768 「怒沼」
続き。
その場所へ飛ばされたユルシュルの者達は絶望的な表情で地面に這い蹲っていた。
正確には縛り付けられていて、動けないのだ。
転移させられたと同時に地面に赤黒い沼の様な物が発生。 粘性を持っているかのような質感のそれは、魔力の塊であると同時に熱の塊でもあった。
転移による混乱のお陰で、彼等には跳んで躱すという選択肢は選べなかったのだ。
熱の沼は生き物のように彼等を絡め取って地面に引き倒しその熱で焼き続けている。
周囲には肉を焼くような音と苦痛のうめき声が幾重にも木霊していた。
「あ、ぐ……誰でもいい! 何とか抜け出すんだ!」
「分かっている! だが、立てねぇんだよ!」
騎士の一人がそう叫び、他がそう言い返す。
彼等は転移前に魔導書を使用しているので、完全に戦闘態勢を取ってはいたのだ。
第一を使用している者は悪魔との融合で強大な身体能力を、第二を使用している者は悪魔を使役しているのだが――前者は振りほどけずに動けなくなっており、後者は呼び出した悪魔諸共動きを封じられている。
転移して十数秒で数千の兵が行動不能となったその悪夢の様な光景。
それを成したのは一人の女。 腕には腕輪型の臣装、片手には魔導書。 編み込んだ黒髪を揺らしながらゆっくりと歩いて来ていた。
「……あぁ、大人しい事はいい事ね」
女――ケイティは護衛のスレンダーマンを伴って能面のような無表情を張りつけつつユルシュルの者達へと近づく。
「どうもこんにちは、ユルシュルの皆さん」
表情とは裏腹に優し気な声でそう言うが、どう返した物かと誰も返事をしない。
三秒ほど返事がなかった所でケイティは手を開いて――握る。
同時にあちこちで悲鳴が上がった。 拘束の圧力と熱量が上がったからだ。
「――挨拶しているのだから返事しろよ」
ケイティは手近に居る騎士の側頭部を蹴り抜くと騎士の首はボールか何かのように胴体から千切れて飛んで行く。
唐突に起こったその光景にその場に居た騎士達が凍り付く。
「あー、あー、あー、まったく――本当にまったくもって鬱陶しい」
不意にその表情が憤怒に歪む。 その変調と圧力に周囲の騎士達の表情が強張る。
それほどまでに彼女から発せられる雰囲気は剣呑な物だった。
「これでも! 私は! 領の! 管理という! 仕事が! 忙しいんだよ!」
言いながらケイティは手近な騎士の頭部を蹴り飛ばす。
蹴られた騎士の頭部は漏れなく胴体と泣き別れてあらぬ方向へと飛んで行く。
「それを! お前等は! 下に付け!? 寝言は寝てから言えよ! このカスが! お陰で! 余計な! 仕事が! 増えただろうが!」
ケイティは予定を崩される事を非常に嫌う。 本来ならしなくていい事をさせられるのは、彼女にとって五指に入る程、不快な事だった。
悪魔を使役という形で召喚している者はともかく、融合して強化されている者の頭部も彼女の蹴りで簡単に千切れ飛んで行く。
「ゴミが! 謝れ! 死んで謝れよ!」
「や、止めろ!」
呪詛の様な物を垂れ流しながらプチプチと騎士を一人ずつ殺していたケイティの凶行を止めようと一人の騎士が声を上げたが――
「――あ?」
ケイティは笑顔でその騎士に近づくとその頭を地面に押しつけるように踏みつける。
ジュウジュウと肉が焼ける嫌な音と悲鳴が響く。
「ああああああ、やめ、やめて、あつ、熱い――」
ケイティは無表情にぐりぐりと執拗に騎士の頭を地面に押し付ける。
痛みで気絶したのか悲鳴が途切れるとつまらないといった表情で、他と同様に頭を蹴り飛ばす。
この昏い沼の様な物は彼女が権能で出現させた代物だった。
第三小鍵 『憤怒』。
『Ανγερ ανδ φολλυ ςαλκ σιδε βυ σιδε, ςιτη ρεμορσε στεππινγ ον τηε ηεελς οφ βοτη.』
憤怒の権能の一つ。 その能力は対象を拘束して熱で焼き続けると言う物で、威力と拘束力は対象に対する怒りの量で決まる。
そしてこの能力の最大の特徴は対象を焼くと同時に魔力を吸い上げてその傷を癒すのだ。
結果、この沼に絡め取られた者は文字通りの生き地獄を味わう事となる。
ただ、使用に際して必要な魔力が膨大なので、臣装で補っている。
その為、これだけの人数を拘束しても涼しい顔をしていられるのだ。
あちこちから響き渡る騎士達の悲鳴を聞きながら、ケイティは苛立ちを呪詛のように垂れ流しながらプチプチと騎士を殺し続ける。
護衛のスレンダーマン達は上司の凶行に畏怖を感じつつも無言で付き従いつつ周囲を警戒。
万が一にも拘束を抜ける者がいるかもしれないので、気は抜けないのだ。
当然ながら彼等に対してケイティは特に怒りを抱いていないので効果はない。
そうこうしている内に権能に吸い上げられている上、魔導書の維持で魔力を持って行かれている騎士達は早々に力尽きて悪魔との融合や召喚が解除。
この時点でユルシュルの者達に勝ち目はなくなった。
ケイティは尚も騎士を殺し続け、どれだけの時間がたっただろうか――
騎士達が度重なる高熱による責め苦と魔力の枯渇により、声すら上げられなくなった所で動きを止める。
しばらく周りをぐるりと見回す。
誰一人動いておらず、悲鳴も上げていない事を確認して権能を解除。
一人で殺して回っていただけなのでまだまだ大量に騎士達は残っている。
「……ふぅ、このゴミ共は装備を剥ぎ取った後、拘束して拷問室に送りなさい。 魔導書は一つ残らず処分、徹底させるように」
控えていたスレンダーマン達は了解と頷いて通信魔石で連絡を取ると包囲していたオークやトロール、ゴブリンがゾロゾロと群がり騎士達から装備を剥ぎ取り、手足の腱を切って動けなくした後に拘束。
荷車に乱暴に放り込み、いっぱいになった所で次々とその場を後にして行く。
何処に向かうのかと言うと、少し離れた所にある集積場に集めて転移する為だ。
ケイティは魔導書でトントンと肩を叩きながら余裕を見せつつ警戒は解かない。
彼女はこの現場の責任者である以上、万が一にも取り逃がしたりする事がないように最後まで残るつもりだからだ。
権能による責め苦で声すら上げられない騎士達は視線や表情で必死に命乞いをしているがケイティはゾッとするような冷たい笑みで返すと彼等は絶望の表情を浮かべる。
自分達に救いなんて欠片もないと悟ったからだ。 彼等は捕虜ですらない。
回収されている装備品などと同じ「鹵獲品」という括りで扱われていると理解できたのだ。
交渉次第で助命を嘆願できるという可能性が潰えた彼等は呆然と運び出されて行く。
転移されて来た騎士達が一人残らず運び出された所で、ケイティは小さく息を吐いて引き上げますよと部下に伝えてその場に居た全員が転移魔石を使用して転移。
その場に居た者が全て消えた事により、残されたのは誰もいない平地のみとなった。
誤字報告いつもありがとうございます。
 




