938 「羨望」
別視点
「……ふぅ」
私――ファティマは集まった情報を脳裏で纏めつつ、どうしたものかと溜息を吐きました。
「お疲れだね姉上」
執務室に戻って来たヴァレンティーナが苦笑しながらそう言って席に着きました。
「確か例の聖剣使い――聖堂騎士クリステラの取り込みには成功したんだろう? 正直、強力とはいえ、信頼性に乏しい外部の戦力を組み込むのはあまり薦められた物ではないと思うのだけど……」
「えぇ、最初は私もリスクを冒してでも接触するべきか迷いましたが、今回ばかりは正解だったと言わざるを得ません」
私としてもクリステラの取り込みには余り乗り気はしませんでしたが、様々な事情と相手の規模を考え、即座に使える戦力は可能な限り用意するべきと判断しました。
クロノカイロス。 グノーシス教団の本国にして世界最大規模の宗教国家。
国土という点でも大陸一つを丸ごと支配している上、内部の出入りが非常に難しく情報収集は難航していました。
相手に気取られるような真似はできないので、慎重に動かなければならない事もこの状況に拍車をかけています。
「……と言うと? 情報収集が進んでいないのは聞いているけど、そこまで不味いのかい?」
「えぇ、上空からの観測で大雑把な地形は掴めましたが、内部の様子を探る事が出来ていない有様です」
「確か海路を用いての交易はしている筈だろう? そこから何か分からないのかい?」
「直接やり取りしているのはアタルアーダルとバフマナフですが、オフルマズドと同様に上陸が許されるのは一部の人間のみのようですね。 それにディープ・ワンを警戒しているのか海上への監視が厳しくなっていて迂闊に近づけません」
「……あれだけ派手にやったんだ。 警戒されて当然か」
ディープ・ワンは現在クロノカイロスの近海で潜航して待機中ですが、これ以上の接近は確実に気付かれるので動かせません。
代わりに行き来している人員にこちらの手の者を紛れ込ませ、調査はさせましたが港までしか入れませんでした。 ならばと隠形に長けた者達による潜入を試みようとしましたが、都市部は警戒が厳重で近寄る事は難しく、断念せざるを得ません。
「探知系の魔法道具を内蔵した物見櫓でも配置してあったといった所かな?」
「えぇ、外縁の街に近寄る所までは問題ありませんでした。 ただ、街の近くには貴女の言う通り、物見櫓が大量に設置してあり、索敵圏内に入ると即座に探知される仕組みのようですね」
数日程、遠巻きに監視させましたが魔物が効果範囲内に入って十数秒で現れた聖騎士達に討伐されました。
恐らく、全ての櫓がリンクしており、一つに感知されると全体にそれが伝わるようになっているようですね。
「……なるほど。 それは厄介だ」
「オフルマズドと同程度の規模なら強引に突破しても良いのですが、クロノカイロスの首都までは相当の距離があるので突破はあまり良い手とは言えません」
「今まで戦って来た聖堂騎士レベルの戦力しかいないのであれば、数だけの烏合の衆だ。 ディープ・ワンやミドガルズオルムを使って強行突破を図り、後は首都まで入りさえすれば転移魔石をばら撒くだけでいいとは思うのだけど……」
ヴァレンティーナの歯切れは悪い。 暗に褒められた手ではないと告げており、私としても全く同じ考えで、敵の戦力を軽く見積もっての見切り発車のような行動は悪手と考えています。
クロノカイロスの戦力は未だに全容が掴めていない以上、こちらの予想を超える強力な戦力を保有している可能性は充分にあり得るので、ノコノコ無策で攻め込んで罠に嵌まるなんて間抜けは晒せません。
最低でも聖剣と魔剣が三セット存在している上、聖剣は間違いなく担い手が存在するでしょう。
少なくとも聖堂騎士クラスの実力者なので、前回に湧いて来たブロスダンとかいう雑魚とは格が違う相手となるでしょうね。
