753 「諜報」
続き。
旧ユルシュル領――現ウルスラグナ騎士国の王都ユルシュル。
騎士国内部で最も規模の大きい都市だけあって、人口は最も多く、そして人の往来も激しい。
そんな中、歩いている者が居た。
彼女は自然な足取りで大通りを歩くと事前に取っていた宿へと入る。
部屋の扉を事前に決めた回数叩いて、返事が返って来た所で入室。
「おかえりなさい。 ジェルチちゃん」
「えぇ、ただいま。 ヘルガ」
彼女――オラトリアム所属のダーザイン食堂ウェイトレスのジェルチは少し疲れた表情でベッドに倒れ込む。
この部屋は事前に盗聴防止の魔法道具などで守られているので、多少ではあるが気を抜く事が出来る空間だ。
彼女の部下のヘルガは温和な笑みで帰って来たジェルチを迎える。
「エリサは?」
「まだ外だけどそろそろ戻って来ると思うわ」
彼女達はオラトリアムの諜報員として、この街に派遣されたのだ。
目的は最近不穏なユルシュルの内情の調査。
経済状況やここ最近の動向の裏取りや変化、中枢に入れなくても近くで見るだけで色々と知る事が出来る。
「どうだった?」
「まぁ、この辺りだけで言うならかなり豊かね」
ジェルチはごろりとベッドの上で仰向けになりながら答える。
実際、彼女の言葉は正しい。 兵力などの武力は勿論、物流などを見れば大雑把だが、この街がどのような状態なのかは分かる。
「戦力に関しては質は分からないけど数はかなり戻ってきた感じね。 この辺は流石は騎士国って所かしら?」
元々、ユルシュルは多くの騎士を排出して来た家系であり領だ。
その為、この街には騎士を育てる為の騎士学園が存在しており、新たな騎士の育成に力を入れている。
前回のオラトリアムとの戦闘で減った人員の補充は完全ではないが済んだと見ていい。
「物流に関してはオラトリアムが管理しているから予想を上回る事もなかったけど、大きく下回る事もなかったわ」
オラトリアムは国内の商会の大半を押さえているので、流通に関しては完全に支配していると言って良い。 つまり、ユルシュルに流れる物は完全にオラトリアムの管理下にあると言う訳だ。
ジェルチは考える。 何故、ユルシュルの連中はここまでされて力の差を理解しないのだろうか?
はっきり言って、勝ち目があるとは思えない。
オラトリアムの上層部はユルシュルに対しての警戒は怠っていないので、こうして彼女達が偵察に向かわされている。
「……と言う事はここに集中しているのは間違いないのね」
「そうね。 本当に胸糞悪いったらないわ!」
確かにこの街自体は豊かだろう。 ただ、それ以外はどうなのか?
答えはジェルチ達がここへ来る前に目の当たりにしていた。
重税により貧困に喘ぐ街や村、痩せ細った民たち。 ここが豊かなのは当然だろう。
富の全てを吸い上げているのだ。 つまり今のユルシュルが現状を維持できているのは、本来なら分配するべき物を独占してる結果と言う訳だ。
そんな重い税を払っていられるかと逃げ出した者達は国境に設置された検問で追い返されるか、強引に突破を図ろうとして殺されるかのどちらかとなる。
「ここの外周、見たでしょう? 王都にあったグノーシスの城塞聖堂以上の防備よ」
「……そうね。 知ってはいたけど改めて見ると酷いわ」
ジェルチの呆れたような物言いにヘルガはやや沈んだ調子で返す。
それもその筈だ。 この街の周辺には堅牢な砦がいくつも取り囲むように築かれており、徹底的に防備を固めているのが良く分かる。
反面、他の場所の防備は非常にお粗末だった。
「多分だけど新しい王都として王都ウルスラグナより大きな都市にしたかったんでしょうね」
「……こんなやり方で上手くなんて行く訳ないのに……」
「ま、この様子じゃ上手く行くって思ってたんじゃない?」
