698 「苦言」
別視点。
「お前達! 何を考えている!」
意識を取り戻したベレンガリアの怒鳴り声が響く。
場所は変わらず応接室。 時間はローが去った直後だ。
両角は無言で耳を塞ぎ、柘植は顔を手で覆って肩を落とす。
「何をって、助かる事に決まっているだろうが」
「どういう意味だ? あの男にもこの状況は分かっている筈だろう。 アパスタヴェーグの脅威が去った今、下らん準備なんてしている場合じゃなく、我々もヴェンヴァローカに向かうべきだ!」
一番状況が分かっていないベレンガリアはそう喚く。
ベレンガリアと言う女は確かに研究者と言う点であるなら優秀な部類に入る。
グリモワールという魔法道具を安全に扱えるようにデチューンして、量産可能にしたのは間違いなく彼女の功績であると言えるだろう。
結果、ホルトゥナの戦力は大きく向上し、魔導書による武力を背景に国や他勢力ともそれなり以上の関係で付き合えるようになったからだ。
その点は彼女の妹達も認めており、ベレンガリアの功績として疑いようがない物だろう。
――だが。
優秀な研究者である事と優秀な組織のトップはイコールではない。
彼女は一度集中すると周りが見えなくなるほどに研究や作業に没頭する。 放置すれば相応の成果が出るか彼女が納得するまで続くだろう。 その没頭こそが彼女の功績を積み上げたと言っても過言ではない。
だが反面、視野は非常に狭い。 結果を焦り過ぎる性格故か、短絡的な決断を下す事が多いのだ。
柘植は正直、ベレンガリアに組織を束ねて行く事は不可能だと考えていた。
彼女には余計なしがらみに囚われずに好きな事をやって人生を過ごして欲しい。 それが柘植と両角の願いでもあったのだ。
だが、組織の存在がそれを許さない。 彼女も彼女の妹達も他を追い落として組織のトップを取る事しか考えていない。 そう育てられており、それは彼女達自身にもどうにもならない事だと言うのは彼等も理解している。 どう頑張っても和解させるのは不可能だろう。
ベレンガリア自身はともかく、他の二人の妹は組織のトップに立てば間違いなく他の姉妹を殺すだろうと柘植は確信していた。
つまりベレンガリアには組織を束ねる能力はないが、トップに立たなければ未来はないのだ。
柘植達の目的は彼女に組織の争奪戦を勝ち残らせ、尚且つ権力を与えすぎないようにする事。
その点で言うのならあのローという男の属している――否、と柘植は思い直す。
あの男の話が本当ならあの男が率いている組織だ。
その傘下に納まる事は彼等にとっても何かと都合がいい。
理由はその巨大さにある。 信じられない事に闇の柱の出現後、ローが動き出した結果、たったの数日でこの街で大きな勢力を持っていた組織を一つ残らず壊滅させてしまったのだ。
中にはホルトゥナと取引のあった組織もあったが、全て壊滅したので彼等はこの街で孤立したと言ってもいいだろう。
柘植は一度だけ遠くからその戦闘を見たが、凄まじい手際だった。 魔法で音や接近の痕跡を消した上での強襲。
そして投入された正体不明の戦力群。
明らかに魔物とは違う、自然界に発生しないであろう異形の群れ。
個別に見ても凄まじい戦闘能力で、迎え撃とうとした者達が悉く鏖殺されてた光景は彼の眼に未だに焼き付いている。 その強さと恐ろしさを見て、柘植は敵対したら間違いなく終わると確信。
さっきまでローの背後に控えていた者達ですら転生者と同等かそれ以上の戦闘能力を有しているのは明らかだった。
付け加えるならベレンガリアはローの肉体のみに注目し、会話が成立するので話せば理解できると考えている節があったが、柘植にはとてもじゃないがそう思えない。
あの男が真に異形なのは肉体ではなく精神。 まるで蟻を踏み潰すような感覚で命を奪う、その精神性にあると彼は睨んでいた。
要はローという男は彼等に理解できない思考形態――ロジックで動いているので、何をやれば機嫌を損ねるのかがまるで不明なのだ。 食事に嫌いな物を出した、息が臭かった、何となく鬱陶しかった。
不意にそんな事を考えて前振りなしで斬りかかって来るかもしれないと彼は根拠もなく本気で信じていたのだ。
しかも持っているのはただの魔法剣ではなく魔剣。 それも最低でもアパスタヴェーグで回収した物を含めれば二本も保有しているのだ。 勝てる勝てない以前に出し抜こうと考える事すら危険すぎる。
――だから。
