930 「連出」
別視点。
王都に戻ったクリステラはやや緊張した面持ちでモンセラートの下へと向かう。
すっかり日も傾いてきており、辺りも薄暗くなってきていた。
時間的に聖女も自室に引き上げている時間の筈だ。 その為、今ならモンセラートは部屋に一人だろう。
連れ出すなら何かと都合がいい。 そう考えつつ、ノックして返事を待って入室。
「あら? クリステラじゃない! こんな時間にどうしたの? 今日はエルマンと出かけるって話だったけど……」
モンセラートはクリステラの姿を認めるとベッドから身を起こして笑顔を向ける。
首には大振りの魔石が埋め込まれたネックレス。 持ち主に魔力を供給する魔法道具だ。
クリステラは挨拶もそこそこにモンセラートの側へと歩み寄る。 モンセラートは表情こそ明るいが、余り顔色は良くない。
「モンセラート……」
「……クリステラ? 何かあったの?」
明らかにクリステラの様子がおかしかったのでモンセラートは訝しむ。
余裕のないクリステラはそのまま構わずに用件を切り出す。
「事情は話せませんが貴女の治療法が見つかったかもしれません」
「……どういう事?」
クリステラの口からいきなり出て来た言葉とその表情を見ればそのまま喜ばしいと受け止められなかった。
本来なら良い話の筈なのに持って来たクリステラに朗報を持ち帰った明るさは微塵もない。
モンセラートの問いかけにも返事をしない所を見るとどう見ても何らかの事情――それもあまり良くない事があるのは明らかだ。
「……言えないの?」
「はい。 相手の提示した条件が素性を一切、明かさない事です」
「それは治療を受ける私もって事?」
クリステラは頷く。 モンセラートはそれを見てどう判断したものかと考える。
彼女は自身の症状についてよく理解していた。 同様に治療する方法が簡単に見つからないという事もだ。
ないと言い切る事はしないが、今までの枢機卿が悉く死んでいる事を考えると難しいと言わざるを得ない。
少なくとも元枢機卿である彼女が知らないという事はグノーシスですら保有している可能性は低いだろう。 そんな自分の状態を癒す手段がある?
俄かには信じがたかった。 だが、クリステラの口調には確信めいた物があるので、半信半疑となっている。 考えたが答えが出なさそうなので一旦保留とし、モンセラートはクリステラに大事な質問をする。
「クリステラ。 これだけは教えて? 貴女はその代償に何を支払ったの?」
「大した事ではありません。 ただ……」
クリステラの言葉はそれ以上は形にならなかった。
モンセラートはそれを見て何も言えなくなる。 クリステラは本気で自分を治療しようと奔走し、藁にも縋る思いで手段を見つけたと言う事は想像に難くない。
それを無にする事はモンセラートにはできそうもなかった。 だが、それとは別の懸念が存在する。
自分の治療に彼女が何を差し出したのかをだ。 説明できないという時点でそれが軽い物ではない事もまた簡単に想像が付く。 だからこそ彼女は聞かなければならないと考えていた。
「クリステラ。 貴女が私を助ける為に動いてくれているのは分かるわ。 でも、私には何を代償に助かったのかだけは知っておきたいの」
心遣いは嬉しいが、何も知らずに過ごすと言う事はモンセラートには考えられない。
助かるにしても最低限、何を代償に自分の日常が成立するのか。 それだけは知っておきたいのだ。
――だが、クリステラの返答は悲し気に首を振るだけだった。
オラトリアムとの約束で事情を話す事を禁じられているというのもあったが、クリステラが支払う代償であるクロノカイロスで強要される事を考えればどちらにせよ言える訳がない。
しばらくの間、二人は見つめ合う形になったのか、やがて根負けしたモンセラートが小さく肩を落とす。
「……分かったわ。 今は聞かない。 その代わり、話せるようになったら包み隠さず説明すると約束してくれる?」
「分かりました。 話せるようになればいつかは……」
そう答えはしたがクリステラは生涯、話すつもりはなかった。
これはモンセラートには可能な限り幸せに生きて欲しいと思うクリステラの勝手な願いだ。
「それで? 私はどうすれば良いの?」
「……このまま貴女を連れて外に出て、その後は王都から出る前に魔法道具の類でしばらく眠って貰います」
「その後は?」
「いえ、それで終わりです。 目が覚める頃には全て終わりますよ」
「そう、貴女を信じるわ」
「……ありがとうございます」
クリステラは背を向けて屈むとモンセラートはそのまま首に手を回しておぶさる。
モンセラートの重みを確認するとゆっくりと歩き出した。
外に出るのはそう難しい事ではなかった。
巡回の聖騎士と出くわせば散歩に出るとごまかしてそのままアイオーン教団の自治区から外に出ると、魔法道具で気配を消して目立たないように人目を避けつつ王都内にあるエルマンの指定した店舗に入る。 店員にエルマンと約束があると話すと奥へと通された。
奥の部屋へと入るとエルマンが待っていた。
「やっぱりエルマンも噛んでいたのね」
「……聞いていると思うが事情は話せん。 悪いな」
「言えないんでしょう? 今はそれで納得しておくわ」
エルマンはもう一度、小さく「悪いな」と詫びて二人に外套を渡す。
認識を阻害する程の効果はないが、誰か分かり難くする程度の効果はあるので身を隠すには都合がいい。 二人が身に付けている間にエルマンも同じ物を被る。
準備が出来た所でエルマンが店主らしき男に硬貨の詰まった袋を渡し、二人を連れて店外へ。
「普通に通ってもいいが、王都を出た事を可能な限り知られたくない。 警備が薄い場所を飛び越えるぞ」
「分かりました。 私が二人を担いで飛びます」
「そうしてくれ。 聖剣の強化があったら俺達を担いででも問題ないだろうからな」
「……話を聞いた時点で察してはいたけど、誰にも言えない相手なのね。 ハイデヴューネはこの事を知っているの?」
エルマンは足を止めずに小さく首を振る。
「悪いがあいつにも秘密だ。 お前にも後で話を合わせて貰う」
「話を合わせ――あぁ、いきなり治ったらおかしいからしばらくは臥せっている振りをしろって事かしら?」
「そうだ。 治療が終わった後、俺が外国の商人から特別な魔法薬を仕入れる事になっている」
「――それを飲んで私は回復するって筋書きなのね」
エルマンは答えない。 それを見てモンセラートは小さく嘆息。
「気になる事は多いけど、今は聞かないわ」
「すまんな」
何度も謝るエルマンを見てモンセラートは苦笑。
「別にいいわ。 私の為に動いてくれたんでしょう?」
明らかに気を使っているモンセラートの態度にエルマンは小さく目を伏せる。
彼はオラトリアムを信用している訳ではないが、どうにかできる相手が他にいないので縋らざるを得ない。
選択を早まったかといった思いは未だに捨てきれないが、決めた以上はやり抜くしかないのだ。
エルマンには願わくば何の問題もなく事が収まりますようにと祈る事しかできなかった。
誤字報告いつもありがとうございます。




