78 「裏切」
引き続き別視点
私――シェリーファは背中に冷たい汗を感じながら目的の部屋を目指す。
向かう先は学園として使用している建物の最上階。
この事件の指揮を取っている聖殿騎士であるヘレティルト殿の部屋だ。
本来なら聖堂騎士であるヴォイド殿の部屋ではあるが、不在なので暫定的に彼が使用している。
私は何をしているんだ?自分の行動に愕然としつつも足は止まらない。
仲間を…それも自分より遥かに先達であるヘレティルト殿を疑うなど…あってはならない事だ。
先達と言う事は自分より遥かに多い霊知を持つ聖殿騎士だ。
彼を疑う事は霊知…いや、グノーシスの正義すら疑っていると取られかねない事になる。
何度も頭の中で馬鹿な真似はよせと言う声が響く。
だが、一度付いた疑念と言う名の炎は私の心をジリジリと焼き焦がす。
それにリックを始め、近しい者を奪われた人々の顔が脳裏に浮かび、私の足を動かすのだ。
階段を上り切り、長い廊下を歩き、到着。
今ならまだ引き返せる。
内なる声がそう囁くが、教え子達の顔を思い浮かべてそれを振り払う。
私は教え子達に恥ずかしくない師でありたい。
そう思うと勇気が湧いてくる。
私はやや強めに扉を叩いた。
「はい」
返事が聞こえた。退路は消えた。後は行くのみ。
「シェリーファです」
「入りたまえ」
私は失礼しますと言って入室。
ヘレティルト聖殿騎士は部屋の窓から街を眺めていたが、ゆっくりと私の方へと振り返る。
「シェリーファ聖殿騎士。君にはダーザインの捜索任務を言い渡したはずだが、何か問題でもあったのかね?」
「その任務の事でどうしてもお伺いしたい事があります」
ヘレティルト殿は小さく眉を動かすと机に向かい椅子に腰かける。
彼はもうすぐ50に差し掛かるほどの高齢だがそれを感じさせないほど若々しい。
「何かな?」
「我々の捜索個所が街外れに集中している事です」
「それがどうかしたのかね?報告によれば奴らは街外れの方に逃げたと報告を受けている。なら、その付近の捜索を命ずるのは何ら不自然ではないと思うが?」
私の質問に対してヘレティルト殿に動揺の類は見られない。
相変わらず人を安心させるような落ち着きのある口調だ。
「ですが、成果が全く出ていないにも関わらず捜査の続行。そして何より…誘拐が起こっているのは街中で…」
そう、薄々だが私自身おかしいとは思っていた。
狙い澄ましたかのように事件が起こるのは必ず街中で、私達の居ない場所だ。
…にも拘わらず捜査は全員で街外れ。冷静に考えたらいくら何でも異常と言うほかない。
そして姿を隠す術を持っていたとしても事を起こす前は一切目撃されていない。
魔法道具か魔法かは知らないが使用するのに少なからず魔力を使用するはずだ。
つまりは恒常的に身を隠すのは不可能である筈なのに目撃されない。
大規模な手引きでもなければそんな事は無理だ。
話を続けながら私は目の前の男に対する疑念を深めていった。
「なるほど」
私の話を断ち切るようにヘレティルト殿が口を開いた。
「君の話はもっともだ。確かに不自然なぐらいに我々は裏をかかれているね。事実だとしたら私はその者を裁かなければならない。……で?君は誰が犯人だと思うかね?安心したまえ。勇気ある行動をした君の事は上にしっかりと報告しておこう」
ヘレティルト殿は笑みを浮かべる。
私は言われた事の意味を理解して…鎚か何かで殴られたような衝撃を受けた。
「…わ、私に犯人を決めろ…と?」
口の中が乾いて声が上手く出ない。
これでも言葉を選んで「お前が怪しい」と言った。
それに対するこの男の反応は「誰が犯人がいい?」と聞いているとしか取れない。
要するに犯人を指定してその人物を裁くと言っているのだ。
私に…この私に…賄賂を受け取れと?
ヘレティルト殿は何も言わずに笑みを浮かべている。
瞬間、私の心に広がったのは真っ赤な怒りだった。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
気が付けば私は腰の愛剣を引き抜き斬りかかっていた。
「やれやれ。残念だよ。君はもう少し賢い女だと思っていたのに」
ヘレティルトは机を蹴ってこちらに飛ばしてくるが、私は知った事かと机を切り捨てる。
斬る!この男だけはここで斬らねば!絶対に!
