87 「召喚」
「…逃がしたのは痛かったか」
軽く呟く。
俺はあの悪魔の処置を終えて教会の外へ出ていた。
…それにしても驚いたな。
あの悪魔の正体がリックだったとは…。
治療…と言うよりは改修の際に記憶を見たんだが、何とも気の毒になる内容だった。
友人知人を全て喪って最後には悪魔召喚の触媒とは、憐れすぎて言葉もねえよ。
逃げた先は遺跡だろうと思って地下に降りてみたがもぬけの殻、大方隠し通路の類で逃げたんだろうが、仕掛けの動かし方が良く分からなかった上に、リックの準備もあったので戻って来てしまった。
その準備はついさっき戻って来たイクバルが手伝っているのですぐに済むだろう。
イクバルは目当てのブツを見つけて戻って来ていたが、それとは別に余計な物も見つけていた。
シェリーファだ。ヴォイドの私室で随分と酷い有様で死んでいたらしい。
何でそんな所で死んでいたのかは分からないが、大方余計な事でも知って消されたって所か。
…何と言うか運がなかったな。
俺はそれっきりシェリーファへの興味を失った。
その後、少し時間が空いたのでサベージに連絡を取ると、ハイディとの合流には成功したが住民を逃がすために聖騎士達に同行する事になったらしい。
…何をやっているんだあいつは。
そんな関係ない連中なんてほっとけばいい物を。
らしいといえばらしいか。俺には未だに理解できないがあいつにはあいつなりの何かがあるんだろう。
まぁ、面倒にならん程度に頑張ってくれ。
取りあえず得る物はあったのでそこまで気分は落ち込んでいないが、アイガーとヴォイドをこの取っ散らかった街で探すのは流石に骨だ。
ここまでやってる以上、逃げたとは考えにくい。
リックの記憶のお陰で事情も大体理解した。
上位の悪魔とやらを呼び出す為にあんな大掛かりな魔法陣を用意したらしい。
その魔法陣も完成まであと一歩だ。放棄はありえんだろう。
いっそ魔法陣が完成するまで待って、ノコノコ出て来た所を仕留めるか?
どうせ相手にするのはアイガーだけだ。
手の内は見たし、問題なく殺れるだろう。ヴォイドはリックにくれてやる約束だしな。
…魔法陣の完成?
ふと気づいた。
空を覆っている魔法陣は一ヶ所欠けている。俺が潰したからだ。
もしかしてあそこの穴を埋めに行ったんじゃないのか?
俺の思考を肯定するように欠けた所から光の柱が立ち上る。
色々と遅かったようだ。
空の魔法陣が完成し、力強く輝きを放つ。
…まぁ、居場所は分かったし良しとしよう。
俺は後ろで準備している連中に「敵の所在が掴めたから急げ」と声をかけてから走り出した。
本気で走っているので結構な勢いで景色が流れていく。
この状況になって随分と時間が経っているので、街には人気がなくなりつつある。
代わりに死体がゴロゴロしており、もうここはダメだろうなとぼんやりと思った。
人が居ないんじゃ街は機能しない。復興するにしても時間がかかるだろうな。
ついでに言うなら地下の遺跡がダーザインの拠点として使われていただけではなく、グノーシスが癒着までしていたんだ。事が露見した場合、グノーシスは不味い事になるだろう。
その辺り、一体どう収めるんだろうな?
いや、そもそも収められるか怪しい物だ。
目的地に近づくにつれて遠くから微かに戦闘による音が耳に入るが無視した。
「おや、使徒殿。奇遇ですな」
不意に声が聞こえたので足を止める。
声の方へ振り返ると、アイガーが近くの建物の上で空を見上げていた。
「良い所に来てくださいました。これから起こる事を誰かと分かち合いたいと思っていた所です」
そう言いながらアイガーは何か黒い塊――恐らくはリックの『心臓』だろう――を掲げる。
心臓は光を放つと空の魔法陣へと吸い込まれて行った。
「所でお伺いしたいのですが、我らの拠点から奪った『心臓』はどうされました?あれは一応、貴重品でして、できれば返却して頂ければ助かるので…」
「喰った」
途中でぶった切ってやった。
俺の即答にアイガーは一瞬黙る。
「……使徒殿は冗談がお上手のようだ」
冗談と受け取ったようだ。
…事実なんだがな。
さて、少し時間もあるし、聞きたい事もあるので話を続けるか。
「そう言えばヴォイドの奴はどうした?」
「同志ヴォイドですか?彼なら魔法陣完成の為の礎となってくれましたよ」
「死んだと解釈しても?」
「いえ、我々の胸の中で生き続けています」
…それを死んだと言うんだ。
突っ込みの1つも入れてやろうかと思った時、空から重低音が響き渡る。
何だこの音は?ラッパ?…にしては低いな。
近いのは恐らく管楽器の類が奏でる音だが、俺にはその手の知識はないので何とも言えない。
「何だこの音は?」
「聞こえますか?これは『終末ノ音』。明確な意思を持った存在が、召喚に応じた際に生じる世界が軋む音ですよ!」
…何だよその何とかサウンドって…。その名前、お前が考えたの?
