780 「蚊飛」
続き。
やはりここだったかとゼナイドは安全な場所で高みの見物決めていた女を睨みつける。
護衛は獣人。 間違いなく話に聞いていたホルトゥナの者だろう。
全部で三人。 二人が戦闘態勢に入り、残りの一人――全身フードで覆った者だけは動かない。
獣人だけあって長柄の斧や肉厚の剣と重量がある武器を持っていた。
「一応、警告する。 この怪しげな魔法を解いて父を元に戻して投降するのなら、悪いようにはしないと約束しよう」
対峙するベレンガリアはゼナイドの警告を鼻で笑う。
「申し訳ありませんが、それはできない相談ですね。 そちらこそアイオーン教団の方を説得するようにご協力いただけませんか? 聖剣はあなた方には過ぎた力。 適切な運用を成せる組織に預けるべきでは?」
「貴様らが聖剣に相応しいと?」
ゼナイドの目が細まる。
ベレンガリアはええと自信満々に頷く。
「ふん、笑わせるな。 聖剣は自ら資格のある者を選ぶと聞く。 貴様等が真に聖剣に相応しいと言うのならとっくにそちらに行っているのではないのか? わざわざ、寄越せなどと言っている時点で貴様等の言に正当性などない」
ゼナイドはベレンガリアを見てこういう女かとその性格に凡その当たりを付けた。
自信満々に見えるが、所々に人の機微を窺うような意地汚さがある。
それはエルマンのように反応から思考を読もうとする行為ではなく、何か利用できないかといった他者を顧みない汚泥のような汚らわしい濁りの様な物に見えた。
何故、ゼナイドはベレンガリアに対してそう感じたのかと言うと、これと同じような目をした人間を見た事があったからだ。 それは誰か? 答えはユルシュル王だ。
あの男の場合はベレンガリア程、人の機微に聡くないので力で捻じ伏せようとするが、他者を自分の安心できる型に嵌めようと言う点では共通していた。
手段こそ対極だが、根底にある部分は非常に似通っているとゼナイドは感じており、一目見た瞬間からこいつは気に入らないと強い不快感を抱く。
対するベレンガリアもゼナイドに対していい感情を抱かなかった。 真っ直ぐな眼差しに他者の話に耳を傾けない頑なな姿勢。 彼女にとって自分の話を聞かない人間は会話する価値すらないと思っていた。
そもそも会話が不可能と言う事は利用が出来ない事と同義。 つまりは無価値となる。
「……そうですか。 残念です」
ベレンガリアは部下に小さく顎でゼナイドを指す。
獣人二名は即座に魔導書を抜いて起動させようとするが――
「舐めるな!」
ゼナイドは持っていた剣を片方へ投擲。 剣は魔導書ごと獣人の胴体に突き刺さる。
同時に反対側の手で魔法を使用。 光の球が発生し獣人の目を晦ませる。
「<第一――」
「遅い!」
無傷の獣人は目を庇いながらも構わず、魔導書を展開させようとする。
ゼナイドは魔導書に関しては一度見ているので対処に関しては既に考えていた。
起動してから悪魔の力を得るまでにタイムラグがあるので、その前にどうにかすれば問題はない。
魔導書が起動して獣人の体に変化が起こる前にゼナイドは足を振り上げて獣人の股間を蹴り上げる。
「――!?」
声にならない声を漏らして悶絶する獣人から魔導書をひったくるように奪い、そのまま殴りつける。
魔導書は分厚く、表紙などに金属や魔石を使用しているのでそれなり以上に硬い。
角を利用して顔面を数発殴打し、崩れ落ちた所で剣を引き抜こうとしているもう一人も奪った魔導書を突き出すように殴る。
いい所に命中したのか歯が折れ飛んであちこちに散らばり、獣人が苦痛に呻く。
その隙に刺さっていた剣を引き抜いて喉を一閃。 結果を見届けずにもう一人へと歩み寄り、目玉に剣を突き立て、捻ってとどめを刺す。