「お嬢、悪い事はいわねぇ。 あの旦那をどうにかできるなんて考えずに取り入った方がいい」
――柘植ははっきりと現実を突きつける。
「な!? 何を言っている! 今は同盟関係を結んでいる以上、対等な関係だ。 それを崩してわざわざ下に付けだと? 何故、立場を下げるような真似をしなければならないのだ!?」
ベレンガリアは信じられないといった口調で柘植を見返して怒りの声を上げる。
「はっきり言うぞ。 お嬢じゃどう頑張ってもあの旦那には勝てない。 下手に機嫌を損ねればその瞬間に殺される」
未だにベレンガリアは自分がローと対等と思い込んでいるが、彼女の価値はあの男にとって居ても居なくても問題ないレベルにまで下がっている事に気付いていないのだ。
付き合いが長いのでベレンガリアが何を考えているか彼には良く分かった。
同盟だから対等な関係である以上、ローを後ろ盾に辺獄の一件を解決させて、グノーシス相手に強気に出るつもりなのだろう。
そしてトップとして認めさせ、同様に妹達にも自分を認めさせる。
彼女はおめでたい事に未だに負けても殺されないと思い込んでいるのだ。
毛嫌いしている癖に家族と言う物に理想を抱いていおり、自分を頂点に仲の良い家族を形成する。
それが自分が幸せになれる方法で全てが丸く収まる最善の方法だと本気で信じているのだ。
本人も自覚しているか怪しいが、それこそがベレンガリアの根幹にある考えであり、行動指針。 愚かとは柘植は考えない。
彼女は幼い時から母親に姉妹達に対する敵愾心を植え付けられていた。
それ故に家族と言う物に理想を抱き、愛情に飢えているのだ。
ベレンガリアはそれを表に出す術を知らない。 認めさせる力を示す事だけを考えた結果、研究に没頭するようになり、人と話す事、人の顔色を窺う事をしてこなかったからだ。
彼女は自分の信じた道を行く。 そして人が何を考えているか想像できずに自分の考えをひたすらに他人に押し付ける。 何故なら彼女はそれしか人との接し方を知らないからだ。
何とか矯正しようと足掻いていたが、事ここに至ってはもう猶予がない。
取りあえずは納得させたが、彼女の有用性を示さなければ明日にでも殺されるかもしれないと彼は考えていた。
尚も妹を見返す事しか考えていない彼女に柘植は強い口調で言う。
「もう一度言う。 あんたじゃあの旦那と対等に付き合うのは無理だ」
「何故だ! 今は――」
柘植は力なく首を振る。
「……お嬢。 あの旦那があんたに対してどう思っているか分かるか?」
質問の意図が分からずベレンガリアは押し黙る。
「情報源。 それ以上の価値はない。 同盟と言ったが、アパスタヴェーグの一件を片付けた時点で契約と言う点では既に解消されているんだ。 つまりあの旦那はな、あんたの事をその程度の存在としか見ていないんだよ。 確認を取ったが、用が済んだら始末すると表情一つ変えずにそう言ってたぞ」
「なっ!? なんだそれは!? 今は利害はもそうだが、危機の――」
「そんな事はあの旦那には関係ないんだよ。 もう、言って聞かせている余裕がないからいうが、お嬢。 あんたはこの件が終わるか、一段落着いたらあの旦那に消される。 一応言っておくが、俺と両角では守り切るのは無理だ。 言い切ってもいいが、不要と判断された時点であんたは死ぬ」
予言ではなく確信を持って柘植はそう言い切った。
ベレンガリアはそれを真っ白な頭で聞いていた。 死ぬ? 私が?
彼女は今まで命令ばかりで他人越しにしか戦場や命のやり取りをしてこなかったのだ。
その為、生死に関する危機感に欠ける傾向にあった。
簡単に死ねだの殺せだのと命令する短絡はそこから来ており、自分は安全と言った驕りもあったのだろう。
彼女は目の前の柘植達の必死の表情を見てようやく自分が危ない立場なのだと実感したのだった。
そうなると後は早かった。 何処からともなく焦りに似た何かが湧き上がり、脳裏にはおもむろに魔剣を抜いたローに自分の脳天が叩き割られる光景が浮かぶ。
「お嬢、今が覚悟の決め時だ。 旦那が戻って来るまでまだ猶予がある。 どうするかをよく考えるんだ。 何だったら旦那がやっている事を見に行ってもいい。 その目で自分が何と付き合っているのかを知るべきかもしれない」
そう言われてベレンガリアは何も考えられず、真っ白な頭のまま呆然とするしかできなかった。
誤字報告いつもありがとうございます。




