう少しだ。

 重心をずらして、器用に椅子の脚を浮かせる。

 体が硬いせいか、あと少しが届かない。

 あと、もうあと、少しで・・・。

 「ちょっと、マリ、テーブルの下に潜りこんで、モゾモゾとなにしてるの」

 「えっあ、いや。あっ痛っ」

 上からした突然の声に驚き、頭をあげた刹那、テーブルに強打した。

 「なんだ。リトーナか。あっ痛たたた…いきなり話かけないでよ」

 「ご飯を食べながら、公衆の面前で足の裏を掻こうなんて、行儀が悪いよ」

 黒い油の染みが満遍なくつく年季の入った作業服を着て立つポニーテールの彼女は、食堂のトレイをテーブルに置いて、私の対面に座った。

 「違うよ。さっきから椅子がカタカタ鳴るから、これを隙間に入れようと思って」

 四つ折りの紙幣を見せると、彼女はジト目で私を見てため息をついた。

 「あのね。マリはさ、何かにしても過敏に反応しすぎて、たまに突拍子のない行動をとるけど、お金をそうやった方が罰当たると思うよ。それは気付かなかったの」

 そんな当たり前のことを指摘されると、

 「それもそうだね」

 と条件反射のように、思わず同意してしまった。

 「ちょっとは、冷静になりなよ。すぐ周りが見えなくなるのが悪い癖だよ。せっかくだから、他にも言いたいことは沢山あるわ。例えばね・・・」

 リトーナは、二つ年上のお姉さん。この飛行場では、他に歳が近い女性がいないため、いつも友達のように私に接してくれるが、どうにも世話を焼きすぎる面がある。

 とりあえず、痛めた後頭部をさすりながら、彼女の説教が一区切りするまで黙って聞く。

 むむむ、やっぱり少し腫れてきたか。これは情けないなぁ。

 「ちょっと、ちゃんと聞いてるの。」

 「ハイ。チャントキイテマストモ」

 もう、リトーナの説教は長くて耳にタコだよ。さすがに飽きてきたから、次の切れ目で強引に話題を変えてしまおう。

 「リトーナ、今日のランチ、また、カレーライス頼んだの」

 「何よいきなり、いいじゃない」

 「それじゃ栄養が偏るよ。バランス良く食べないと」

 「いいの。これが一番作り手に負担をかけないし、一度に大量生産が可能」

 「飛行機の製造工場みたく言われても」

 「早いし、美味しいし、言うことなしよ。これが一番なの」

 「なんかリトーナも変なところに拘ってるよね」

 「技術屋は、ポリシーを持て仕事しろって、毎日、師匠に言われてるからね」

 「ここの所属で、技術よりも変な癖ばかり、身についたわけだ」

 「実家に帰ったら、家族にも毎日カレーしか食べさせないわ」

 「リトーナに料理やらせたら、大変だね、1日目で飽きちゃうよ」

 「それじゃあ、マリには、私の家の椅子でも直してもらおうかしら」

 お互いの顔を見合って、吹き出して笑ってしまった。

 「ところで複葉機の修理は進んでるの」

 「全然。肝心な部品も足らないし、人手はもっと足りないわ」

 「でも飛行士はいいなぁ、ちゃんと整備士がいて本当に羨ましいよ」

 「マリは、ドラゴン使いだもんね。飛龍士って名前はかっこいいけど」

 「食事や体調管理、調教まで、私一人だから本当に大変だよ」

 「ちょっとレア職すぎるのよね。軍用ドラゴンを使いこなす仕事なんて」

 「だってさ、4年前のせいで、軍人になるしかない流れだったし、実家がドラゴン牧場だから一応、大型ドラゴンの調教師免許も持ってるし、飛行士より飛龍士の方が給料良かったし、でも調教師の雑用込みじゃ給料と釣り合わないよ。こんなの絶対におかしいよ」

  椅子の背に寄りかかると後ろに重心がずれて小さくカタッと鳴った。

 「そういえば、なんでここって東国との境界に近い飛行場なのに、ドラゴンが一匹っておかしいよね」

 「リトーナ、それは司令部に言ってよ」

 「やっぱ経費削減だよね。首都防衛の最大拠点と銘打ちながら、随分とここは中抜きされてる。速力のある単葉機が全体の1割もないと知ったら国民はどう思うかな」

 「そりゃ驚くでしょう」

 「やはり海軍連中のせいか」

 「海軍の発言力は国も無視できないからね、やっぱり陸軍の飛行場は後回しって感じかな」

 「新鋭艦の予算もつけてあげたみたいじゃん、飛行機の何百機も買えるお金だよって感じ」

 「あっそういえば、進水式いつだろ。軍港での仮装パレードやドラゴンレース見たいな」

 「進水式の時にそんなことやるの、軍港は緊張感ないね~栄えてて羨ましいわ」

  リトーナは、まるで興味がなさそうだ。

 「私さ、一度行きたかったんだよね。うちの牧場で生産したドラゴン達も出てるし、休みの日に泊まりで見に行こうよ。絶対、楽しいって」

 「ヤダ。海軍の成金連中がやるパレードなんて見たくもないよ」

 「同じ味方だし、海軍にも飛行部隊もあるし、最新の飛行機とかもたくさん飛ぶよ。綿あめもあるよ。整備士としての情熱はリトーナにないの」

 「綿あめは関係ない。相変わらずガキね。私は海に関わる連中が大嫌いなの」

  肘をつきながら不満そうな顔で舌打ちすると、コップに入った水を一気に飲み干した。

 「だってさ。今まで復興とかで大変だったし、少しくらい楽しいことしたっていいじゃん」

 「だ・か・ら。もう4年もたってるのに、前の大戦で壊れた飛行機の修理が半分も終わって

 ないのよ。ここは東国の奴らがいつ攻めて来てもおかしくない最前線なのに」

 上層部はマリと一緒で、本当に危機感ってヤツがない。とたっぷり毒を吐く。

 「大丈夫だって。もし、敵が飛んできてもドラゴンで噛みくだくし」

 「まあね、ドラゴンに敵機を落としてもらえば、一時は凌げるかもね」

 「もう、悲観的に考えすぎ、いざとなったら私に任せておいてよ」

 そもそも鈍間で脆い複葉機なんて、止まっているハエを落とすようなものだし。

 「でもさぁ、軍用ドラゴンといえども、人間の戦争で怪我したりするのは不本意よね。動物をこうやって道具にして戦ったりするものではないのに」

 「そりゃあ、戦争だし。戦っている以上、いつかは怪我くらいするよ」

 「そんなのマリだって不本意だろ、もう、軍人なんか辞めちゃえばいいのに」

 「ううん。それは違うの。私は、お父さんが東国に連れてかれてとても悲しかった。こんなことが二度と起こらないように私がここで東国からの防衛をしなきゃダメなんだよ」

 「そっか、マリのお父さんは飛行機の技術者だものね。東国もやっかいなことをしてくれたわ」

 「いつか司令部がお父さんを取り返しくれると信じてる」

 「それは、司令部というより政治家の仕事だよ」

 「うーん。政治家たちか。あの人達って、迎賓館みたいな立派な建物で各国の首脳陣や要人とパーティーをやってる感じするよね、いいなぁ。お腹いっぱい美味しい料理食べたいなぁ」

