952 「馬鹿」
続き。
「ふん、あんな弱腰でよく救世主になれたものだ」
解散後、廊下を歩きながらフェリシティは鼻息荒く同僚に対する不満を口にする。
愚痴を聞いているのは隣を歩くフローレンスだ。
「フローレンス! 聞いているのか? お前はどう思うんだ? あの二人の情けなさを!」
「……別に。 どうでもいい」
矢継ぎ早に言葉を投げかけるフェリシティにフローレンスは特に反応しない。
その反応が面白くなかったのかフェリシティはやや強い口調で同意を求めようとするが、フローレンスの反応は変わらずに薄いままだ。
フェリシティはこのジオセントルザムで生まれ育ち、幼い頃からグノーシス教団の教義に染まって生きて来た事もあり、それ以外の思想――つまり教団の意に沿わない存在には非常に狭量だった。
聖剣はグノーシス教団の物。 そう言われれば彼女は頭からそれを信じ、不当に所持している者達は大罪を犯した許されない罪人。 そしてそれを知って庇う者や恩恵を受ける者達も等しく罪人。
つまりフェリシティの中にある信仰心とそれにより定められた基準に照らし合わせれば、聖剣を不当に所持しているアイオーン教団の関係者、オラトリアム、延いてはウルスラグナ王国の国民すべてが大罪人と言う事になるのだ。
――罪人にかける慈悲はない。
今の彼女の中ではウルスラグナに存在する全ての命は教団の意向に背く愚か者でしかないので、その愚者が何人死のうと知った事では――寧ろ積極的に殺しに行く事になるだろう。
恐らく今後発生するであろうアイオーン教団との戦いの指揮を任されればフェリシティは躊躇なく無辜の民を殺し、アイオーン教団どころかウルスラグナを滅ぼそうと動き出す。
そんな考えでいるものだからヒュダルネスとサンディッチに対していい印象を抱いていない。
毛嫌いしているとも言える。 逆らう者達は信仰の名の下に滅ぼせばいいだけの話なのに、グチグチとどうでもいい話を長々と続け、愚かな事に大罪人に慈悲を与えるべきだと手ぬるい事まで言い出す始末。
――何と愚かな。
フェリシティにはヒュダルネスやサンディッチが馬鹿に見えて仕方がなかった。
聖剣はグノーシス教団が持つべき物というのは分かり切っているのだ。
何だかんだとくだらない理屈を捏ねている暇があるなら、どう攻めるべきかを話すべきだろう。
そんな調子で彼女は同僚であるフローレンスへグチグチと自分が正しいと思う意見を垂れ流す。
結局の所、フェリシティはあの場では黙らされた事が気に入らなかったので、フローレンスに同意して欲しいだけだったりするのだが彼女には自覚がなかった。
フローレンスは特に何も感じずに無言で聞き流す。
一応、フェリシティはフローレンスに対して同僚としてある程度の友情的な感情を抱いてはいるが、当のフローレンスからすればフェリシティという女は「いつもキイキイうるさい女」としか認識されていないので、残念ながら彼女の友情は一方通行だった。
そんな事にも気付かずにフェリシティの舌は回転を上げる。
うるさい音を適当に聞き流しながらもフローレンスの心は凪いでいた。
彼女は教団の為にその命を捧げると決めている。 教団の定めた敵を言われた通りに斬るだけだった。
その為、フェリシティの話もヒュダルネスの話もサンディッチの意見も心底からどうでも良かったのだ。 どうせ斬る事になれば斬れと言われるのだからそれまで黙って待ってればいい。
そんな簡単な事をどうして他の同僚は理解もせずに余計なお喋りをしているのか彼女には本当に不思議でならなかった。
フローレンスには同僚を馬鹿にする意図は一切ない。
自分に理解できている事を理解できない事が不思議でならないだけなのだ。
彼女はクリステラと同様に孤児の出だった。 生まれはクロノカイロスではなかったが、本国の孤児院に引き上げられ、そこで幼少期を過ごし聖騎士となって今に至る。
今日を迎えるまでに教団の教えが骨の髄まで染みこんでいるので、もはや教団の指示こそが絶対という事は彼女にとっては常識なので疑問を挟む事すらしない。
――誰も助けてはくれない。
それは親に捨てられた彼女の根底にある思考――トラウマと言い替えてもいいものだった。
そんな彼女を拾い上げ育て上げてくれたのはグノーシス教団だけだ。
信仰によって救われた彼女にとって信じる事が出来る物は教団と信仰のみ。 フローレンスにとって教団は家で信徒の皆は家族、そして信仰は生きる目的そのものとなった。
ある意味では彼女は聖騎士の完成形と言えるのかもしれない。
ただ――人間としては非常に歪ではあるが。 だが、フローレンスのような考え方の者はクロノカイロスに住む人間の中では一定の割合で存在する為、彼女の考え方をおかしいと指摘する者はいなかった。
仮にいたとしても逆にお前がおかしいと後ろ指を指される事になるだろう。
それ程までにこの国の人口は多く、フローレンスと同様に育ち教団に全てを捧げる者の数は多い。
実際、孤児院だけでもジオセントルザムの外に大量に存在し、定期的に大量の孤児がこのクロノカイロスへと流れ込んで来る。
捨てられた、失った、殺された。 理由は様々だが、親がいなくなった子供の数は減らない。
同様に誰も手を差し伸べずに路地裏で静かに死んでいく子供もまた多いのだ。
彼等は誰にも看取られずに命を失い、しばらくすれば辺獄へと呑み込まれる。 それにより存在を記憶する者すらいないなんて事も少なくない。
そんな者達を拾い上げるグノーシス教団は彼等からすれば希望の光と言ってもいいだろう。
熱心な信徒達の結束と教団への忠誠心は非常に高く、裏切るなんて事を考える者は簡単には現れない。
一部の例外を除けば裏切るという選択肢すら存在しないだろう。
フローレンスもその例に漏れず、脳裏には教団を疑うといった発想すら出てこない。
聖剣は教団の持ち物だと言われれば、客観的に見て筋が通らなかったとしてもそうなのだろうと信じる。
教団が斬るべきと定めれば、その相手はどれだけ善行を積んだ聖者だったとしても殺すべき敵。
その考えは非常に単純だった。 そうなるように誘導された結果とも言えるが、本人の思考がそこで完全に停止している以上はどうにもならないだろう。
――その結果、使い潰されるような事になろうと。
彼女達に後悔はない。 信仰に殉じる事こそ最高の命の使い方。
何故ならそこに疑問を挟む余地が存在しないからだ。
今日も彼女は同僚の意味不明な鳴き声を聞きながら、自らの信仰心を固く保ち続ける。
誤字報告いつもありがとうございます。
 