大仰なネーミングは置いといて、何かヤバい奴が出てきそうなのは分かった。
今すぐにでもアイガーを殺せばこれは止まるんだろうか?
だが、話によるとヴォイドは死んだらしいので残ったこいつをここで殺してしまうとリックとの約束を破る事になってしまう。
…リックにはアイガーを八つ裂きにする事で満足してもらおう。
そうしている間に上空の魔法陣に変化があった。
重低音が更に響き、魔法陣から何かが這い出してくる。
魔法陣の規模に見合う巨大な黒い腕が地に向かって突き出され、それを追いかけるように頭らしき物が出てくる。
「彼の名はアクィエル。安息を阻み、全てを解き放つ者。…あぁ…あぁ…素晴らしい!素晴らしい!分かる!分かるぞ!彼の知識が流れ込んでくる!力が漲ってくる!」
アイガーは喋りながら陶酔した表情を浮かべ、その体は内側からボコボコと不自然に波打ち始めた。
どうやら上の化け物から何かしらの影響を受けているようだ。
その化け物は…と視線を向けるとちょうど魔法陣から這い出て着地した所だった。
あの図体なので、着地の瞬間に凄まじい衝撃と地響きが街に広がる。
何も知らなければ地震と勘違いしたかもしれんな。
役目を終えた魔法陣はゆっくりと薄くなって行く。
…これはこれで好都合か。
俺はサベージとイクバル、ミクソンに思念を送って魔法陣が消え次第、街から離れるように指示を出して置いた。サベージならともかく、他の2人は戦闘に付いて行くのは無理だ。
これ以上の情報収集も不要なのでさっさと逃がしてしまおう。
ちなみにサベージはハイディのお守りがあるのでそのまま離脱だ。
そうなると俺が1人であの怪獣みたいなサイズの悪魔とやりあうのか。
…やりたくねえ…。
いっそ俺も逃げてやろうかと思ったが、アイガーとこの街のダーザインの始末にリックの事もある。
逃げるのは論外だな。
「使徒殿ぉ!どうですか?私のこの力は?今ならまだ間に合いますよ?私の手を取ってはいかがですか?」
「寝言は寝て言え」
懲りもせずにふざけた事を言い出したので切って捨ててやった。
「では、仕方ありませんねぇ?力尽くと行きましょうか!」
…ほら見ろ。結局こうだ。
まぁ、タイミング的には悪くないか。
「お前の相手は別で用意している。そいつを倒してからだな」
アイガーが不思議そうに首を傾げた瞬間に高速で接近してきた何かに腕を斬り飛ばされた。
「な…っ…これは…?」
何かはいつの間にかアイガーの後ろに回り、立っていた建物の上から蹴り落とす。
アイガーは咄嗟に空中で体勢を整えて着地。襲撃者を見る。
斬りかかって来たのは白を基調とした鎧を着けた騎士だった。バイザーを下ろしており表情は見えないが堂に入った動きだ。
見た目は『白の鎧』に近かったが重量感のある『白の鎧』と違い、全体的に細く、シャープなイメージだ。
そして手に持つのは刃が光を吸い込みそうなほど黒い両手持ちの剣で、随所に豪華な装飾が施されている。
騎士はそれを重さを感じさせない動きで振ると、切っ先をアイガーに向ける。
「ヴォイド本人ではないがお前の獲物だ。やれるな?」
俺がそう言うと騎士――リックは小さく頷く。
見た所、ヴォイドの専用装備だった鎧と剣はお気に召したらしい。
しばらく貸してやるから上手い事使いこなしてくれ。
「俺はあっちの悪魔を叩く。ここは任せた」
そう言って俺は悪魔の方へ急ぐ。
…あぁ、その前にやる事があったな。
走りながらアイガーの切り落とされた腕を拾う。
