842 「義憤」
続き。
無事に勤めを終えたコンスタンサ達は安心した面持ちでユトナナリボへと引き上げる。
護衛の天使兵が居はするが、この近辺の魔物の掃討などは済んでいるのでユトナナリボ周辺は非常に安全と言っていい。
そもそも大陸中央部から北部にかけて魔物の大半を掃討しているので、今となっては遭遇する方が難しくなっている。
中央部からやや北には小さな集落が形成されつつあり、将来的にはエルフが増えて行き、この大陸に満ちる事になるだろう。
ハイ・エルフ達はエルフ達にそう説明し、コンスタンサはそのお告げを心から信じていたので、彼等の言う未来は間違いなく現実になるだろうと確信していた。
――だって、グリゴリの天使様とその御使いであるハイ・エルフ様の言う事に間違いなんてある訳がないのだから。
天使兵という労働力のお陰で開拓は急速に進み、ハイ・エルフが現れてからそう経っていないにもかかわらずここまでの発展を遂げられたのだ。 疑う余地は皆無だろう。
今のコンスタンサからすれば疑う方がどうかしているとすら思っている。
天使兵という無限の兵力に天使謹製の武具、そしてグリゴリの天使に聖剣使い。
この時点で既にエルフはポジドミット大陸の支配者といえるだろう。
この大陸を完全に手中に収めたグリゴリが次に狙うのは他の大陸――リブリアム、ヴァーサリイの両大陸だ。
その辺りはコンスタンサ達、エルフも話は聞かされていた。
少し前にグリゴリの天使達が一度、遠征に出た事があり、目的は世界に散らばった聖剣と魔剣の回収。
ハイ・エルフ曰く、グリゴリの天使達は全ての存在を導く偉大なる存在で、この世界の全ては彼等が庇護し導くべきとの事。
だが、他所の大陸に存在する聖剣と魔剣を不当に所持している者達は、本来所有するべき天使達を差し置いてその力を占有。 手放す事を拒んだのだ。
無理もない話だろう。 聖剣はほぼ無尽蔵に魔力を産み出す炉心で、魔剣は凄まじい破壊力を秘めた世界最高峰の武器なのだから。
その恩恵に肩までドップリと浸かった者達に手放せというのは酷な話だったかもしれない。
コンスタンサはその話を聞いてなんて愚かな事なのだろうと内心で聖剣と魔剣を占有している愚か者たちへの怒りと憐れみを募らせる。
――自分達の持っている物が本当は誰の所有物で、誰が持つべきかも理解できないなんて、と。
グリゴリの天使は世界の頂点にして支配者。 そしてその支配者に従っていれば間違いのない未来と幸福が約束されているというのにそれを拒んでまで自己の欲求を追求する様はコンスタンサの目には酷く醜く映った。
それにその占有している者達は凡そ、思いつく限りでこの世でもっともやってはいけない事をしてしまったのだ。
愚かな事にグリゴリの天使の神体に傷をつけた。 コンスタンサからすれば、それは想像しただけで震えがくるほどに恐ろしい所業だった。
いや、そんな事が可能であるのか?と考えてしまう程には想像を超えた出来事だったのだ。
恐らく聖剣と魔剣を使ったのだろうなといった想像は彼女にもついたが、天使達のあの神々しい姿を見て何も感じなかったのだろうか?
コンスタンサは思い返す。 初めてグリゴリの天使、その姿を目の当たりにした時の奇跡を。
灰色に輝く三対六枚の羽に彫像の様な完成された造形。
この地上に存在する者達には想像もできないような圧倒的な存在感。
五感に触れる全てが言っているのだ。 彼等は全てを導く神にも等しい存在――否、神その物だと。
彼等の姿を見て何も感じないというのは感性以前に何か異常でもあるのではないかとコンスタンサは本気で疑っていた。
天使達はこちらに干渉するのに大量の魔力を必要とするので、有事の際以外は表に出る事はない。
特に今は敵との戦いで浅くない傷を負ったとの事で、森の奥に存在する神殿で体を休めているのだ。
コンスタンサは使命感に燃える。
天使様達が動けない今こそ、自分達の頑張り所だと。
――一人一人の献身的な行動が明るい未来を切り開く。
ハイ・エルフを率いているブロスダンがいった言葉で、初めて聞いた時、コンスタンサは至言だと感動したものだ。 頑張れば結果は自ずとついて来る。
コンスタンサは小さく手を握りしめ決意を新たにした。
ユトナナリボに戻るとコンスタンサ達の仕事は終わりだ。
後は簡単な報告と挨拶を済ませて解散となる。 コンスタンサもラフアナと少し話しをした後、別れて帰途につく。
帰る途中、大量の荷車とすれ違った。
食料を積んだ荷車だったのですれ違ったのは食料の調達に出ていた者達だろう。
グリゴリが現れるまでエルフの食事は基本的に質素だった。
木の実に野草、運がいいと小型の魔物を狩って肉を食べるといった物だったが、グリゴリの影響下にある今は違う。
食用に適している魔物は捕えて飼育しており、定期的に肉が供給され、野草などは襲われる危険が少ないので収穫量が大幅に増えた。
そして何より、最も変わった点は海まで移動できるようになったので海棲の魔物――要は魚を取る事が出来るようになった事だろう。
食事の選択肢が増えた事で生活だけでなく気持ちにまで余裕が出来ており、コンスタンサも焼いた魚は好物だった。
今日の夕食は何だろうなと考えながらコンスタンサは帰宅。
着替えなどを済ませ、先に帰っていた母が食事の用意をしていたのでそれを手伝う。
日が落ちかけた所で父が帰宅。
準備が済んだ所で食事となる。 コンスタンサの家は家族間の仲は悪くなく、夕食の席ではその日に何があったのかを雑談のように話すのが通例となっていた。
母親はご近所の噂話や独身女性や男性の恋話に関心があるので、何かあればそんな話ばかりしている。
コンスタンサは学園で教えられた事や友達のラフアナとどんな話をしたか、今日に限ってはお役目の事だろう。 下界の人間達にグリゴリの天使から賜ったありがたい武具を下賜したと自慢気に話す娘に両親は笑顔で口々に褒めそやす。
父は基本的に作業の進捗の話に終始するのだが、今日に限っては違った。
「事故?」
コンスタンサがオウム返しにそう言うと父親はうむと頷く。
「父さんが関わった訳じゃないが、一緒に現場に出ている奴が関係者でな。 ちょっと小耳に挟んだんだ」
「あらやだ怖い。 その人って結局、見つからなかったの?」
「あぁ、ほんの少しの間らしいのだが、他が目を離した時に気が付けば――といった感じだったようだ」
事故の詳細は海で釣りをしていた者が行方不明になった事だ。
恐らくだが、誤って海に転落したのだろうという話だが、死体が上がっていないので生死すら不明といった何とも不気味な話だった。
誤字報告いつもありがとうございます。




