764 「森焼」
続き。
時間は王国軍とユルシュル軍の激突――と言う名のクリステラによる一方的な虐殺が始まる少し前に遡る。
ウルスラグナの北部ではもう一つのユルシュル軍がオラトリアムへ攻め入らんと軍を進ませていた。
進軍ルートは東部から北上する形となる。
ユルシュルはウルスラグナの東部から南部にかけてを支配しており、北に関しては完全にオラトリアムの領土となっていた。
その為、国境は北側でざっくりと切り取る形で存在しているのだ。
オラトリアムの東部から北部は特に開拓が進んでいない土地が多いので地形的に進軍に不向きとなる。
ユルシュル軍の指揮を執っているゼンドルと副官を務めるバウードは慎重に協議した結果、やや遠回りになるが迂回するルートを選択。
国の外れは未開拓で人の手が入っていないが、裏を返すと中央に近づけば近づく程、開拓が済んでおり開けていると言う事だ。
到着前に魔物相手に消耗するのも馬鹿らしいと言う考えもあってゼンドルも素直に頷いた。
今回の一戦はユルシュル軍の今後を左右する程の大戦だ。 万が一にも失敗する訳にはいかない。
それにゼンドルの気持ちには少しだが余裕があった。
理由は彼がオラトリアムの攻略の指揮を執れと命じられた事だ。 王都とオラトリアム、ユルシュルにとってどちらが価値のある存在か? 少し考えれば分かる話だ。
答えは後者。 王都を落とせば名実共にウルスラグナの支配者となれるがそれ以上の意味がない。 だが、資産価値を考えるのならオラトリアムの方が遥かに高く利益は莫大だ。
それにユルシュルの財政はお世辞に良いとは言えない。 他から吸い上げる形で生活水準を落とさずに維持できているが、時間の問題なのは目に見えていた。
その為、優先順位が高いのはオラトリアムであり、その攻略を任されていたゼルベルを外してゼンドルにお鉢が回ってきた事に彼は手応えを感じていた。
ユルシュル王は成果を出していない二人に対して苛立ちに近い物を感じていたが、ここ最近にゼナイドの捕縛と言った成果を上げたゼンドルに対する評価を改め、こちらに回したのだ。
つまりゼルベルよりもゼンドルを信用している。
――と彼はそう前向きに解釈したのだ。
その考えは概ね間違っていない。
実際、彼の弟であるゼルベルは一度、オラトリアムの攻略に失敗している。
その為、オラトリアムを任せる事に不安を感じていたのは事実だった。 特に今回は充分な勝算があるとはいえ、負けると後がない重要な戦い。 万が一があっても不味いと考え、オラトリアム相手に失敗していないゼンドルが選ばれたのだ。
要は失敗した奴よりはマシと判断されただけなのだが、ゼンドルはそこまで気が付いていない。
ただ一点、ゼルベルよりは期待されていると言う点はあながち間違いでもないので、その事実は彼の調子を上向きにしている。
ゼンドルは黙々と移動しつつ、もう何度目になるか分からない予定の反芻を行う。
ウルスラグナの中央から北上してオラトリアムの勢力圏内へと侵入。
当然ながら迎撃してくるだろうが、今回は魔導書がある以上は数と地の利がなくても質でゴリ押せる。
ただ、過信は禁物だとゼンドルは己を戒める。
魔導書は強力な分、消耗が激しいので一気に攻め上がるのは難しい。
適度に休みを挟みながらの行軍となる。 可能であるなら定期的に都市か砦を奪って橋頭保とするのが望ましいが、時間をかけ過ぎるのは危険だ。
オラトリアムの首都は王都と違い、北の奥まった場所に存在する為、かなりの距離を移動する事になる。 余りグズグズしていると包囲されて数で削り潰される事も充分にあり得る。
時間をかけ過ぎず、無理をし過ぎない。 今回の戦いで最も重要なのはペース配分。
それを維持する事こそが勝利の鍵となると彼は考える。
裏を返せばそれさえ維持できれば勝てると絶対の確信を抱いていた。
後は懸念があるとすれば――
「連中の戦力の詳細、か」
ゼンドルは小さく呟く。
実際、彼等はオラトリアムの詳細な戦力を良く理解していなかった。
目の当たりにした者は残らず殺されているので、どういった戦い方をするのかすら不明だ。
