776 「切札」
続き。
ベレンガリアの用意した切り札の説明にユルシュル王は目を見開いた。
確かにこの女の言う切り札はこの厳しい現状を打開できるかもしれない物だ。
だが、支払う代償が大きすぎる。 仮に勝てたとしてもこの先、かなり苦しい日々が続く事になるだろう。
「御心配には及びません。 戦力なら私が連れて来た獣人の精鋭が控えておりますので、復興が成るまでは何とか繋ぐ事も可能でしょう。 それに獣人とは別に私が用意した特別な戦力も提供する用意があります」
ユルシュル王は思わず腰のホルダーに納められた魔導書に触れる。
彼の為に用意された特別製で、他よりも強い力が出せる物だ。
彼は迷っていた。 このままこの女を信じても良いものかと。 自信満々に用意したであろう魔導書は容易く打ち破られ、敵は目と鼻の先にまで迫っている。
ユルシュル王は基本的に成功は自分の手柄と考え、失敗は人の所為にするのでここまで追い詰められたのもベレンガリアの魔導書が思った以上に使えなかったからだと考えていた。
王としての威厳を保つために我慢はしているつもりだが、目の前のベレンガリアには見抜かれた上に器の小さな男だと馬鹿にされているのだが本人は気が付いていない。
「領地や民など奪って増やせばよいのです。 日頃から仰っているではありませんか「勝者こそが正しい」と。 ここで勝利を収め、貴方の――ユルシュル王の正しさを天下に知らしめるのです!」
ベレンガリアの真摯に見える眼差しと言葉にユルシュル王はうぅむと唸る。
大抵の事には躊躇わない彼だったが、こればかりはと二の足を踏む。
しかし、今のユルシュルに選択肢がない事もまた事実だった。
このまま行けばユルシュル王は確実に殺されるか捕らえられるかするだろう。
仮に逃げたとしても今の彼に行き場はない。 周囲の元領主達は全て力で従え、重税を課して搾取を繰り返して来たのだ。 頼った所で追い返されるか王国に突き出されるかの二択だろう。
その程度の事は今の彼にも予測できたので、逃げると言う選択肢が取れないのだ。
降伏するか? 有り得ない。 ここまでの事をやってしまった以上、彼は許されない。
厳しい尋問の後、見せしめに処刑されるのが目に見えている。
詰まる所、彼が生き残るにはベレンガリアの提案に乗る以外に選べる選択肢がない。
そのベレンガリアもここで最低限の成果――情報を手に入れないとクロノカイロスへ帰れないと考えていたので、表面上は平静を装っていたがさっさと頷けと苛立っている。
ただでさえ立場が危うくなっているので、何かしらの有益な情報か成果が必要だった。
幸いな事に王国軍側――アイオーン教団にエロヒム・ギボールがある事が分かったので、本当に最低限ではあるが手土産となる情報は手に入ったが可能であれば現物を手に入れたい。
その為、ユルシュル王には意地でも頑張って貰わねばならなかった。
「王よ! ご決断を!」
ベレンガリアは急かすように決断を迫る。
やるのなら準備が必要だ。 裏で進めているが、術者であるユルシュル王がその気になってくれないと成立しない。 その為、何としても頷いて貰わねば困るのだ。
彼女は焦りつつも表に出さず、ユルシュル王に決断させると言う形になるように促す。
「……準備にどれぐらいかかるのだ?」
「僭越ながら王ならばご決断してくださると信じていたので、裏で進めております。 今から急げば夕刻までには準備が完了いたします。 後は民を集めて頂ければ……」
せめてもの抵抗にと準備にどれぐらいかかると尋ねたが、ベレンガリアは即答。
窓から外を見ると日は傾きかかっている。 つまりはもう間もなく準備が終わると言っているのだ。
ユルシュル王は長く沈黙していたが、重々しくその口を開いた。
「分かった。 始めるとしよう」
こうしてユルシュルでの最後の戦いの準備が整った。
ユルシュルの住民は不安に震えていた。
戦争に関しては結果が伝えられていなかったが、どうなったのかは半ば以上に察していたのだ。
彼等は生まれ育った場所から離れられない、離れたくないと言った気持ちで残っていた者達なので、ユルシュル王――その家に対する思い入れはほぼ皆無と言って良い。
度重なる横暴に耐えており、寧ろ嫌悪さえしている者も多かった。
その為、一部と言うには多すぎる数の住民達がユルシュルの敗北を歓迎していたのだ。
独立し、支配体制が切り替わってからユルシュルは衰退の一途を辿っていた。
外との交渉や共生は欠片も上手く行かず、成功した事と言えば併呑した他領から搾り取るばかり。
それも最初だけで、早々にオラトリアムに敗北し流通を代償に多大な負債を背負う事になった。
結果、民の生活はどんどん苦しくなっていく。
これに不満を覚えるなと言う方が難しい相談だろう。
実際、王国に所属していた頃に比べると民の生活水準が落ちたのは紛れもない事実だ。
増税による物価の上昇や若者の強制徴兵など、不満の種は数え上げればキリがない。
そうなれば民はこう願うのだ。 さっさと王国に負けて元の生活に戻してくれと。
外には王国軍が来ており、それを知って助けを求めようと街を出ようとする者も現れたが堅牢に固められた街の外縁は外からの侵攻を阻むだけでなく内からの存在を逃がさない檻としても機能する。
逃げられない住民は従いつつもユルシュルの敗北をただただ願った。
彼等が王国軍の到来を今か今かと待っていた頃、騎士達が街に現れお触れを出したのだ。
「聞けい! これより我等が王のお言葉を伝える!」
叫んで住民を集め、街のあちこちで騎士は王からの指示を住民達に伝える。
内容は街の各地にある広場に集まれとの事。
指定された広場には巨大な魔法陣の様な物が描かれ、そこに立つようにと騎士に追い立てられる。
陣の配置はベレンガリアが専門の者にユルシュルの地図を渡して書き起させた物で、最低でも住民の半数近くを放り込めば起動に成功すると言った代物だ。
彼女の姉は命を数字と割り切り、目の当たりにする事を無意識に拒んでいたが、彼女自身は違った。
ベレンガリアという女は自己の幸福の為なら何人死のうと意に介さない。
だからこそ、このような儀式を躊躇せずに行えるのだ。
――準備は整った。
術の起点は城から少し離れた広場にある魔法陣。
中央にはユルシュル王と彼の魔導書。
これから何が起こるかを知っているので表情にはやや緊張が浮かんでいた。
魔導書。
その使用には段階がある。
第一は限定的な身体融合。 第二は使役。 第三は限定的な精神融合による固有能力の使用。
ここまでは個人単位で可能な領域だ。
だが、第四以上ともなるとそうもいかない。 得られる力は強大だが、使用する為のハードルは極めて高いのだ。 その為、このような大舞台を整える必要があった。
ベレンガリアの知る限り、現状で魔導書から引き出せる最大の力だ。
――本来ならもう一つ上の段階があるのだが、開発者の姉の所から盗み出した資料でもあるとしか記載されておらず、どうやって動かすのかすらも不明な代物だった。
「では王よ。 準備は整いました。 始めてください」
ベレンガリアがそう言うとユルシュル王は頷いて魔導書を起動。
彼が力を得る為の儀式が始まった。
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