 「あーそれわかる。女性は装飾品を全身に散りばめて、イケメン貴公子からのエスコートよ」

 「ふーん、それじゃ返還も全然進まないよね。なんか不信感だよ」

 「でも憧れるよね。そんな世界。私も某国のお姫様に生まれれば、イケメン貴公子と魅惑な一夜を共にできたのに。シーツの海の中で禁断の恋に溺れるの。優しく包む彼と体を重ねて・・・」

 何度もスプーンで皿を叩き、下を向いて恥ずかしがりながら高い声をあげた。

 そして、一旦、落ち着くとリトーナは目をうるうると輝かし、汚れた作業服の袖を引っ張り伸ばして、口元を隠す。

 「イケませんわ。今夜、知り合ったばかりなのにこのような関係になってしまうのは」

 と頬を真っ赤にして、さらに激しく足を前にピンと張っては下ろしたりバタバタする。

 なんと想像力が豊かな娘だ。なにやら見てるこっちが恥ずかしくなる。

 「おい。お前ら。さっきからバカ騒ぎしおって。遠目からも行儀が悪いのがわかるぞ」

  軍靴のカツカツと床を叩くシャープな足音と共に年老いて目蓋が少し垂れ下がりながらも眼光が鋭い軍服を着た年配の男性が足早にこちらへ近づいてきた。

  二人とも勢いよく椅子を後ろに引いて、立ちあがり、その場で敬礼をする。

 「大変、失礼しました師団長殿」

 「大変、失礼しました師団長殿・・・あっ椅子が」

  私の椅子だけ脚が傾いていたせいか、そのままパタンと床に倒れた。

「政治家の連中なら好きに言っても構わんが、そのまま放っておいたら師団長の私までお前らに説教されそうで敵わん。ここで語り合うのは一向に構わんが、リトーナには、一度忠告するぞ。その薄汚い油まみれの作業服じゃ、某国の貴公子も絶対にお前を相手にせんぞ」

 真面目な顔からニヤリと笑みが零れた、私たちも一斉に噴き出し笑う。

 「さすがに今回は怒られるかと思いましたよ。かなりやばいオーラありましたし、つーか、ちゃんと内容を聞いてるじゃないですか、相変わらずの地獄耳ですね。こわいこわい」

 リトーナがストンと椅子に座り、師団長はマリの倒れた椅子を起こし、隣に座った。

 「お前ら小娘の面倒をみていれば、簡単には耳が遠くならんよ」

 「今日は練習生達と一緒に食べないのですか」

 「さすがに、朝から晩までむさ苦しい男飛行士の指導にあたるのは、精神的にもくるぞ。昼休憩くらい某国のお姫様二人と会話して食べたくなってね。少し付き合ってもらおうか」

 「ははん。さては私達のどちらかを口説きに来たのですね。それなら私の方が良いですよ。マリより胸も大きいし、スタイルも良しの大人女子ですから」

 と胸を強調して威張るような仕草をする。なんかリトーナ調子に乗ってるなぁ。

 「リトーナ。何言ってるの。師団長が口説いたりする訳ないじゃない。もう」

 師団長は、大笑いしながら、背もたれにゆっくりと寄りかかる。

 「いや、非常に残念だが、私には妻もいるし子も一人いる。まあ、私が30年若くて独身なら口説いていたかもな。それでも息子より若い女性だと考えると、さすがに気もひけるぞ」

 「えっ、師団長って、子供いたの。知らなかった」

 私も今、初めて知った。リトーナなんか目を丸くして驚いている。

 「19歳になる息子でな。北部の航空士養成学校に通っているが、どうも成績が悪いらしい。諦めて家業を継げと何度も説得しているのだが、頑固でな。まるで言うことを聞かんのだよ」

 「へえ、19歳か、それでイケメンですか。今度、一回会せてくださいよ」

 リトーナは、息子がイケメンかどうかの方が気になっているようだ。

 「ははは、容姿は至って普通だよ。だが、親の性格や生き方は似るもので、昔の私にそっくりだ。まあ、親の反対を押し切って、航空士養成学校に入って、飛行機乗りを目指すあたりの頑固さとかはどうにもならん。マリのお父さんとも、養成学校では同期だったぞ。もう30年以上も昔だがな」

 「それは父からも聞きました。女性にもてるから飛行士の道を選んだって」

 「アイツめ。それが自分の娘に言うことか。確かにそれもあったが、あの時代の人間にとって飛行機は特別な存在であった。あの鉄の塊が大空を飛ぶんだぞ。見るまで信じれんかったわ。だが、初めて空を飛んだ時に見た、国境を超えた先にある地平線の美しさは、今でも鮮明に憶えているぞ」

 「今ほど一般的ではなかった時代ですものね」

 「うむ。その通りだ。それで飛行機なんて碌に見たことない田舎者が操縦しようって言うんだから、毎日が苦労の連続だったぞ。まあ、あれほど充実した青春はなかったがな。だがな、あの時期は、同時に怖さも憶えた時期でもあった、共に学んだ同期が、修練中に速力をあげることに拘りすぎて、操縦不能に陥り、山中に墜落したことがあってな。それがきっかけで、マリの父は、飛行機の安全性をあげるための研究者になった。それが原因で東国に連れ去られちまったがな」 

