800 「影迫」
続き。
迫って来る無数の黒い腕のような物にアスピザルは障壁を展開して防ぐ。
土、風、火と様々な属性の壁を築いて防ごうと試みる。
相手の防御に関しては攻撃が吸い込まれるので突破の糸口が掴めない状態だが、仕掛けてきた場合は防げるのか?
――どうなる?
黒い腕は土の障壁に接触すると表面を這うように通り抜ける。
風、火の壁はそのまま貫通。 ただ、火の壁を通り抜けた際に何らかのダメージを負ったのか、少し細くなっていた。
「やっぱり魔力で作った影って所かな?」
躱しながら冷静に分析。 接触すると不味いのは明らか――彼の視界の端で、影に絡め取られたアラクノフォビアがそのままぐしゃりと潰されたのが見えた。
接触した時点で間違いなく終わるとアスピザルは判断。 乱戦だと味方に被害が出ると判断して、戦場から引き剥がす事を主軸に於いて回避する。
闇雲に攻撃してもあまり意味がない事は理解しているが、味方の被害を減らす意味でもバササエルの気を引くべきだ。
「時間稼ぎはできそうだけど、撃破は難しいなぁ」
バササエルと戦うに当たって、アスピザルとの相性は決して悪くない。
夜ノ森と石切ではあっさり捕まって終わりだろう。 一瞬、バササエルが逃げ回るアスピザルに業を煮やして標的を変えてくるかもしれないと考えたが、その気配はない。
――舐められてるなぁ……。
内心でアスピザルは微かに苛立ちを浮かべる。 逆の立場だったら真っ先に夜ノ森、石切、首途の捕縛に走るなと思い、バササエルがそれをやらない理由も察しがついていた。
欠片も負けると思っていないので、捕縛するにしても早いか遅いかの違いとでも考えているのだろう。
ここまで舐められると意地でも一矢報いてやりたいと言った考えが湧き上がるが、実際にここまで力の差を見せつけられると怒りも出来ないと言った所が辛い。
アスピザルの考えは的を射てはいたが、完全な正解でもなかった。
確かにグリゴリの天使達は負けるとは欠片も思っておらず、誰から仕留めても結果は変わらないと思ってはいる。 だが、バササエルがアスピザルに狙いを絞った理由は別にある。
グリゴリはここに来る少し前にある場所で戦闘を繰り広げ、勝利を収める事に成功していたのだが、少なくない代償を支払う事となった。
その際に最も激しく抵抗した存在の一つがアスピザルと似た戦い方をしていたので、バササエルの理性とは別の部分――感情が彼に対して不快感に似た物を感じさせていたのだ。
結果、彼は自分でも自覚がないままアスピザルを付け狙うと言う行動を取らせた。
ただ、それは彼等にとってやや不合理と言うだけで、結果には何の影響も及ぼさない。
だからこそバササエルもバラキエルもお互いの行動に異論を挟む事はなかった。
彼等は目的である聖剣と転生者の確保。 バササエルの能力はこういった事には非常に向いていた。
アスピザルが睨んだ通り、彼の固有能力は魔力を用いた影の操作。
影に触れた物を絡め取って拘束するだけでなく、握り潰す事も可能な非常に汎用性の高い能力だった。
だが、発生源となるバササエルの影から攻撃が伸びていると言う点を意識すれば、ある程度ではあるが軌道を読み取る事が出来る。
アスピザルは早い段階でそれに気付いていた。
加えて、物体を間に挟めば乗り越える必要があるので若干ではあるが動きが鈍る。
そして影は起点から離れすぎると消滅し、出せる数には上限があってそれ以上は出てこない。
起点と上限、後は射程距離を意識すれば逃げる事は何とかなるのだ。
だが、逃げてばかりでは勝てないので、どうにか突破口を見出さなければならない。
アスピザルはやや途方に暮れながらも懲りずに攻撃を繰り出してくるバササエルを観察し続けていたのだが――
――もうちょい粘ってくれ。 今、とっておきの準備中や、時間が来たら連中を研究所の裏――滑走路まで誘い込んでくれんか?
不意に首途から連絡が入った。 聞こえるのは彼の耳に付いた通信魔石を内蔵した魔法道具――形状はイヤーカフスに似ていて通信しつつも行動の邪魔にならない優れ物と出撃前に持たされた物だ。
――それは助かるって言いたいんだけど、その切り札って本当に効くの? 見た感じだけど、僕の相手にしている奴は物理魔法の両面で鉄壁だよ?
少なくとも簡単に突破できる手段に心当たりがない。
いや、アスピザルには一つだけ心当たりがあったが、失敗すると不味い事になるので効くと確信を持った後にしか使えなかった。
――……絶対とは言わんが、少なくとも今まで試した攻撃よりは見込みがあるはずや。
少し悩んだが、どちらにせよ手もないので乗らざるを得ないか。
――分かった。 なら僕はそっちの準備が終わるまで逃げ回ればいいんだね。
――そうや、使えるまでまだかかるからすまんが粘ってくれ。 増援も呼んどるから、雑魚に関してはどうにでもなる。
アスピザルがちらりと振り返るとオラトリアムの方からコンガマトーの群れが飛んで来ているのが見える。
――増援が来るって事は伏兵の類はない感じ?
――今の所はっちゅう前置きが付くが心配いらん。 目的も聖剣らしいし、周りは臣装持ちや精鋭で固めとるから、仮に大物が来ても多少は持ち堪えられるはずや。
――分かった。 ならもう少し頑張って逃げ回っているよ。
そう言ってアスピザルは魔石による通信を切断。
周囲を見ると確かに少しずつだが、オラトリアム側が目に見えて押し始めている。
シルヴェイラが前線で声を張り上げながら部下を鼓舞し武器を振るっているのが見えた。
夜ノ森と石切も傷を負いながらも懸命に戦っており、一番目立つサイコウォードに至っては獅子奮迅と言えるだろう。
先頭で背の武器腕を振り回し、次々と天使を粉砕していた。
――そして――
残った強敵であるバラキエルの光線をヴェルテクスが空間を歪曲させ、方向を捻じ曲げて空へと逸らし続けているのが見える。 悪魔の部位を使用する際の魔力消費はかなり激しい。
本来なら彼の能力は敵を仕留める為に使用する物であって、防御に使用するには燃費が悪すぎるのだ。
その証拠にヴェルテクスの顔色は悪く、彼にしては珍しく呼吸を荒げ、その顔は汗にまみれていた。
実際、ヴェルテクスの負担はこの戦場では誰よりも大きい。
バラキエルの攻撃は下手に躱すと周囲に被害が出るので、全て受け流す必要があるのだ。
そしてヴェルテクスは戦闘が始まってからバラキエルの攻撃を全て捻じ曲げて、被害を完全に抑え込んでいた。
アスピザルは何とか援護に行きたいとは思っていたが、目の前のバササエルがそれを許さない。
明確な勝機は未だに見えず、消耗は激しく、状況は依然厳しいと言わざるを得なかった。
長い戦いになりそうだとアスピザルは表情に疲労を張り付け、敵を睨みつけた。
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