「<偽眼:盲目の視点>」
私の剣がヘレティルトを捉えたと思った瞬間、視界が闇に染まった。
「な、ゴボッ」
脇腹に熱と激痛。刺されたと認識する前にそちらに剣を振るい、鎧の魔法効果<白の光>を発動。
闇を打ち払う。視界が戻り私の目に映ったのは正面から飛んできた拳だった。
「っ!?」
咄嗟に躱しながら剣を突き出す…が剣は何もない空間を貫く。
「なっ…」
「そう、そこだ」
声が聞こえたと思った頃には私の両腕が肘から切断されて血が噴き出す。
「ふう。白の鎧は頑丈だからね。切断するにも継ぎ目を狙わないと刃が通らないのが厄介だよ」
馬鹿な…何故、拳打と同時に斬撃を繰り出せる。
私の突きが空を斬った感触を思い出して悟った。
「幻…覚…?」
「正解。君に向かって飛んできた拳だけが幻覚だ。反応の良さが命取りだったね」
私はそれでも諦めずに蹴りを入れようとしたがヘレティルトの剣はそれを許してくれなかった。
一瞬で後ろを取られ、膝裏を斬られた私は立ち上がる事も出来ずに床に転がる。
絨毯が血を吸って赤く染まっていく。
「あーあー。困った事をしてくれるね君は。血で汚してくれたその絨毯、結構高いんだよ?」
言いながら倒れた私を蹴り転がして仰向けにする。
「さて、こうなってしまっては仕方がない。シェリーファ君?君にいくつか質問がある。正直に答えてくれれば楽に死なせる事を約束しよう。…でも君が協力的ではない場合、私は悲しくて君を酷く痛めつけてしまうだろう。どちらが得かよく考えてみようか?」
「…さっきの視界を塞いだものは…ぐっ!」
顔を蹴られた。奥歯が折れて口から零れ落ちる。
「悪いんだが余計な発言は控えて貰えるかな?君相手なら正面からでも十二分に勝てるが、この後用事があってね。手間を省くために使ったんだ。正直、貴重品なんで使わされて私はひどく不快だよ」
恐らくはダーザインから提供された魔法道具の類か。
だが、それ以前にあの身のこなしは何だ?不意を突かれたとはいえ同格の私がここまで簡単に…。
出血のせいか思考がまとまらない。この違和感は一体…?
「質問は簡単だ。この事を誰に話したかだ。さ、答えたまえ」
私は口を噤む。
それを見てヘレティルトの顔が笑みで歪む。
「そうか。では仕方がないな。貴重品を使ったお陰で時間にもまだ余裕があるし。まずは止血と行こう」
魔法で治療される自分の体を見ながら、あぁ…これで終わりなのかと諦観にも似た気持ちが湧き上がる。
ただ、教え子達に何もしてやれなかった事が心残りだった。
街に点在する広場。噴水があり、普段は住民達の憩いの場であったそこは血飛沫が飛び交う地獄となっていた。
黒ローブが様々な武器を手に住民を手あたり次第に殺している。
それを見て俺――リックはその状況が理解できなかった。
…何だこれは…何が起こっている。
「お前等ぁぁぁぁぁ!!」
真っ先に飛び出したレフィーアが叫びながら既に黒ローブの1人と切り結んでいる。
立ち直った俺も剣を抜いて近くの敵に切りかかった。
右、左、突きと斬撃と刺突を織り交ぜた攻撃を繰り出す。
黒ローブは両手に持っている短剣で巧みに防ぐ。
俺は攻撃を続けながら違和感を覚える。
…反撃してこない?