 「師団長、捕虜の返還を上層部に催促できないのですか」

 父を含めた技術者の返還は、私の悲願だ。どうにかして欲しい。

 「もちろん連れ戻したいが、上層部の連中は動けんよ。それこそ戦争を仕掛ける話になる。今、もう一度戦争になれば、多くの人間が死ぬ。これは絶対に避けなければならん」

 「連れ去られた人たちは見捨てるということですか」

 「やはり、外交で平和的解決を見つけるしか方法はないが、それは我々のような軍人がやることではない。それが、お前らの批判する政治家の仕事であり役割なのだ」

 「こちらから総攻撃すれば、東国の首都まで落とせます。多く死ぬのは向こうの人間です」

 「マリ、少し落ち着け。こちらから攻撃すれば、奴らは躊躇なく技術者全員を殺害する。この問題は、慎重に進めなければならないことなのだ。これはわかるだろ」

 「無理なのはわかってます。でも、お父さんが一人で寂しい思いをしてるとか考えたら、とても可哀想で胸が痛むのです、それに実家の祖父が生きてるうちにもう一度会いたいって」

 思わず瞼から少し涙が零れ出てしまった。うう、この歳になっても情けない。

 「わかるが、今はまだ動く時ではない。マリにとって4年は長かったのだな」

 「大丈夫だよマリ。お父さんが生きているのは確認されているし、再会できるって」

 リトーナは薄ら涙を浮かべて、これでも食べて元気になってよ、と食べかけのカレーライスを私に渡す。それはいらない、とそっと押し返した。

 「それで、そろそろ本題に入るが、今日はマリにしかできないことをお願いしにきた」

 「どのようなことでしょう、師団長」

 「・・そうだな。これを使って説明しよう」

 壁に貼ってある飛行場の周辺地図を剥がして、そのまま机の上に広げた。

 「最近、妙な偵察機が、北東部部の山脈あたりを周回している噂があってな。しかも1機だ。地図でいうとおそらくこの山脈あたりに頻繁に現れるらしいのだがな」

 「そんな偵察機の1機くらい珍しくないじゃん」

 リトーナは、大した話でないとわかったのか、つまらなそうに地図を見る。

 「この偵察機を撃墜するのではなく、破損が少ない状態で捕まえて欲しいのだ」

 「捕獲ですか。わかりました。それくらいでよければ」

 何故、この偵察機を捕まえたいのか師団長の思惑がわからないが、割と簡単なことだ。

 「それには一つ難題がある。この機体がどうやら高高度を飛んでいるらしいのだ」

 「高高度とは、4000mを超えますか」

 「目撃者いわく、高度5000mを超えているらしい」

 「えっすごい。それってすごいことよ。うちの機体では、3000mの高度まで上がるだけで20分はかかるし、そもそも5000mなんて高度を保つ方も凄い。他に情報はないのですか」

 リトーナは、大きく口を開いて目を輝かせながら、師団長に詰め寄る。

 「今わかっているのは、それだけだ。真実であれば最新機を投入してきたのだろう」

 「それじゃあ、航空士は地獄ですね。その高度は酸素も薄いから酸素マスクが必要になるし、気温も100m毎に気温が0.6度下がると考えれば、地上よりマイナス30度でしょ。気温は、マイナス5度から10度あたりでしょうから、かなりの厚着をしてますね」

 「軍服の上に皮製のジャケットとオーバーコートを着ても足らないくらいだな」

 「そうですね。私なら下着にウールを絶対選びます。こう見えても冷え性なんでね」

 「確かに、兵の労働条件には同情するがな。それでこいつが、頻繁に国境を出入りし我が国への挑発を繰り返すのであれば、こっちは生け捕りにするかということが、司令部からのお達しだ」

 「東国も高性能な飛行機を出してきましたね。まあ、まだ試作機でしょうけど、我々へお披露目する意味がわかりませんね。本当に自慢でしょうか、別の意味がありそうな気が」

 「真意は理解しかねるが、捕まえて敵の航空士に吐かせてみよう」

 「拷問ですか。野蛮ですね」

 「熱くしたコンソメスープでも飲ませてやれば、自然と口が滑るに決まっておる」

 「私ならパンも要望します」

 「ははは、随分と図々しい捕虜だ。リトーナにはパンをやらないほうが拷問だな」

 「でも、高射砲で撃墜とかでいいじゃないかな。どうせパラシュートで脱出するでしょ」

 機体を見たい気持ちはわかるけど、捕まえる方がリスクが高いよね。

 「この国にある最新鋭の高射砲でも、高度5000mに到達するのに10秒以上かかる。はっきり言って、偵察機1機を狙って撃墜すること自体がとても難しいことなのだ。それでも撃墜するとなると弾薬を多く使うことになり金がかかるし、機体も損壊し研究材料にならないならば、ドラゴンに捕獲させる方が金もかからないし、綺麗な状態の機体が手に入る」

 「なるほど、高い金で飼ってやってるドラゴンから見返りが欲しいのですね」

 お金をケチるから、飛行機の修理も進まないとリトーナはへそを曲げる。

 「どうだマリ。お前のレッドドラゴンであれば、5000mくらい問題ないのだろう。あとはお前が地上からドラゴンに指示して捕まえれば終わりだ。やってくれないか」

 「アルル・・・いえ、レッドドラゴンに地上から命じて高度まで上がることや捕えることももちろん可能ですが、やはり動物です。偵察機から銃撃される危険性すら理解出来ません。そうなると、やはり私がドラゴンに乗って、その高度に上がるしか方法はありません」

 「ドラゴンの心配をしているのだな。それはわかるが、高度順応していないお前がその高度にいけば、高山病や低酸素症になるぞ。ドラゴンに指示すれば良かろう」

 「私も共にそこへ行けば、ドラゴンに安全かつ的確な行動を取らせることが出来るのです。もし、それが叶わないのであれば、残念ですがこの依頼は断らせてください」

 マリがきっぱり断ったたことに、師団長も思わず目を丸くした。

 「そうか。やはり断るのか。まあ確かに、技術力で東国が力をつけているのは脅威ではあるが、あの程度の高度まで上がれる機体は我が国にもある。危険を冒してまでに捕まえる必要はないと考えるのが我々のような前線兵士だが、それは司令部が納得してくれんだろう」

 「もし、私がドラゴンに乗って作戦を実行する場合ですが、その高度に至る準備として、しばらくの間、4,000m級の高地で2ヵ月ほど生活し順応させる必要があります」

 「そこまでは無理だ。高高度に体が順応するまで司令部は結果を待ってくれん。お前はその高度での戦闘を危惧しているのだろう。操縦者が途中で意識を失ったりすれば、ドラゴンは機銃射撃から逃れる術をもたない」

