782 「失調」
別視点。
――速い。
ゼナイドは襲いかかって来る茂の攻撃を際どい所で躱す。
解放を用い、凄まじい速度で飛び回ってゼナイドに襲いかかっていたが、何とか凌げているのには理由があった。
まずは限定された空間である屋内である事、それにより軌道が読みやすかった点。
もう一つが茂の戦闘経験の浅さ。 彼女には虚実を織り交ぜるなんて芸当は不可能なので、真っ直ぐに飛翔して口吻による刺突を狙う。
攻撃手段と軌道が読めるのなら、回避は充分に可能だった。
――だが、それ以上は難しい。
動きは読めるが純粋に速いので、回避に専念するしかないのだ。
突っ込んで来た茂の突進を回避。 その巨体が壁をぶち破って突き抜けて行く。
『雑魚の癖にチョロチョロしてんじゃねぇぇぇぇぞぉぉぉ! 死ね死ね死ねぇぇぇ!!』
異国の言葉で喚き散らしながら彼女はゼナイドを射殺そうと飛び回る。
ゼナイドは狙いを絞らせない為に廊下を走り、捉えられそうになった所で手近な室内に飛び込んで回避。
その速さにはヒヤリとさせられるが、ゼナイドはどうにかなると考えていた。
転生者に関して彼女はある程度の知識は持っているので、解放状態が長時間維持できずに切れると大幅に弱体化する事を理解している。 その為、時間まで逃げ切れば問題ない。
可能であれば捕縛したい所ではあったが、そんな余裕はないのでゼナイドは茂を仕留めるつもりだった。
そもそも言葉が通じないので会話も不可能な上、正気を失っている。
こうなってしまった以上は殺す以外の選択肢がないのだ。
対する茂は過剰に投与された薬物のお陰で、恐怖心や戦闘に関する忌避感は消滅。 ただ、ひたすらに異常に高いテンションで敵と言われた相手に襲いかかるだけの存在となり果てていた。
視野と思考は極限まで狭まり、敵を仕留めて優越感を得る事だけを考えている。
それがどういった意味を持つのかすら考えられず、とにかく殺せばいい。 殺さないといけないと目の前のゼナイドを執拗に付け狙う。
痛みすら感じていないので攻撃を外して壁に突っ込んでも全く意に介さない。
ゼナイドは廊下を抜けると城の中央――吹き抜けになっているホールに入る。
逃げ回っている内にここまで来てしまったか、と冷静に考えていた。 広い所は余り好ましくないので、対面の通路にでも飛び込もうかと考えていると――
「っ!?」
近くに嫌な気配を感じ、咄嗟にバックステップ。 同時に壁が破壊されて、何かが現れた。
人間とは大きく異なるシルエットでゼナイドは即座に新手と判断。
円形の胴体に背には赤みがかった鮮やかな体色と黒い斑点。 日本ではテントウムシと呼ばれている昆虫に酷似したその生き物は手に長柄のハンマーを握りしめている。
どうやらそれで壁を破壊して現れたようだ。
身体の大きさは人間のそれを逸脱しており、既に解放を使用しているのか動きは速い。
『ウ、ウヒヒヒヒ、お、お前を殺せば俺は帰れるんだ! 帰るんだ! 帰るんだ!帰るんだ!』
狂ったように笑いながら帰る帰ると喚き続けているのは茂と同じ、アイオーン教団から脱走した転生者だ。
井戸本 晋三。
彼も例に漏れずに異世界での現実に心を折られ、葛西が竹信を引っ張り出した一件を見て危機感を覚え脱走。 その後の逃亡生活中、ホルトゥナに勧誘され、言葉巧みに戦力として組み込まれた。 当然ながらそのままでは使い物にならなかったので、薬物で正気を消し去られて戦うだけの存在に仕立て上げられた。
彼はベレンガリアに敵を倒せば帰れると囁かれそれを固く信じた井戸本は、彼女の定めた敵であるゼナイドに襲いかかる。
『帰る! 帰る! 俺は帰る!』
『死ねえ! 死ねえ!』