ユルシュルの基本方針は武力による支配だ。 それはこの騎士国の起こりからして明らかで、勝者は敗者に何をしてもいいとでも思っているのか傘下に納めた他領の扱いは配下と言うよりは奴隷に対するような無体な物だった。
自分達に従うようにと、真っ先に有力者の身内を捕えて監禁しているらしく逆らえないようだ。
「……防備に関しては分かったけど、問題は軍勢の動きね」
ヘルガは言いながら窓から外を窺う。
外では追加を送るつもりなのか、完全武装の騎士達が秩序だった動きで大通りを進んでいた。
「少なくともオラトリアムへは仕掛ける気満々だったわね」
彼女達はオラトリアム方面から来ているので、来る途中に何をしているかはしっかりと見て来た。
相当な数の軍勢が集結しているのは確認できている。 更に追加を送ってる所を見ると、まだまだ数を送り込むのだろう。
「これだけの規模だとユルシュル王本人が直接出るかもしれないわね」
「それはあると思う」
特に今回は力の入れようが半端じゃない。 オラトリアムとの交渉は次男が行っていたと聞いていたので、美味しい所で本人が出しゃばるのかもしれないとジェルチは考えていた。
正直、街の住民の噂レベルでもユルシュル王の人間性は凡そではあるが察しが付く。
「後は向こうに行ったエリサの報告待ちかな?」
ジェルチの呟きに応えるように扉が数回ノックされる。
ヘルガがそっと近づいて扉を開けるとやや疲れた顔のエリサが入ってきた。
「ただいまー。 いやぁ、もうつっかれたわー」
ジェルチの部下であるエリサはふらふらと空いたベッドに倒れ込む。
「おかえりなさい。 エリサちゃん」
「おかえり。 どうだった?」
エリサはさっきのジェルチと全く同じ動きで仰向けになる。
それを見たヘルガが小さく笑い。 ジェルチは苦笑。
「あー、うん。 王都方面を見て来たけど酷いね。 ここから離れる程、貧しくなっているのは一緒で、軍勢も北ほどじゃないけどかなり戦力を集めてたよ」
「うわ、そっちにも戦力集めてるって事は……」
「うん。 前に姉さんが冗談で言っていた両方同時に相手にするんじゃないかって話が大当たりっぽい」
――冗談でしょ?
確かにジェルチはここに来る途中に冗談でオラトリアムとアイオーン教団を纏めて相手にしたりしてといったのだが、まさか本当に実行するとは思わなかった。
敵が馬鹿なのは良い事なのだろうけど、これはいくら何でも酷過ぎる。
「何? ユルシュルって本物の馬鹿なの? 自殺したいの?」
「う、うーん。 あたしから見てもそうとしか思えなかったし、ユルシュル王には何か勝てる作戦があるとか?」
ジェルチはちらりとヘルガに視線を向ける。
彼女は小さく首を振った。
「恐らくだけど例の魔導書に自信があるんじゃないかしら?」
ヘルガはユルシュルの近辺を当たっており、屋敷――と言うよりは増築を繰り返して城になったそこの出入りを確認していたのだが、怪しい出入りはなかった。
「獣人が出入りしているのは確認できたけど、物の流れに変な所はなかったから、転移を使って中に直接入れていると思うわ」
「そうね。 流石に忍び込むのは難しいし、上に連絡して指示を仰ぎましょっか。 ……と言うかもう充分っぽいし帰っていいか聞いてみるわ」
ジェルチは通信魔石を取り出して報告と指示を仰ぐ為にオラトリアムへと連絡を取ると、流石にこれ以上の情報は必要ないと判断されたのか、戦いに巻き込まれるのも面倒なので戻って来いとの事。
「帰って来て良いってさ」
ジェルチがそう言うと二人は露骨にほっとした表情を浮かべた。
ここはあまり見ていて気持ちのいい場所じゃないので、さっさとオラトリアムに帰りたい。
三人はそう考えていたので帰還命令は素直に嬉しかったのだ。 通信を終えるとジェルチ達はいそいそと撤収の準備を始めた。
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