 「はい、その通りです。アルルだけをスペックもわからない新鋭機の的になることには到底同意できません。やるなら私もその高度へ上がります」

 「それはならん。貴重な飛龍士を偵察機ごときにくれてやる気なんぞない」

 「無理をさせられない。そうであれば、この依頼を断らせてください」

 「マリ、いい加減にしろ。お前は、ずっとその理由に縛り続けられるぞ」

 リトーナは、途中で話を遮るように二人の間に入る。

 「師団長。マリは、過去の失敗の傷が癒えてないだけですよ。時間が経てば」

 「もう、4年も経っているのだぞ。いくら修練では優秀でもドラゴンを単体で飛ばせないようであれば、軍人としてこの先どうしようもない。敵機が怖いのももちろんわかるが相手はたった1機だ。これはそのトラウマを克服する良い機会だと思わんのか」

  私は、地上から罠であることを見抜けなかった時、ドラゴンは撃墜される。

  高射砲で体を貫かれた刹那の断末魔は、体験した者でなければわからない。

  攻撃を受けたドラゴンは、傷から大量の血が吹き出ようと大きく翼を広げて着陸する姿が忘れられないのだ。その場に崩れ落ち全身を硬直させて、震えながらも黒い瞳から零れ出る涙も。

 「マリ、聞いているのか」

 「はい。申し訳ありませんが、今回だけは断らせてください」

 「わかった。他の腕が立つ者を派遣するように司令部へ頼むとしよう。そうすると生け捕りは無理だな。もはや撃墜するしかあるまいな。研究材料にもならない成果となる」

 「お力になれなくてすみません」

 自分のわがままを押し通してしまったような罪悪感が残る。

「これだけは覚えておいてくれ。これもお前のお父さんの情報を手に入れる貴重なチャンスなのだ。それにいざ、空襲という事態となれば、ドラゴン単体での出撃を指示する日も必ず来る。それが軍人だからな。その時は正当な理由だけでは断れないぞ。マリ、前の大戦で銃撃を受けてドラゴンを殺してしまって以来、慎重になることもわかる。だが、そのままで良いということでない」

  師団長は、一言告げると席から立ち上がり食堂から出て行った。

「マリ、気にすることないよ。ドラゴンを危険に晒さないことが第一だし、師団長はあんな風に言うけれど、結局、マリを心配してくれてるの。ほら、早くご飯食べて。持ち場に戻らないと」

時間をおいて再び、口にしたスープはすっかり冷めきっていた。

その後、リトーナと別れ宿舎へ向かい、次の修練に相応しい服装に着替え、歯を磨き、髪を一つに

まとめて、課題や資料を鞄につめてドラゴンのいる厩舎へと向かう。

4本ある滑走路の1つを横切る途中、向こうから整備士集団が来る、どうやらリトーナはいなそうだ。

一番先頭には、白ひげで顔の半分を覆う整備長がいる、彼とは先の大戦のころから認識がある人物である。

あれは、首都グランドールから約30キロ離れた温泉街で有名なマナイ市の飛行場に彼がいた時のことだ。

  あの時、怖れを知らない12歳の私はドラゴンを何体も操り、首都を空襲しようとした敵機からの防衛にあたった。いくつもの敵機を噛み砕き体当たりして撃墜させたが、運悪く、その内の一機が格納庫に墜落してしまったのだ。

  その事故で大怪我を負わせてしまった当時の整備士が、この整備長だ。

 彼は、頭に大きな傷を負ってしまったが、多くの飛行機を守ってくれたことを泣かれながら感謝されたことを良く覚えている。

 彼から言わせれば、ワシの老体が死にかけようと、飛行機が傷つくことに比べれば大したことではないらしい。あなたの頭上に敵機を落としてしまったのは、間違いなく私の過失であるにも関わらず、感謝されることほど居心地の悪いことはない。どうもあの人と接するのは苦手である。

 視線を合わせずやり過ごそうとするが、どうしてか相手は私に気付くのである。

「おーマリ様や。これからどこに行くのじゃ」

「どうも。ワン整備長さん。お久しぶりですが、そのマリ様って呼び方やめてもらえませんか」

「いやいや、とんでもない。あの空襲で死なず、こうやって齢72を迎えられたのもあなた様の

  おかげだ。生死をさまよっていた時には、天国のばあさまに来るなと言われたような気もするが」

 ガハハハっと顔をくしゃくしゃにして笑う。まるで好々爺だ。

「まあ良い。少し時間はあるかマリ様よ。少々聞きたいことがあるんじゃが」

「私はこれから修練があります。遅れると教官に怒られてしまいますので、申し訳ありませんが」

「待て。東国の偵察機についてのことじゃ、今日の教官はレシヌだろ。わしから遅刻の原因は言っておくから安心せい。それより大事なことなんぞない」

 同行する他の整備士たちは、先を急がなくてよいのですかと心配している様子だが、君らだけで行って役人に説明してこいと伝え、整備士たちに図面のような筒を持たせて先に行かせる。

「それにしても、救国の少女も立派な軍人になられたものよ。こうも軍服が似合うようになるとは、日々の成長というのは人間の過程で一番素晴らしいというのも納得じゃ」

「偵察機の件は、師団長からですか」

「いや、中央の技術者からじゃ。この要件を聞いてどうせ断ると思ったからのう。そしたら案の定じゃ。それでどうにか説得してもらえないかと頼まれていてな」

「師団長からも先ほど話を伺ったところです。あれは私の高高度への順応に時間がかかるからと」

「それはあなた様の建前じゃろ。本当の理由は、ドラゴンの悲鳴を聞きたくないのではないのか」

「それは・・・」

  思わず視線をそらしてしまった。

「ショックだったんじゃろ。マリ様が地表から出した指示で、ドラゴンは低空飛行をして敵の高射砲に晒された揚句、体を貫かれて墜落してしまったのだからな」

「ええ、そうです。私は、共に生きてきた兄弟のようなドラゴンが大粒の涙を流し、断末魔をあげるあの瞬間が、今でもずっと頭の中を巡ってるのです。正直、その瞬間がまた来るのが怖いのです。アルルは・・・いえ、ドラゴンは、地表の高射砲が危険なものと理解はできませんから、私の指示に従い墜落してしまいました」