二人は同じ単語を繰り返しながらゼナイドに襲いかかり、連携が取れていないとはいえ手数が増えたことにより一気に劣勢に立たされる。
――流石に二人相手は厳しいか。
これは無理に撃破を狙わずに振り切る事を視野に入れるべきかと冷静に状況を分析。
移動先を対面から階段に変――
『死ねぇぇぇ!!』
茂が吹き抜けに飛び出し退路を塞ぐ形で襲いかかる。
狙ってやった訳ではないが、結果的にゼナイドにとっては嫌な動きになった。
ちらりと彼女は井戸本の武器を一瞥。 階段は諦めて別の手段を模索。
茂の突進を回避し、わざと体勢を崩して井戸本の攻撃を誘う。 極限まで視野が狭まった井戸本は簡単に誘いに乗り、渾身の力でハンマーを振り下ろす。
転がるように回避すると、ハンマーのヘッド部分は目標を捉えずに床を破壊。 下階への大穴が開く。
狙い通りとゼナイドは開いた穴から飛び降りる。
ゼナイドが視界から消えた事で二人の転生者は喚きながら彼女を探しながら、手近な物を手当たり次第に破壊し始めた。
「……見境なしか。 これは付き合ってられないな」
そのまま階段へ向かおうとしたが、別の気配に気が付いてたたらを踏む。
一瞬遅れて天井から何かが落ちて来た。 さっきの二人とは別で、天井に張り付いていたようだ。
『あは、あは、あは、お、おおおお、女、女だ』
異国の言葉でゼナイドに粘着質な視線を向けるのは三人目の異形。
人型からは完全に逸脱しており、全身から毛のような物が生えた細長い姿。
巨大な毛虫に似た姿を持つその男も、他の二人と同様に正気を失った転生者だ。
芋山 達至。
例に漏れず引き籠っていた元アイオーン教団の異邦人だ。
彼は異世界転生と聞いて美女、美少女ハーレムを期待して裏切られたクチなので、非常に女に飢えていた。
流石に巨大な毛虫の相手は気持ち悪かったのか、ベレンガリアは寝技に訴えず戦えば女はより取り見取りだと囁いておいたのだ。
当然、薬で理性が消し飛んでいる芋山は目の前にいるゼナイド――雌に夢中となり、荒い息を吐きながら口から臭い涎を垂らす。
視線の意味を察したゼナイドは思わず嫌そうに顔を顰める。
『女ぁぁぁぁ! ヤらせろぉぉぉぉ!』
彼も他と同様に解放状態なので巨大で動きも素早い。
ゼナイドは回避しながら斬りつけるが、付けた傷が直ぐに塞がるので半端な攻撃は無意味と悟る。
芋山は近くの壁に突っ込んで奥の部屋へ入って行ったが、破壊音で気付かれたのか上の二人が降りて来た。
『見つけたぁぁ! 死ねぇぇぇ!』
『帰る! 帰る! 帰る!』
三対一。 これは勝てないと冷静に判断し、戦闘は無謀と考え、思考を逃走する事にだけ狙いを絞る。
――少し危険だがやるしかないか。
ゼナイドは井戸本のハンマーを躱し、茂の突進を吹き抜けから飛び降りる事で回避。
重力に引かれみるみる速度を上げて落ちて行くが、途中の階の手摺りを掴み、壁に剣を突き刺して落下速度を殺して一階のエントランスホールへ。
高速で飛行できる茂は直ぐに追いついて来たが、残りは――
井戸本は茂ほど速くはないが飛行して追ってきており、残りの芋山に至ってはそのまま飛び降りて来たのだ。
結構な高さからそのまま叩きつけられたのだが、芋山は特に痛みを感じておらず即座にゼナイドを組み敷こうと襲いかかる。
『女、女、女ぁぁぁ!』
飛び降りて即座に突っ込んで来るのは予想できなかったので、反応が僅かに遅れたゼナイドは剣で迎撃しようとしたが、不意に突っ込んで来た芋山が何かに殴られたかのように横に吹き飛ぶ。
何だとゼナイドが攻撃者の方へと視線を向けると、空間から滲むようにその姿を現したのはカメレオンに似た姿の転生者――葛西だ。
「……間に合ったか」
葛西はゼナイドを庇うように前に立ち、三人の同郷者に剣を向けた。
誤字報告いつもありがとうございます。