仕留めた手応えを得た後、剣を引き抜き、軽く振って刃に付着した血液を床に叩きつけ、手に持ったままの魔導書を後ろに投げ捨てた。 魔導書を一度見ている事も大きかったが、相手の技量が低かった事も幸いした。 これが彼女の兄であるゼンドルであったなら、ここまであっさりと仕留める事はできなかっただろう。
ゼナイドはふんと小さく鼻を鳴らす。 言外に弱いと言っているのだろう、それを正確に理解したベレンガリアはやや不快気に表情を歪めたが、安い挑発だと思い直す。
「……これは仕方がありませんね。 手駒も尽きた事ですし、私はこれで失礼させていただきます」
「逃がすと思っているのか?」
「えぇ、貴女の相手は彼女が務めてくれるので、『ではお願いしますよ? 勇者様?』」
ゼナイドの射殺すような視線を平然と受け止めたベレンガリアは残った護衛に異国の言葉でそう声をかけると全身フードの護衛が前に出て、着ていた外套を脱ぎ捨てる。
露わになったその姿は――
『は、はは、あたしは勇者……ひひ、悪の暗黒騎士め、せ、せせ、成敗してやるわ』
二枚の羽にやや細い足と四本の腕、昆虫特有の顔にガチガチと開閉する口からは口吻と呼ばれる針の様な器官が出たり入ったりしていた。 蚊と呼ばれる生き物に酷似したその存在は、女性の声で異国の言葉を紡ぐ。
それを見たゼナイドは眉を顰め、忌々し気に呟いた。
「――異邦人か」
異邦人。
自らを転生者と呼称する。 異世界から現れた存在。
元来、人であったが、魔物や虫と同化して姿を獲得する特性を持つので、個体差が激しいと言うのがゼナイドの認識だった。
逃げ出した者がユルシュルに合流しているかもしれないという話は彼女の耳にも入っていたので、現れた事に驚きはない。
元々、何もかもに嫌気が差して逃げ出すような根性の連中なので、出て来たとしても脅威たりえないとはエルマンの言だったが、何かされたのか異国の言葉が分からない事を差し引いても言動がおかしい事は彼女にも理解できた。
茂 雙葉。
元々、アイオーン教団の保護下にあった異邦人だ。 気が弱いというよりは我が儘な性格で、他と同様に思い通りにならない現実に嫌気が差して引き籠った身だったが、当人達曰く「葛西の横暴」を見てアイオーン教団を見限って脱走。
その後、行く当てもなく仲間二人と途方に暮れていた所をホルトゥナの息のかかった人間の勧誘により加入したといった経緯があったが、当然ながらベレンガリアは彼等を囲い込むだけで済ませるつもりは欠片もなかった。
研究は進んでいる。 正確には上から下りて来た技術の一つだが、転生者にも効果のある薬物の存在だ。
彼女はそれにより理性を溶かして操り易いように調整され、今ではベレンガリアの傀儡と化している。
薬で理性や恐怖心を消し去られてはいるが、戦闘技能が皆無の存在なので使い方には限りがあって便利とは言えない。 だが、こう言う場では非常に有用だった。
「では、私はこれで。 『勇者様、その邪悪な騎士を仕留められれば栄光は貴女の物ですよ?』」
「っ!? 待て!」
ゼナイドが止めようとしたが、ベレンガリアはいつの間にか取り出した転移魔石を使用して転移。
代わりに魔石が現れ落下した後に砕け散る。
「くそっ、やはり転移か!」
『じゃ、邪悪な暗黒騎士め! 死ねぇぇぇぇ!』
茂は羽を震わせて飛行。 同時に全身から異音が響きその全身が巨大化。
転生者の切り札である解放だ。 ゼナイドはそれを見て小さく舌打ち。
異邦人の能力は大雑把に聞かされていたので、解放の厄介さは理解している。
彼等は元来、優れた身体機能でゴリ押してくるので、技量が低いと油断はできない。
苦しい戦いになりそうだとゼナイドは聞きなれない言語で喚き続ける異形を睨みつけ、武器を持つ手に力を込めた。
誤字報告いつもありがとうございます。