「そうか、そうか、やはりのう。しかし、わからないのじゃが、あの時死んだドラゴンと同じ名前を軍用ドラゴンにつけて、軍人として東部前線にたつ意味はなんじゃのう」

「いや、それは・・・首都防衛のためであり、国家のためでも・・・」

「お前さんはこのままでは駄目だと思って、どうにかトラウマを乗り越えたいのじゃろ」

ワン整備長は、とても先ほどの好々爺と同一人物と思えない鋭い視線で私を見る。

「なんで、みんな私の決断を急かすのですか、経験したことない癖に」

「マリ様はとても優秀な人間じゃ。修練では難なく正確にこなす。だが、それは実践的になった途端、なにかモヤモヤがあるというか、決意にかけるように思えるのじゃよ。いつ始まるかわからない戦争を前にして、それでは駄目なのじゃ。そんな人間が最終的に一番人を死なせる」

 「私は、ドラゴンだけに危険なことをやらせたくないのです」

 「我らの国境にちょうど良い偵察機が飛んでいるじゃないか。お前に自信をつけさせるにはちょうど良い。ドラゴンの背に乗らず地上から操って捕獲してみんかのう」

「いえ、それはまだ、気持ちに整理がまだつかないので」

「そうか、それなら仕方ない」

整備長は、私の背中をポンと軽く叩き、人生色々あるもんじゃから、一つ一つ乗り越えていけば

よいのじゃとカカカッと笑い出す。空は山脈の奥まで見渡せるような快晴に似合う笑顔だ。

「どうしても単体で飛ばすのであれば、条件があります」

「おお、結構じゃ、なんじゃ、その条件とは」

「友機2機をその偵察機の前進する方向に飛ばしてほしいのです」

「ほほう。やはりドラゴンだけでは、心細いとな」

「そうではありません。アルルは、レッドドラゴンであるがため、遠目にも目立ちます。注意をそらしたいのです。偵察機は1機で相手が2機であれば、戦闘になるようなことは避けるでしょう。高高度で捕まえるのは苦労しますし、逃げるための急旋回して、高度を下げて速力を上げて逃げると思います。そこでドラゴンに横腹をキャッチさせたいのです」

 あご髭を触りながら、ああ、なるほどな。と納得されたご様子だ。

「あの偵察機を直接みたが、速力は従来の物より早いぞ。高度をさげることは期待せずに旋回中にキャッチするのだ。機体は、ドラゴンの全幅が15mとなると同規模になるが、本体を掴めばよいだけじゃからの。まあ、なんとかなるじゃろ。師団長にはわしから進言しておくぞい」

「お願いします。ですがやはり私が一緒に上がることをベストですので」

 そうじゃのう。どちらにせよ、作戦を実行する際は、上昇の手間を省くために、山の上で待機するとよいぞ。体もいくらか順応するだろと言い残し去って行った。

 

 

 ここは、航空士官学校も併設する東部地区飛行場である。

 軍科中等学校の卒業が所属した者が、航空士になるため入学し親元を離れ寮生活を行う。

 首都グランドールから200キロも離れると四方は2,000m級の山脈に囲まれる。

 盆地なので、夏が暑く冬は寒いのが難点であるはあるが、周囲に民家は少なく、飛行訓練を邪魔するような高い建物もない。自然環境豊かで山には清流が流れ、キツネや鹿、時にはリスが兵舎に来訪するほど自然豊かなところだ。また、酪農と畑ばかりなので、新鮮な肉や野菜が手に入り、ご飯も美味しいと訓練する環境としては、これほど素晴らしいところもない。

「今日の飛行修練は、軍用ドラゴンと複葉機3機との連携についてだ。マリディ・エルトワール修練生の操縦するドラゴンを中心とした敵機捕獲を想定して行う」

 マリディ・エルトワールは、私の本名であるが、最早、誰も呼ばないのだ。マリディからいつの間にかマリに変わり、そう呼ばれるのことに慣れて随分と時が経ってしまった。もはや、レシヌ教官だけが、律儀にフルネームで呼んでくれる。もうマリで良いのになぁ。

「北西トルカ岳上空200m地点に未確認飛行物体が侵入した。各機迎撃に移れ」

「了解!」

 訓練生には、両翼が2枚ある複葉機が用意されていた。両翼が1枚の単葉機に比べ速力はないが、抜群の揚力があり、操縦しやすいことから訓練生にはちょうど良いらしい。

 彼らが乗り込むとプロペラが回され、整備士が機体から離れてゴーサインが出されると1機づつ、離陸していった。私はレッドドラゴンの背についてある鞍の位置と足をのせるサドルを確認し問題がないことがわかると、口元に光る金具のハミが正しく設置されているかの確認し、ドラゴンの頭をやさしく一撫でした。良し。訓練生が全機飛び立つのを確認したぞ。

「今日も大丈夫。問題ない。行くよアルル」

 ドラゴンは、グルルとうなりをあげながら、赤く大きな体格の割に小さな黒目を私から逸らす。何か少し元気がなさそうだが、目立った外傷もないし、大丈夫だと思う。

「マリディ・エルトワール修練生、準備は良好か」

「良好であります」

「それでは、成果を期待する。発進しろ」

「了解」

 強風に吹かれ舞う青い旗が大きく何度も振られた。

「アルル号発進します」

 15mもあろう両翼を大きく羽ばたき、角度高めに飛び出した。 

 快晴だが南風が強い。先にいった複葉機は飛行が安定できず、ふらついている。

 比べて、私たちは強風なんてお構いなしだ。飛行は、かなり安定したものである。

 だが、彼らを抜いてしまうと作戦に支障が出るので少し速度を落とそう。

 この作戦は簡単だ。直径2mの青いバルーンが、地上とロープで繋がれている。このロープは途中で大きなベニヤとも繋がっており、複葉機の機銃でそれを破壊し、バルーンだけが上昇し始めると、私がドラゴンでバルーンを追いかけて、ドラゴンがロープを口でキャッチする。

 言葉で言うのは簡単ではあるが、実践の中でもこれほど難しい修練もない。そもそも素人に毛が生えた程度と言っても差し支えない連中の機銃が一発で当たることはない。

 ドラゴンは機銃が当たるまで複葉機と同じ高度で旋回するしかなく、いつ当たるかわからない事を集中力を切らさず見守らせるというのを、獣にやらせようと言うのだから難しい。