過去に何度も調査をしようと間諜を送ったが誰一人として帰ってこない。
近隣の旧メドリーム領の辺りまでは到達できるのだが、旧オラトリアム領に入った辺りで連絡が途絶えるのだ。
その間に見た物は彼の耳にも入っているが、上質な装備を身に纏った騎士が常駐しているぐらいだろう。 後はアイオーン教団の戦力の一部が居るぐらいか。
元々、メドリームはグノーシス時代から教団の勢力圏内だった事もあり、アイオーン教団の戦力がかなり多く配置されている。
何かしらの問題が起これば彼等が対処するので、肝心のオラトリアムの戦力が見えてこないのだ。
要は送り込んだ軍勢を全滅させた以上の情報がない。 その事実にゼンドルは微かな不気味さを感じつつ魔導書の力ならどうにでもなると自らを鼓舞して歩を進める。
この丘を越えれば中央の平野へと出られるだろう。
恐らく敵の迎撃部隊もそこで待ち受けているだろうと考えていたのだが――
「ほ、報告します!」
――先行した部下からの報告を聞いて耳を疑う事となった。
「……どう言う事だ?」
丘を越えると部下の報告が真実だったと言う事が明らかになる。
広大な平野だった場所は何故か深々と木々が生い茂る森に変貌していた。
思わず持参した地図を確認するが、間違いなく平野と記されている。 いや、そもそも彼は過去にこの平野を通行した事があるので間違えようがない。
魔法による幻影の類かと部下を確認に行かせたが、間違いなく本物の森だという報告が帰って来た。
「……馬鹿な」
有り得ない。 どうやって平野を森に変えたと言うのだ?
様々な可能性を考えるが、不可能ではないが難しいといった結論を出さざるを得ない。
ベレンガリアがユルシュルに物資を送り込んで来る際に用いた転移。
アレを使えば可能かもしれないが、必要な魔石を製造する為のコストなどを考えるととてもじゃないが現実的じゃない。
「……バウード。 どう思う?」
「私にも分かりかねます。 ですが、明らかに罠でしょう」
「あぁ、俺もそう思う」
副官の意見にゼンドルは同意する。
進軍ルートを塞ぐ形で発生した森。 これを罠ではないと考えるのは本物の馬鹿だろう。
ただ、問題はどう言った罠かだ。
「罠だとしてどう言った物だと思う?」
「……単純に考えるのなら伏兵を忍ばせていると思われます。 オラトリアムは戦力を隠したがる傾向にあると聞いているので、もしかしたら奇襲の類に長けた者達なのかもしれません」
「なら馬鹿正直に突っ込むのはあまり良い手ではないか……」
ゼンドルは丘の上から森を俯瞰するが、森は西に向かって広大に広がっている。
迂回は難しい。 かと言って戻って別のルートを探すと時間がかかり過ぎてしまう。
小規模な部隊ならそれも可能かもしれないが、彼等は軍勢だ。 その数により小回りが利かない。
父親であるユルシュル王は結果を急ぐ傾向にあるので、無駄に待たせるとどうなるのかはゼンドルも良く理解している。 バウードもそれは分かっているので、迂回を提案し辛いといった雰囲気だった。
「……余り楽観的な事を言うのは憚られるのですが、時間稼ぎと言う事も考えられます」
「なるほど。 連中が態勢を整えるまでの時間を稼ごうとしていると?」
「はい、その場合は何も考えずに進むのが最善かとは思いますが……」
推測の域を出ない意見だ。 本人の言葉通り楽観も多分に含んでいる。
迂回も難しく、戻るの事も難しい。 実際は行くしかないのだが、誘導されているようで面白くない。
「進軍する。 ただ、森に入る前に火を放つ。 伏兵が居れば炙り出せると思うが?」
「……それしかありませんな」
森に火を放つのはかなりの危険を伴う。
必要以上に燃え広がってしまうと進軍にも影響が出る上に魔物などが生息していた場合、炙り出されて襲いかかって来る危険も充分にあり得る。
「もしやそれこそが狙いか?」
「……かもしれません」
様々な可能性がゼンドルの中で渦を巻いたが、迷っている時間も惜しい。
これで良いのかという一抹の不安はあるが、彼は部下に命令を下した。
――森に火を放てと。
誤字報告いつもありがとうございます。




