760 「戦前」
別視点。
ウルスラグナの中央部――王都から東に広がっている広大な平原。
そこにユルシュル軍が布陣しており、向かい合う形で王国軍とアイオーン教団の連合軍が同様に布陣していた。
数は王国側の方が圧倒的に多かったが、質に関してはユルシュルに分がある。
何故なら彼等全員が魔導書を所持していたからだ。
魔導書を使用すれば所持者の戦闘能力を爆発的に高める事が出来るので、数の不利を撥ね退けて勝利する事が出来る。
少なくともユルシュルはそう考えているようだ。
「ふん。 流石に数だけは多いな」
そう小馬鹿にしたように呟くのはユルシュル軍の大将を務めている男――ユルシュルの次男であるゼルベル・ドゥアン・ユルシュルだ。 彼は負けると言う可能性など、微塵もないと言わんばかりの自信に満ちた視線を敵軍に向ける。
父親であるユルシュル王から必ず勝利せよという命令を受けてはいたが、全軍に魔導書が行き渡っている現在、どうやれば負けるのだとすら考えていた。
当然ながら聖剣についての警告を受けているが、ゼルベルは今一つ理解できておらず余り脅威と捉えていないようだ。 何故ならいくら強大だったとしても聖剣使いはたったの一人。
対する魔導書を持った者が万に届く程居るのだ。 確かに質は数を圧倒するとゼルベルも理解はしているが、物事には限度と言う物がある。 たった一人の存在が戦況に影響を与える事など不可能だろう。
――つまり仮に聖剣が魔導書より優れていたとしても数で押し潰せば何の問題もない。
「……馬鹿な奴らよ。 わざわざこの俺の手柄になりに来るとはな」
ゼルベルは何としてもここで手柄を上げて自分の地位を向上させたいと考えていた。
ユルシュルに於いて王の命令は絶対だ。 王にさえなればどんな理不尽な要求も罷り通り、何をやっても許される。 彼にとって王と言う肩書を得る事は自らを神格化する事に等しい。
少なくとも彼の目はユルシュルの王という肩書は神に近い物として捉えている。
何故なら王は好きに命じ、好きに手に入れ、好きに与えていた。
ゼルベルが幼い頃からそれは変わらず、彼はそれを畏怖と共に見つめて来た。
そして思ったのだ。 自分も将来、ああなりたいと。
だが、その願いは叶わない。 何故なら家督を継ぐのは長男と言うのが古くからの決まりで、ゼルベルは残念ながら長男ではない。
このまま行くとユルシュルは将来長男であるゼンドルの物になる。
それを悟った時に彼は軽く絶望しかけたが、まだだと諦めなかった。
ユルシュルの王は絶対者。 つまり王である父の覚えがめでたければ自分が王になれるかもしれない。
そう考えて彼は必死に父親に媚びを売った。 顔色を窺い、可能な限り要求に応えて結果も出して来た――のだが、そうもいかない事態が発生した。
オラトリアムだ。 あそこに関わった瞬間、彼の思惑――と言うよりは人生の雲行きが怪しくなってきた。 国が三つに割れ、ユルシュルの時代が来た当初、彼に与えられた役目はオラトリアムとの交渉役。
要は窓口となってユルシュルの要求を伝えるという役目を担っていた。
ゼルベルはユルシュルの威光を以ってすれば北部の田舎者程度なら楽に跪かせられる。
何故ならユルシュルは支配者なのだ。 今の自分はその力を借り受けている以上、神に等しい。
――筈だったのだが、帰って来たのはファティマという女の小馬鹿にしたような笑いだった。
交渉の余地はなく、ゼルベルの正当な要求は寝言として処理されたのだ。
ゼルベルは怒り狂い、即座に父親に報告。 愚か者に罰を与える為の力を得る為だ。
ユルシュル王は不甲斐無いとゼルベルを何度か殴った後、自分でやるとばかりにオラトリアムとの交渉に入ったが、結果は同様に決裂。
怒り狂った王は兵を差し向けた。 それを見たゼルベルは馬鹿めと嘲笑する。
神の命令に背くからだ! 自らの愚かさをその身で悔いろとその後の事を想像していたのだが――
――結果はその真逆だった。
送り出した者達は皆殺しにされた後、文字通り降り注ぐ事となったのだ。
この結果にユルシュル王は更に怒り狂い、それは手近な原因であるゼルベルへと向いた。
彼は散々、殴られ蹴られ詰められる。 この無能、交渉すら満足に纏められないか、お前の所為で貴重な兵の命が失われたのだぞ、と。
ゼルベルは必死に許しを請いながら、理不尽な現実とオラトリアムへの憎悪を燃やす。
必ず復讐してやると。 彼の中では神は絶対なので、悪いのは全て神意に背くオラトリアムだと完結しているのでその憎悪は正しく成立していた。
その後のオラトリアムへの交渉も彼が任せられたが、多大な代償を支払う事で今に至る事となった。
当然ながらその責任は彼が負う事となり、事ある毎に何度も痛めつけられる事となる。
彼は憎悪を燃やしながらひたすらに復讐の時を待った。 待って待って待ち続けた。
そしてその好機が訪れたのだ。 魔導書の入手によりユルシュルは雌伏の時を終え、反撃の狼煙が上がるのだ。
しかし、彼はオラトリアムへの復讐には参加させてはもらえなかった。
割り当てられたのは王国側への侵攻。 兄であるゼンドルと配置を入れ替えられた。
ゼルベルはその采配の真意をこの上なく正確に理解しており、焦っている理由でもあったのだ。
ユルシュル王は王国よりオラトリアムの制圧に主軸を置いている。
理由はあの地に埋蔵されている莫大な資源と無尽蔵の財力。
制圧した時の旨みを考えるのならどちらの優先順位が高いのかは明らかだろう。
つまりはゼルベルは信用されていない。 ゼンドルの方が有能と判断されているのだ。
不味いと考える。 何故なら自分が王になる道が遠ざかるからだ。 かと言って意見を挟む事も出来ない。 もう、彼は兄の失敗を祈り自分の仕事を完璧にこなさなければならないといった脅迫観念に近いそれに突き動かされていたのだ。
「雑魚共が。 早々に踏み潰してくれる」
彼はさっさと王国とアイオーン教団を蹴散らして聖剣と魔剣を奪い、聖女を捕える。
速攻だ。 速攻で片を付けてオラトリアムの攻略戦へと向かえば父も自分を見直すに違いない。
あの馬鹿なだけの兄とは違う。 真にこの地の後継者に――次代の神に相応しいのはこのゼルベル・ドゥアン・ユルシュルだと言う事に!
両軍の布陣はほぼ完了している。
後は事前に――一方的に伝えた定刻を以って開戦し、蹂躙するだけだ。
ゼルベルの憎悪に彩られた嗜虐的な笑みは――不意に固まった。
その理由は敵軍――王国側の軍の先頭に目立つ人影が現れたからだ。
「あれは――」
煌びやかな全身鎧とその手には輝く――
誤字報告いつもありがとうございます。
数が少ないけど魔導書で質を補っているから勝てる!
↓
聖剣は強いらしいけど自分達の方が数が多いから勝てる!!
……何を言っているのだろう??