 このアルルを飽きさせることないことに集中するしかないのだ。バルーンは、地上から切れ離されれば、すぐに上昇し見失ってしまう。この修練は、そういった意味では本当に疲れる。

 初回攻撃、再度攻撃、再々度攻撃、再々再度攻撃でもやはり当たらない。

 3機の機銃でここまで当たらないのは、センスを疑うレベルだ。目標のバルーンは、相変わらず地上と繋がったままである。アルルはすでに飽きており、逆方向に飛んでいるトンビのような物に興味を持って眺めている。私も春の陽気でドラゴンのクビに寄りかかって夢心地な気分になってしまった。

 「この大馬鹿者。機銃くらいまともに当てんか。ドラゴンに乗ったアホ面のバカ小娘にも飽きられておるぞ。飛行士として恥ずかしくないのかお前ら」

 むむむ、腰の無線が騒がしい。これはレシヌ教官じゃない。うるさい爺やの方だ。

 「お言葉ですが、練習生のセンスがなさすぎて、アルルと私は飽きてしまいました。飛行隊の教官であるオスマ教官のスパルタ教育は本当に素晴らしいですね。もう引退して石材屋にでも転職したらいかがでしょうか。人材より石ころ磨いた方がまだ、人のお役にたてますわ」

 「貴様、目上の人間に対して、引退勧告とは良い度胸じゃ、確かに今年の我が生徒はイマイチだが、貴様のドラゴンは大飯喰らいで役に立たないアホ面だろ。やはり飼い主に似るらしいのう」

 「あははは。参りましたよ。アルルの遊び道具がいつになったら地上から離陸するのでしょうか。何かバルーンの調子でも悪いのでしょうか。確かに機銃の玉の方が安いでしょうが、だからと言って、修練ごときでバカスカ撃って良いものではありませんよ。次からは玉を節約する打ち方を教えていた

だきたいものですわ。我々納税者に申し訳ないと思わないのですか」

 何か言い返そうとした爺やの言葉が詰まる。顔が真っ赤になっていることが見なくてもわかる。

 この爺やとは犬猿の仲だ。ドラゴンは前時代的であるという主張を譲らない。

 ドラゴン厩舎への放火事件を起こしたり、アルルの売却許可申請書を偽造して、司令部に送りつけたことがわかった時は、その細い首を全力で締めたくらいだ。

 「そういえば、面白い噂を聞いたぞ。お前、たかが5,000mで怖気づいてるらしいな」

 「なっ、今、その話をするの。関係ないじゃない」

 「優秀なドラゴン使いなら、バルーンを5,000m超でキャッチするくらい余裕じゃろ」

 「いやいや、まず私の体を高地に順応させないと。そもそも酸素マスクもないし」

 「なんじゃ小娘。散々と偉そうなこと言ってる割に、やっぱりできんのかい」

 「そんな安い挑発にのりませんよ」

 「元々高度に生息するレッドドラゴンなら問題ないんじゃろ。あとはお前さんのガッツ次第じゃないか。まあ確かに、中等部の小娘と間違えられるくらい発育が悪いんじゃし、空気の薄いところに行って、頭まで足らなくなってしまうと申し訳ないからのう。ここれで許してやるわい」

 「このジジイ。やってやろうじゃないの、5,000m超のバルーンキャッチ」

 ほんとムカツク。どんな生き方をすれば、これだけの老害になれるのかしら。

 「おい。いい加減にしろマリディ・エルトワール修練生。オスマ教官もいい加減にしてください。貴方も高高度は危険を伴うことくらいわかってるでしょう」

  レシヌ教官が仲裁に入ったが、師団長が無線に割って入る。

 「そのチャレンジを許可する。マリやってみろ。だが、長時間その高度にいるな」

 「おっ師団長からの許可も出たぞい。おい。バルーン下に待機する生徒よ。今からちょうど3分後にロープを切断しろ。姫さんが高高度アタックにチャレンジするようだ」

 「えっ修練は中止ですか。あっはい。わかりました。3分後に切断します」

 地上にいる生徒たちが戸惑いながらも返事をする。

 「おい。証拠として、高度計は5,000に到達したら止めておけよ」

 「わかってるわよ。成功したら引退してくださいよ」

 「そんなのでいいのか。定年なんざ遠い昔に過ぎてるんじゃ。痛くもかゆくもないぞ。それじゃあ、失敗したらお主も引退じゃからな。そうじゃ、軍人やめてドラゴンレーサーにでもなれ」

 「へえ、普段やってる私達が、こんな簡単なことをヘマすると思ってるのね」

「おお、謝れば許してやるぞい」

 「絶対に後悔させてやる」

  そもそも師団長はオスマ教官に甘いのよ。放火や偽造なんて、普通は懲戒解雇よ。

 さて、頭の中で一度整理するか。

  バルーンの上昇スピードが毎分360mだから、平地からだとおよそ14分で5,000m超に到達する。トルカ岳からだと1,400m想定だから3,600mの上昇で10分後に到達。ドラゴンの上昇速度は毎分500mが最高で、実際は平均450mって考えれば、8分を超えてからバルーンをキャッチすれば、5,000mになる単純計算だけど、バルーンを追って、同速度で上昇していった方が確実だわ。ただ、必然的に高高度での滞在時間が多くなる。

4000m超えて上昇3分でバルーンをキャッチしての降下は長めに見て3分と考えて、6分程度高高度にいる計算になる。問題は低酸素ね。3,000を超えから、酸素が薄くなり始め、呼吸数・心拍数が上昇を始める。4,500mを超えれば、酸素マスクが必要な高度になる。

  長時間いれば、低酸素症に間違いなくなる。おそらく「有効意識」の保持は、安全を考えても10分と考えた方がよい。最悪は意識混濁してアルルを操縦できず安全高度である3,000mまでの下降が行わなければ、そのまま死に至るってところね。