「……まぁ、絶対に何かあるだろうね。 敵地への侵攻戦で敵戦力の詳細が掴めないのは厳しいだろうから、どちらにせよ情報を掴むところからだね。 正面からが無理ならオフルマズドの時と同様に辺獄から侵入すると言うのはどうだい? それともロートフェルト様に負担がかかるから姉上的にはナシかな?」
ロートフェルト様のお手を煩わせるという点にだけ目を瞑れば非常に有用な手ではありました。
……ですが……。
「失敗しました」
「え? それはどういうことだい? 辺獄からの侵入が出来なかったと――」
困惑するヴァレンティーナに私は力なく首を振って応えます。
これは現地に赴いたロートフェルト様から聞かせて頂いた話ですが……。
「ロートフェルト様のお話では辺獄からクロノカイロスの首都への侵入を試みようとしました。ですが、辺獄側のクロノカイロスに問題があり、近寄る事さえできなかったようです。 ――実の所、あの国にはかなり明確な弱点が存在し、そこを潰せばわざわざ攻め入る必要すらなかったのですが、そうもいかなかったようですね」
本来なら精鋭で固めて本拠の最奥にあるであろう物を奪取、または破壊する工作部隊を送り込むつもりでした。
辺獄を経由する関係で転生者は使えませんが、ヴェルテクスを筆頭にこちらにも聖剣使いと戦える駒は揃いつつあります。 その為、馬鹿正直に大陸全てを相手にせず、必要最低限の戦力で最大の効果が出る手を打つのは当然でしょう。
これにはヴァレンティーナも驚いたのか信じがたいと言った表情を浮かべました。
「近寄れなかったと言うのは具体的にどういう事なんだい?」
「私も詳細までは聞かされていません。 ただ、あの方が近寄れないと言っている以上、不可能と判断するべきでしょう」
もう少し調べてから戻るとの事でしたので、詳細はその時に話して頂けるようです。 ロートフェルト様が手間をかけてまでクリステラを引き入れた理由も恐らくこれでしょう。
ならば私達はその情報を基にできる最善の手を考えるだけですが……。
「少々の事なら力技で突破するあの方が、素直に引き返すという事は相当な何かがあるんだろうね。 だけど、そうなると色々と厳しいな。 例の物見櫓で陸は駄目だし、恐らく地中と空も何らかの手段でカバーしているだろうし、一番当てにしていた辺獄もダメとなると――これってもう正面から行くしかないんじゃないか?」
もう少し調べないと断言はできませんが、本当に強行突破を主軸とした作戦になるかもしれません。
そうなると数は勿論、質もかなり重要となるでしょう。
「まだ時間はあるだろうし、アイオーン教団というデコイもある。 それまでにどれだけ戦力を増強できるかにかかっているかもしれないね。 ――あぁ、それで思い出したけど、首途氏の新しい玩具を見たよ。 何だいアレ? 凄まじい代物だったね!」
私はそれを聞いてあぁと思い返します。 報告は受けているので詳細は把握しており、ヴァレンティーナが抱く感想も理解はできますね。
グリゴリという害虫をリサイクルして戦力に組み込むというプランはとても素晴らしいものでした。
それにより誕生した新戦力は概要を聞いただけでも、使えるという確信を抱けるほどです。
……ですが……ですがっ!
完成にはロートフェルト様のお力が必要との事で、また研究所にあの方が拘束される事にっ!
ここ最近、屋敷にも顔を見せて下さらないので、ファティマは寂しいのです。
ぐぬぬ。 あの百足め! ロートフェルト様を独占して、羨ましい……妬ましい……。
首途とロートフェルト様が仲良く肩を組んでいる姿を幻視して私は羨望と嫉妬に歯噛みします。
「……あぁ、今日も姉上は可愛いな。 見ているだけで何だか幸せな気持ちになるよ」
ヴァレンティーナが何か言っていましたが、私は無視してこの先にどうするべきかを思案しました。
……それにしても羨ましい……。
誤字報告いつもありがとうございます。
 