確かリックの動きを止めるのに使ってたな。貰っておいてやるよ。
俺の意図を察したアイガーが声を上げようとしたが、危機を察して咄嗟に後ろに跳ぶ。
それと同時にアイガーの居た所にリックが剣を振り下ろしていた。
お陰で隙ができたので俺は妨害に遭う事なく腕を回収してその場を離れる。
後ろで戦闘が始まった気配がしたが無視。あれはリックの戦いだ。俺の出る幕じゃない。
俺は走りながら回収した腕を観察する。
掌に何やら目玉が埋まっていた。確かリックに突き出していたのはこっちの腕だったな。
えーと?制止の魔眼だったか?名前通り、動きを止める能力か。
…これを使えば対象の動きを止められるのか。
取りあえず丸ごと吸収する。
今からやりあう奴は手強そうだし、手札は多い方がいい。
走っている内に悪魔――アクィエルと言ったか?――に近づいてきた。
…とは言ってもあのサイズだ。この街からならどこからでも見えるだろうよ。
全長は20m前後って所か?頭部に肉は付いておらず頭蓋骨が剥き出しになっている。
見た所、頭部の形は人ではなく犬や狼の類か?
体は二足歩行する獣と言った感じだが、あちこちで肉が腐り落ちているのか骨や臓器っぽい物が覗いている。
俺が近づきながら観察しているとアクィエルはゆっくりと空を仰ぐ。
…何をする気だ?
訝しんでいる間に動きがあった。奴は全身――あちこちにある体の欠損部分から黒い煙のような物を吐き出し始めた。
煙は凄まじい勢いで空に昇ると魔法陣のあった辺りで拡散。
瞬く間に空を覆いつくし、街の周囲を包み込む。結果、ただでさえ薄暗かった街が闇に鎖された。
妙な事に完全に真っ暗ではなく何故か周囲が確認できる程度には明るい。
そして変化はそれだけで終わらず、今度は周囲にぽつぽつと光る塊が現れ始めた。
俺は思わず足を止めて周囲を警戒する。
光の大半は何かに引っ張られるような不自然な動きをして地面に吸い込まれて行くが、一部はアクィエルの体に吸い込まれて行く。
変化はそれだけでは終わらずに周囲で何か動く物の気配が大量に現れる。
…何だ?
俺は周囲に目を向けると、近くに倒れている死体がギクシャクとした動きで立ち上がり始めた。
起き上がった連中は「うーうー」唸りながら俺の方へ寄って来た。
取りあえず<爆発Ⅱ>で吹き飛ばす。直撃を喰らった死体達は炎と衝撃を受けて消し炭になるが、原型を留めた奴はのろのろと起き上がる。
手近に居る奴を蹴り倒して、軽く観察する。
どう見ても死体だな。死んでからそこまで時間が経っていないから腐敗も進んでいない。
まぁ、俺が魔法を喰らわせたから程よく焼けているが。
…どう見てもゾンビだな。
取りあえずお約束を試すとするか。
頭を踏み潰す。色々と周囲に飛び散ったが、無視して観察を続ける。
死体は頭を潰された後、しばらく動いて…止まった。
ふむ。やはり弱点は頭か。
しばらくすると頭があった辺りからさっきの光の塊がふっと浮かび上がった。
俺はそれを見てふと正体に気が付く。『根』を伸ばして塊を捕食。
「…やはりか」
持ち主の記憶が入ってくる。
予想通り、この光は魂か。
つまり、あの化け物は死んだ魂を呼び戻して強引に生き返らせていると言う訳だ。
…で、その場に留まったり奴に吸収された奴は戻る体がないので戻るに戻れないと。
見た所、奴に魂を喰わせるのは状況的によろしくないな。
そこで思いついた。
「俺が喰えばいいんじゃないか」
奴とやりあう前にやる事ができたな。
俺は吸い込まれつつある魂に向けて『根』を伸ばした。




