955 「縋付」
続き。
ベレンガリアは部屋へ入ったと同時に一緒に後ろにいた人物にそのまましなだれかかる。
背後に居たのは彼女よりやや年上の男性で、服装は枢機卿の身に付けている法衣。
グノーシス教団第一助祭枢機卿オグデン・ガーゾン・キン・クエンティン。
ホルトゥナ――ベレンガリアの後ろ盾となっている人物だ。
そして彼女の個人的なパートナーという事にもなっている。
実際、このクロノカイロスで活動するに当たっての支援を行ったのもこのクエンティンだ。
元々、このクロノカイロスにホルトゥナの入り込む余地はなかったのだが、ベレンガリアは彼に取り入る事で一定の地位を確立する事に成功した。
だが、クエンティンとベレンガリアの関係は周囲の者達に知れ渡っているので、印象は非常に悪い。
当然ながら救世主のほぼ全員から嫌われており、責任者の中ではサンディッチとフェリシティは特に顕著だった。 ちなみにヒュダルネスは男女の関係という事を加味して仕事に支障さえきたさなければ問題ないだろうと特に関心を抱いていない。 フローレンスは単純に無関心なだけだったが。
そして接点の薄かった他の司教枢機卿達からの不興もつい先ほど、見事に買い占めた事もあり物の見事に味方がいなくなった。
彼女はクエンティンから見捨てられる訳にはいかない。
その為に――
「――あぁ、オグデン。 私は貴方の為に頑張りました。 どうか、どうかこの私を――」
「皆まで言うなロッテリゼ。 私は君の事なら何でも分かっている」
――全力でこの男に愛される事は必須。
ロッテリゼというのは彼女の本当の名前だ。 貴方にだけはと教えておいた事だ。
クエンティンという男は聖職者としては枢機卿という地位に就いている点を見ても有能ではあった。
彼は生まれた時から教団の信徒として育てられ、良き聖職者であれと過ごして来たのだ。
信仰を順守する事は当然として、魔法等の戦闘技能の習熟にも力を入れていた。
剣に始まり、魔法の扱い。 一種類のみだが、権能まで扱えるに至った彼の努力と才覚は本物だろう。
聖騎士だけでなく、神父などの戦闘、非戦闘職を渡り歩き、技能を一通り身に付けた彼は選ばれるべくして選ばれたと言っていいのかもしれなかった。
だが、その人生は彼の人格形成に歪みを齎した。 否、未成熟な部分が発生したといってもいい。
それは異性に対する免疫。 彼は異性の誘惑に対して非常に脆かった。
知らずに禁欲的に自己を高めた結果だったのだろう。 ベレンガリアにそれを見抜かれた時点で、彼は絡め取られてしまったのだ。
クエンティンはベレンガリアという異性が齎す未知の感覚に酔いしれた。
特に肉欲が齎す性の快感は圧倒的で、たった数度で彼は虜となってしまう。
ベレンガリアにとってもクエンティンはちょろい男ではあったが、他所の大陸での失敗が重なった事もあり意地でも手放せなくなってしまった。 本来、彼女にとって大型犬のように無邪気に甘え――纏わりついて来るような男は好みではなかったので、一定の距離感を確保しつつ物理的な距離は開けようと画策していたのだ。
その為にリブリアム、ヴァーサリイの両大陸での暗躍を行った。
リブリアム大陸で首尾よくセンテゴリフンクスを落とす事が出来ればそこを拠点にするつもりで、ヴァーサリイ大陸ではユルシュルが勝てばそこに腰を落ち着けるつもりだったのだ。
だが、その全てが失敗した為、行き場所がもうこのジオセントルザムしか残っていなかった。
クロノカイロスの首都に入る事は非常に難しい。 何故ならここは選ばれた民――要は教団にとってそれなり以上に優良と判断された者だけが住まう事が許される聖域だからだ。
本来ならその条件を満たしていないベレンガリアは住まうどころか足を踏み入れる事すら許されない。
それもクエンティンと関係を持てたといった運があったからこその物だ。
彼女は自分の実力と勘違いしているが、この場に存在する事が許されている理由にはクエンティンの愛人といった価値しかない以上は疑問符が付く。
彼女の得意分野は体を使った篭絡とそれによる人心掌握だ。
一つ上の姉であるジャスミナと違い人材の運用に長けている訳でも、長姉であるマルキアと違い特定分野の知識に精通している訳でもない。
母親からの英才教育によって基礎知識は備えているが応用力がないので、ここまで来ると才能がないと言わざるを得ないのだ。
人を動かす事に関しても基本的に目的だけ伝えて細かい指示は現場に任せるといった方法での人員運用を行っているので、指揮能力に関してもお粗末なのは疑いようがない。
可能であるなら勢力を広げる為、もう少し外で動きたかったのだが、これ以上の出入りは危険と言う事は察していたのでもう身動きが取れない。
恐らく出る所までは可能だろう。 だが、それをやってしまうと戻る事が不可能となる。
クエンティンの権力も万能ではない。 ベレンガリアはこの聖堂内では味方がいないのだ。
その為、一定以上の人数に難色を示されると、いくら枢機卿と言えど無理を通す事は難しい。
――つまりここを出て行く事はグノーシス教団の保護を手放す事と同義だ。
もう魔導書の製法供出が済んでいる為、ベレンガリアの価値は薄い。
そして信仰心が薄いどころか皆無の外様の女を野放しにしておけるほど、ここの者達は寛容ではないのだ。 ベレンガリアは疎まれる状況を不快と感じても絶望することはない。
何故なら幼き頃、家にいる時から彼女は味方も居ない一人ぼっちだったからだ。
周囲は敵だらけ、助けなんて期待する物じゃない。 味方は自身の力で勝ち取る物だ。
利害で縛れば裏切る心配も少ない。 自身の身体に夢中になっているクエンティンはまだ裏切らない筈だ。
だから自分は大丈夫とベレンガリアは必死に自分に言い聞かせる。
――本心では理解しているのだ。
自分の価値はここではほぼ皆無に等しいと。
だからこそ彼女は必死に縋りつく。 クエンティンは自分を切り捨てられない。
その事実だけを寄る辺として。
――彼女は自身でも気付いていない事がある。
それは自身に愛されたいといった欲求が欠落している事に。
欲求自体は存在するのだが、愛する、愛される為の前提を常に求めるようになっているのだ。
今の彼女は利害でしか人間関係を構築できない。 無償の愛を与えられたとしても、真っ先に抱くのは喜びではなく疑心。 今は大丈夫でもいつかは裏切るのではないのか?
ひたすらにそんな疑いが彼女を満たす。
幼少期の経験が彼女から「信用=利害の一致」といった図式を作り出し、彼女の哲学としてその深奥に刻みつけているのだ。
「私は貴方の為に頑張るわ。 だからずっといつまでも私を傍において下さいね?」
彼女は今日も妖艶な雰囲気で、内心では必死に目の前の男に縋りつく。
その行為は少しだけ、祈りに似ていた。
誤字報告いつもありがとうございます。