 「どうじゃ。ギブアップするなら今のうちじゃぞ」

 「うるさい。今集中しているところなの。黙ってて」

 そして、空砲の合図と同時に青いバルーンのロープが切られた。

 「アルル。GO!GO!」

 バルーンの後を追ってと、ドラゴンのクビを叩いて合図し同じ速度で上昇を始めた。

 バルーンを見失う恐れがある要因はとりあえず三つ。

 一つに上空で吹く気流などの突風。

 二つはアルルのスタミナ切れ。

 三つめは私の体調不良による指示不能である。

 この条件をクリアすれば、ほぼバルーンに追いつくことは可能。

 それに気をつけて、ただ同じペースで追いかけるだけでよい。

 2000・・・2500・・・3000mと高度計の針が回るのを黙って見つめる。

 バルーンから離れて2m、3m下方を追いかける。

 やっぱり大丈夫。アルルの体調にも特に変化も見当たらない。

 3500m・・・4000mと変わるとやはり心拍数が早くなり、脈の鼓動が耳に伝わる。だけど、想像より酸素が薄いわけではなく息苦しくない。4500m過ぎたところからが勝負だ。

 この先は、5001mで高度計を止めてバルーンをキャッチして下降に入ればよい。

 ここでターンする際、気をつけなければならない。急に自由落下する形になり、手綱と鞍をしっかり掴んでいないと一瞬の無重力で空中に放りだされる。これが飛龍士の一番多い死因だ。

 そのような死に方だけは、末代までの恥になるので避けたい。それに地上で待つ爺やに一生笑い話として語られるのも悔しい。

 4500m・・・ついに超えた。もうすぐ5000mに到達する。

 確かに息苦しい。

 Gを受け続けたせいで横隔膜が体の下に追いやれているのがわかる。

 貧血になったようで少し目まいがする。あと、この薄着では上空の寒さは耐えられない。

 ここでは、意識を保つのに1分でも危険なことはわかった。

 なんとか5001m超えた。高度計をストップさせて、首を1回叩き大声で叫んだ。

 「アルル、そのバルーンをキャッチして」

 アルルにとって私と何度もやった修練であり、それだけで何をすべきかわかっていた。

 急激にスピードをあげて、難なくバルーンのロープをキャッチした。

 「オッケ、アルル。それじゃ下降・・ちょっと待って」

 私の目に飛び込んできたのは、例の偵察機だ。

 目の前を飛んでこちらに向かってきているじゃないか。

 しかも、両翼が各1枚しかない単葉機。やはり最新機か。

 しっかし、偵察機が単葉機である情報はなかったなあ。別の機体の可能性はあるが、どちらにせよ、機体の形状から見ても味方ではなさそうだ。

 今、格闘戦になれば速力に分がある単葉機は、相手として非常にまずい。

 複葉機の最高時速は280キロ超が一般的だが、単葉機には400キロを超えるものもある。

 軍用ドラゴンの最高速は、時速450キロだが、機械と違いムラがあり、一定には出せない。

 どうしたものか。相手は確実に赤い飛行物体を認識している。

 ましてや、レッドドラゴンは、火山帯が多い我が国だけしかいない動物だ。

 考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。

 とりあえず、腰の無線で地上へ報告しよう。

 「目の前に例の偵察機が現れました。相手は単葉機です。しかも最新機かと思われます。活路を開くため、このまま戦闘に移りたい。その実行の許可を。もう400mも離れていない。相手から攻撃されるかも知れないので、早急な決断をお願いします」

 「なんだと、単葉機だと。今、師団長と代わる。しばし待機せよ」

 もう、意識が朦朧とし始めてるのだから早くしてよ。

 「私だ。攻撃の許可はしない。その高度に長時間いるな。戦闘なんてしたらお前が意識を失うぞ。すぐに急降下しろ。決して悩むな。これは命令だ。私が全責任を持つ」

 向こうは、こちらを敵として認識しちゃっているみたいです。このままその降下体制に入ったら、追いかけられて後ろから機銃で撃たれちゃいますって。

 「相手は、どうにも私達の様子をうかがっています。先制攻撃で撃墜するチャンスです。今から下降体制に入れば、無防備の状態で後方から機銃を受けなければなりません」

 「構わん。機銃で撃たれても構わんから下降しろ。繰り返すが、これは命令だ」

 「了解」

 命令とあれば、もう従うしかない。

 しっかし、こんな危ない賭けに出る事になるとはね。

 一か八かやってみますよ。もし、追いかけてきたら、最悪アルルと墜落もあり得るか。

 「どうか神の御加護があらんことを」

 アルルの手綱を強引に横へ引っ張り、地上への下降を指示する。

 「いくよ。アルル。地上へ向けて全速で垂直に落ちろ」

 その刹那、大きく広いていた翼を折り曲げて、自由落下する。

 頭が地上に向けて垂直になると翼で風を切るようにスピードを上げて急下降し始めた。

 さて、偵察機さんは追いかけてくるかなと。後ろを見ると・・・

 やはり追いかけてきたか。最悪だ。

 空を切り裂くようなモーター音をさせて、回転数をあげてのパワー任せのドロップとは、敵ながら恐れ入った。

 しかもなんて速力だ。間違いなくレッドドラゴンの降下スピードより速い。

 不意をついた急降下なのに、徐々に距離を詰めてきている。

 まいったな。このままでは追いつかれる。

 「アルル。もっとスピードあげて」

 更に降下スピードは上がる。アルルは本当に素直で助かる。

 意識が朦朧とする私の指示にしっかりと従ってくれる。

 この角度は飛行機にはキツイでしょう。

 でも、4000切って、まだ後ろについて来る。

 しつこい奴だ。 

 これは仕方ない。なんとか生きて帰る方が先決だ。

 「アルル。バルーン離して」

 ドラゴンの口で掴んでいたロープが離れ、バルーンが上方へ放たれる。

 偵察機は、得体の知らない物体が浮かび上がったことにびっくりしたのか、避けるように垂直落下から離脱して東の方向に進路を変え、消えていった。

 よかった・・・小さい声で確かにそう言ったと思うが、私の意識の方が先に途絶えてしまったらしい。



 目覚めると低い天井があり、右腕にはで点滴の針が刺さっていた。

 いまだに朦朧とする中で、病院で良く見る薬品の入った茶色のビンと白い容器に入った消毒液が見えた。ここは見覚えのある診療所であることを理解できたことで、とりあえずの一息をつく。