横目でレフィーアの方を見るが、そちらも彼女の攻撃を防ぐだけだった。
だが、他の住人に対しては容赦なく攻撃を加えている。
何故…。
「あ~らよっと」
脇腹に衝撃。体勢を崩して地面に転がる。
起き上がろうとしたが、黒ローブ2人に両腕を捻り上げられ地面に押し付けられた。
「…が、何が…」
「おいおい。リック。脇が甘いぜ?」
「ガー…バス?」
目の前のガーバスは突き出した足を下ろす。
ガーバスが俺を蹴り倒したようだ。
「ガーバス…あんた一体何を…?」
レフィーアも驚愕に固まっている。
ガーバスは何て事のない顔で手の甲を見せるとそこには彼自身が言っていた悪魔と手の平を模った紋章が浮かび上がった。
「お前…まさか…」
「悪いな。残念ながらそのまさかだ」
…ガーバスがダーザイン?何故、いやそれ以前にいつから…。
「まー。色々と言いたい事もあるだろうが、時間が押しててな」
ガーバスは背の大剣を引き抜くとレフィーアに向けて構える。
「レフィーア。最後の勝負だ。お前が勝てばリックは解放する。負けたら…まぁ、言うまでもないか」
「ガーバス…!」
レフィーアは表情を怒りに染めて細剣をガーバスに向ける。
周囲に居た黒ローブ達は距離を取って広場の出入り口を塞ぐ。
どうやら2人の戦いに手を出す気はないようだ。
「ご覧の通り邪魔はさせねぇ。1対1だ。ま、いつもと違うのは命のやり取りだがな」
「上等。死んでも恨まないでね」
「お互いにな」
2人は同時に踏み込んだ。
初手はガーバス。速い。どう見てもいつものガーバスの踏み込みじゃなかった。
レフィーアは目を小さく見開いて躱すが、ガーバスの攻撃は止まらない。
何度か躱していたが、捌き切れないと判断したのか後ろに飛んで大きく距離を取った。
「…やるじゃない。今まで手を抜いていたの?」
「いーや。一応、本気だったぜ?悔しいが剣技じゃお前の方が上だよ」
レフィーアは何かに気づいたかのように一瞬、目を細める。
「…あぁ、何かで底上げしてるのね」
「そんな所だ。卑怯とは言わんよな?」
ガーバスは「殺し合いだぜ?」と付け加えて口の端を吊り上げる。
対するレフィーアは表情を消して細剣を突き出すように構えて腰を沈める。
「道具に頼らないと女1人相手に戦えないなんて男らしくないわね」
「男以前にダーザインで冒険者なんでな」
「あっそ」
そう言ってレフィーアは地面を踏み砕く勢いで地を蹴って突っ込む。
ガーバスは受けて立つと言わんばかりに大剣を振りかぶる。
互いが間合いに入り斬撃と刺突が交差。先に届いたのはガーバスの大剣だ。
狙いは首。ガーバスはレフィーアの首を刎ねるつもりだ。
俺は止めろと叫ぼうとしたが何故か声が出ない。
いや、声は出ているのに音がしないのだ。
俺を抑えている黒ローブに視線を向けると、何やら魔法を使っているようだ。
確か<沈黙>と言う魔法があったな。効果は効果範囲内の音を消す。
恐らくそれを使ったのだろう。徹底して俺に何もさせない気か。
レフィーアは身を低くしながら細剣の鍔で大剣の腹を下から殴りつけて強引に軌道を変えてやり過ごし、更に踏み込む。
…上手い!細剣の鍔は拳を守るために柄を包むような形をしている。それで斬撃を弾いたのか。
だが、弾いた事で彼女自身も体勢を崩している。
レフィーアは細剣での攻撃にこだわらず腰に差した予備の短剣を抜き、体ごと突き刺そうと大きく踏み込む。アレなら技術は要らない。
短剣はガーバスの胴体に吸い込まれるように向かい…間に差し込まれたガーバスの掌に突き刺さった。
「なっ!?」
「あっぶねぇ…なっ!」
ガーバスは大きく仰け反ると自分の額をレフィーアの頭頂部に叩きつけた。
「ぐっ…!」
レフィーアは咄嗟に頭を庇いながらも細剣で突こうと持ち上げる。
「近けぇよ。それじゃ無理だ」
「かはっ」
ガーバスはレフィーアの腹に膝を叩き込む。彼女の口から苦痛の息が漏れる前に顔面に拳が入る。
細剣が手から零れ落ちる。
「悪いな。お前とは散々やってるから癖や動きの傾向はお見通しだ」
「…かはっ」
レフィーアは怒りと困惑が混ざった表情でガーバスを睨む。
「防がれた事が不思議か?…種を明かせば簡単な話だ。初めから片手で振ってたんだよ」
…あの速度を片手で!?
つまりガーバスは常に片手のみで攻撃し、反対の手を温存してレフィーアの攻撃に備えていたのか。
「さて、ネタばらしも済んだし締めと行くか」
落ちた細剣を蹴り飛ばして、手に刺さった短剣を引き抜いて捨て、大剣を振りかぶる。
…止めろ!もう勝負は着いた!レフィーアはもう戦えない!
そう言おうとしたが、声は出ずに口だけが虚しく動く。
拘束を外そうともがくが動けない。
「最後に言い残す事はあるか」
「………あんたは最低よ!この裏切り者!」
「分かり切った事をどうもありがとう。じゃあなレフィーア。今まで楽しかったぜ」
振り下ろした。




