プロローグ
乾いた風に震えながら、それぞれの目的地へと急ぐ人々。
自らの足先を見ながら歩みを進める彼らの目には、2人の姿は映らない。
古びた校舎の屋上。所々塗装の剥がれた低い柵に囲まれて、2人は互いを背中で感じていた。
十数メートル下の地上を行く人々は、各々の防寒着に身を包んでいるにもかかわらず、2人の手や首は剥き出しのままだ。身にまとうのはこの中学校の制服のみ。
良く言えば昔ながらの、悪く言えば古臭い、紺のセーラー服に黒の学ラン。
吹き付ける風に動じないこの男女は、異空間にいるのではなかろうか。
それほどに、まさに静止していた。静かに、そこに留まっていた。
彼らを包む時間さえ、止められてしまったようだ。
膝の上で組んでいた指をほどき、少女はその右手を、冷えた屋上のゆかの上に下ろした。
振り向かずして、少年はその手に、自身の左手を重ねる。
師走の風に冷やされたその手のひらは、じんわりと汗で湿っていた。
黒く、長い睫毛が少年の瞳を覆い隠した。
反対に、乾いた薄い唇がゆっくり開かれる。
「行こうか」
澄んだ声は風の音に掻き消され、少女以外には届かない。
返事をせずに、少女は立ち上がる。
抱えていた足を傾け、スカートを軽く押さえて立ち上がるその姿は、芍薬とは言えないが、たしかに「少女」の姿だ。
立ち上がってもなお、少女は少年を振り向かない。
胡坐をかいていた足の片方を立て、その膝に片手をついて立ち上がった少年。
誰が見ても、2人は「女」と「男」である。
2人は足を進めた。
一歩一歩噛み締めるように、何かに刻み込むように、彼らに与えられた、膨大な時間を使い切ってしまうように。
息を合わせたように歩き出した彼らは、屋上の隅に、また息を合わせたようにたどり着いた。
申し訳程度に取り付けられた1メートルほどの柵を跨ぐ。
柵の向こうには、20センチメートルほどの小さな足場がある。その上に、2人は向き合って立った。
2人はここに来て初めて、互いを振り向いた。
5メートル強離れているが、2人は互いの目をしっかりと見つめていた。
風になびく髪を払うこともせずに、静かに、切なげに、見つめ合う。
少年と少女は、同時に口を開き、声を投げた。
「じゃあ、また後で」
静かに投げられたその言葉の反動に押されたように、彼らは――
息をしなくなった彼らを、1人の教師が発見した時には、彼らが持っていたはずの熱は体にも、流れ出た血液にも残っていなかった。
これは、そんな彼らの愛の話。