 良かった。捕虜になったわけではなさそうだ。それに手足も無事に付いているということは、墜落を免れたか。どうやら、アルルが指示なしでも無事、着陸してくれたらしい。

 それにしても、あの偵察機、機銃は確認できたのに、最後まで撃ってこなかった。

 でも危うく追いつかれるところだったのは憶えている。

 高度5000mの私は、完全に高揚し冷静ではなかった。

 仮に私が格闘戦に入り、時間切れで意識喪失した場合、ドラゴンが撃墜される可能性の方が圧倒的に高い。闘わなくてよかったのだ。

 飛行機のモーターを回す大きな騒音を目の当たりにすると、主人である私の指示がない限り、ドラゴン単独で攻撃に移ることはほとんどありえない。

 機銃の存在が理解できず、不用意に近づいて射線に入ってしまうかも知れない。

 あれは、師団長の命令が正解だったのだ。

 私は、酸素マスクの着用もせず、あの飛行機に遭遇した時点で負けだったのだ。

 それにしても、バルーンを持っていたのは正解だった。

 あれを手放したおかげで、どうにか逃げ切れた。

 アレがなければどうなっていたかわからなかったな。

 ・・・バルーン。あっバルーン離しちゃった。

 「失敗したあああああああ。そうだ、肝心のバルーンを離しちゃった」

 思わず叫んでしまったと同時に白いカーテンが勢いよく開いた。

 「もう、何事よ。どうしたのよ」

 そこに立っていたのは、白衣に中はピンクのキャミソールにスカートと診療室に不釣り合いな黒いハイヒールを履いた大人っぽい女性だった。

 「びっくりさせないでよ。マリディ・エルトワール」

 赤い眼鏡に艶があるブラウンの髪をした医者は噂で聞いたことがある。

 男性飛行士の中でかなり人気のある女医のナーシャか。

 「意識がもどったのね。マリディさん。体調の方は大丈夫かしら」

 「ええ、まあ、少し眩暈がしますけどね」

 「そう。でもそんなに心配することはないわ。典型的な低酸素症ね」

 やっぱりそうか。あの高度だと意識がもたなかったか。

 「しばらくは療養した方がいいわ」

 「私、降下中に意識を失ったので、そのあとどうなったか教えてもらえませんか」

 「どうって、私は医者だし、現場にいたわけじゃないけど、飛行士から聞いた話だと、ドラゴンの背中に手綱を握り締めて横たわっていたとしか」

 「良かった。なんとか着陸させられたのですね」

 「う~ん。ドラゴンが勝手に着陸したって感じじゃないかな、たぶん」

 「さすが、私のアルル。これぞ調教した賜物よ」

 「あっでも、そのドラゴン、着陸するとすぐにあなたを咥えて背から地面におろしたとかで、あなたがここに運ばれた時は、そのドラゴンのよだれで全身ベタベタだったわよ」

 えっ、あのドラゴン主人である私を勝手に背からおろしたのか。

 「主人を残してドラゴンだけ厩舎に戻ってきたって、オスマさん大笑いしてたわよ」

 「そうでしたか」

 何か凹むなあ。ドラゴンにお荷物扱いされるなんて。

 まあ、今回は完全にお荷物だったけど。

 「それで、マリディさんにお願いなのですけど、ここにあなたを運んでくれたキリッとしたあのイケメン男性、紹介してくれないかな」

 「ああ、レシヌ教官ですね。残念ながら既婚者ですよ」

 運んできたのがオスマ爺やじゃなくて本当に良かった。

 「そう。残念だわ。とりあえず、今日は兵舎に帰らず、ここに泊まりなさい」

 「わかりました」

 「じゃ、ごゆっくりね」

 正直、消毒液くさいこの診療所は気に入らないが、こればかりは仕方ない。

 カーテンは閉められ、また一人きりになった。

 ちょっと疲れたな。少し寝る事にするか。

 「あっちょっと待って、師団長さんが来ましたわ」

 タイミングだけは、いつも丁度いい。監視でもされてるのか疑いたくもなるが、師団長はそんなことをしない。信頼できる大人であることは良く知っている。

 「おっなんだ。起きてたのか。顔に落書きでもしてやろうかと思ったが勘付かれたか」

 「まあ、今はスッピンですから、殿方にあまり見られたくありませんわ」

 笑いながら、シーツで顔半分を隠す。

 「ははは、気にするな。私も化粧はしていないぞ。訓練所の土埃で化粧するからな」

 「それは汚れです。今度、私が化粧してやりますよ」

 「それでは、次、昇進した時は、マリに化粧してもらうことにしよう」

 「師団長をパッチリな二重にしてあげますからね」

 「ははは。こうやってバカな話をしていると平気そうに見えるが、体調はどうだ」

 「概ね大丈夫です。ただ、今夜は泊っていく予定です。アルルはどうでしたか」

 「レッドドラゴンに外傷は見当たらなかったし、食欲もあるから安心しろ」

 「よかった。途中で意識を失ったから、それだけが心配でした」

 「ドラゴンも墜落するほど馬鹿じゃないよ。それでマリが遭遇した偵察機だが」

 「はい。単葉機です。速力はドラゴンより速く追いつかれそうになりました」

 「やはり最新機か。こちらも単葉機にようやく移行し始めた矢先に」

 うちの飛行場にも単葉機が増えるのか。

 「ようやく単葉機ですか」

 「まあな、南西部の海軍が優先だったから。ようやくといった感じだ」

 「師団長。ここは東国からの首都防衛拠点ですよ」

 「我々は、陸軍の飛行師団だ。先の大戦で功績をあげた海軍より優先されることはない」

 「ドラゴン一匹と鈍間な複葉機で首都防衛とは、列強諸国から大笑いされますよ」

 「お前に言われなくても、それはわかっている」

 師団長は押し黙ってしまった。本来、一番悔しいのはこの人なのはわかっているが。

 「とりあえず、偵察機の捕獲ですね。もう一度、上空に上がります」

 「友機2機で偵察機を陽動する作戦をしたいのだろ。ワン爺さんから聞いたぞ」

 「はい。しかし、相手が単葉機ということがわかってしまい、複葉機では速力だと完全に負けます。この作戦では通用しないことがわかりましたね」

 「そうか。同じ速力で機銃を撃てなければ、脅威となりえないか」

 「そういうことです」

 「司令部に報告し、こっちの最新単葉機を南西部から引っ張るよう説得しよう」

 「陸軍と海軍は犬猿の仲なのに大丈夫ですか」

 「やってみるしかない。ついでに腕利きのパイロットも要望しよう」

 「腕利きですか、頼もしいですね」

 次の捕獲作戦に移るとしよう。マリ。次も頼むぞ。

 

 

 


 


 

 

 


 

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