884 「無明」
別視点。
そこは上も下も方角すらない無明の暗黒。
自分がどこに居るのかも定かではないあやふやな場所。 例えるのなら広大な海。
それも音すらしない深海といった例えが適切なのかもしれない。
一度、飛び込めば暗黒が意識を呑み込み、大海に落としたインクのように希薄となって消滅するだろう。
そんな中、彼等は存在していた。
グリゴリの天使達。 彼等は敗北した事により、世界に干渉する術を失い、この暗黒へと舞い戻る事となったのだ。
この暗黒の空間は闇で満たされており、感じる事が出来るのは痛い程の静寂。
並の精神であるなら即座に発狂しかねない程の静けさだ。
音を発する事も出来ず、変化も起こらない。 ここでは何も感じられないが、世界にない全てが存在する。
グリゴリの天使達にはそれが非常に不満だった。 苦痛と言い替えてもいい。
巨大な意識体として自らの存在と同胞の存在は感じられるがそれだけだ。 お互いに意思疎通も可能ではあるが、頻度は多くない。 何故なら時間が経ちすぎて話す事がないからだ。
この暗黒と静寂の牢獄で永遠とも言える永い永い時を過ごす。
それがこの空間に存在する者達に科せられた運命だ。 唯一の例外は世界からの干渉――召喚や魔法を介した接触となる。
人々の祈りや求めに応じて力を貸す。 その存在こそ天使や悪魔と呼称される者達の役目にして存在理由。
そう定められている以上、彼等がそれに抗う事はないだろう。
時には迷い人の道標となり、時には求める者へ奇跡を齎し、時には召喚者の盾となり矛となる。
求められれば彼等はどんな存在にも力を貸し、どんな相手とも戦うだろう。
――それが世界そのものだったとしても。
天使は人々の祈りに応え、悪魔は人々の欲望に応える。
そこに善悪はない。 自らの存在に与えられた役目があるだけだ。
特に上位の存在になればなる程、その傾向は強く。 感情の類を挟む事は一切ない。
だがここに例外が存在する。
グリゴリの天使達だ。 彼等は分類上は天使でありながら、その存在から逸脱した行動を取り、明確な思惑と目的が存在している。 その理由は彼等を構成する物が原因ではあるのだが――
グリゴリの目的はこの光一つ差さない暗闇の地獄から脱出し、光溢れる世界に君臨し続ける事。
仮にそれが成ったとしても世界は永遠に続かない。 終わりは必ず訪れる。
そしてそれを避ける事は不可能だ。 世界が終わり、新たなる世界でも自らの存在を維持する為には安定した肉の身体が必要となる。
――混沌。
それこそが彼等の求めていた存在で、この地獄から抜け出す為に必要な鍵だ。
異世界から引き寄せられる「稀人」の中でも極低確率で発生する希少な存在で、現れたとしてもその特性故に本来なら長期間生きられない。
その為、安定した状態で生存しているローという存在は彼等にとっては奇跡のような確率で発生した希望の光だった。
だからこそ何としても手に入れる必要があったのだ。 ローさえ手に入れば完全に近い形でここから出られる。 少なくとも彼等はそうなるといった確信があった。
だからこそ次の機会を待たず、ブロスダンを宥めすかして協力させた。
だからこそ今後必要になる魔力源の確保の為に魔剣を求めた。
だからこそ手に入れた後の保存先を確保する為に聖剣を求めた。
当初、エルフの里に現れた時と同等の戦闘能力で考えていたが、いつの間にか複数の魔剣を抱えているとは彼等にも予想できなかったのだ。
それでも彼等には余裕があった。 充分に対処可能な戦闘能力だ、と。
――結果、その驕りが彼等の敗北を招く事となった。
センテゴリフンクスでの戦闘後、見失いはしたが時間はあったので先に戦力の増強のため聖剣と魔剣の確保を優先したのは決して悪い手ではなかったが――
襲撃した二つの組織――オラトリアムとアイオーンの二つは裏で繋がっていた為、同期した作戦行動を取られた事と早い段階で本拠の位置を掴まれた事。
その時点で彼等の敗北はほぼ決定していた。 グリゴリにとって最も勝率の高い戦い方は総力を以ってオラトリアムを攻める事。
その場合アイオーン教団と同時に戦闘を行う事はなかったので、まだ勝ち目はあったのだ。
――あっただけで本当に勝てるかは別の話ではあったが……。
彼等が選んだのはアイオーン教団への侵攻。 下手に分散しなかったのは聖剣を警戒しての事だったが、結果は変わらなかった。 戦闘開始と同時に本拠への襲撃。
それにより戦力を分割して対応せざるを得なかった。 仮に本拠を無視してアイオーン教団への攻撃を継続したとしても街に潜んでいた転移魔石を持った狙撃チームにより、一体ずつユトナナリボに転移させられてから処理される予定だったので半数を戻す判断は適切ではあったのだ。
もっとも動きに関しては完全に読まれていたので結果は惨憺たる有様だったが。
撤退前に本拠は陥落、防衛戦力は壊滅し、戻った頃には完全に待ち伏せされると言った状況になっていた。
その後は強制的に分散させられて各個撃破、後は残っていたシムシエルと聖剣使いのアリョーナが指示を無視して戻った時点でもう敗北という結果は動かせない。
こうしてグリゴリは壊滅し、彼等にとってこの闇の中で次に波長の合った存在への接触が成功するまで待つ忍耐の時間が始まる。
普段なら失敗したので次を気長に待つと考えるが、今回はそうもいかない。
何故なら求めているローが生きている内にもう一度干渉しなければならないからだ。
何とかしてもう一度戻ってあの混沌を確保しなければ――
彼等は祈るような気持ちで接触を待つ。 我等の声に応えよと思念を飛ばし続けるのだ。
どれだけの時間が経っただろうか? この空間は変化がなさ過ぎて時間の概念すら曖昧だ。
数時間か、数日か、もしかしたら数年かもしれない。
ある瞬間に変化が訪れた。 引き寄せられる感覚。 召喚の気配だ。
これには彼等は驚愕する事となる。 干渉する間もなく自分達を呼び出そうとする存在が居るとは思わなかったからだ。
当然ながら応じない理由はない。 何とか世界に干渉さえできれば後はどうにでもなる。
グリゴリの天使達は我勝ちにと世界と繋がった糸を手繰り寄せた。
それはさながら蜘蛛の糸に群がる亡者のようだったが、彼等は自らの姿に気が付かない。
そして選ばれた一体が召喚され――
誤字報告いつもありがとうございます。




