481 「手段」
続き。
ゼナイドが向かったのはユルシュルの屋敷だった。
警備の者に通して貰い真っ直ぐに長い廊下をつかつかと歩いていると――
「よぉ、ゼナイドじゃないか」
道を塞ぐように立っていた騎士達に声をかけられた。
ゼナイドは苛立ちの混ざった表情で足を止める。
「お久しぶりです。 兄上」
先頭の男はゼナイドに似た顔をしていたが、性別と見下すような表情の所為で異なる印象を受ける。
身に着けている全身鎧は一目で上等な物と分かる立派な物で、その大柄な体は良く鍛えられていた。
最後に見た時よりも随分と逞しくなっていたが、父親に完全に毒されているなと彼女はぼんやりと思い、恐らくまともな会話にならないだろうと諦観の様な物が胸に満ちる。
「何か用ですか? ないのなら父上に話があるので通して貰えるとありがたいのですが……」
ゼナイドの兄――ゼンドル・ウィル・ユルシュルは大げさに溜息を吐く。
「必要ない。 父上は多忙で、お前ごときに割く時間はないそうだ」
「それは兄上が決める事では――」
「大方、聖女の件だろう? それなら心配しなくていい。 バラルフラームへの通行を邪魔する気はない」
ゼナイドはそれを聞いて僅かに目を細める。
彼女は父親の性格をよく理解していたからだ。 あの男が思い通りにならない事をそのままにしておくとは考え難い。
どう言う事だと考えたが、ややあって察した。
「消耗させた所で仕掛けるつもりですか……」
ゼナイドの声に怒気が混ざる。
彼女の兄はにやりと口の端を吊り上げる事によって疑問に答えた。
「我々がバラルフラームへ行く目的は聞いているのでしょう? あそこを攻める事はユルシュルの為でもあるのですよ!?」
信じられなかった。 こいつらは自分達が問題を解決して消耗しているところを襲うと言っているのだ。
ゼンドルは肩を竦める。
「俺の知った事ではないな。 決めたのは父上だ。 当然ながら、兵も出してやる。 あぁ、別に尻尾を巻いて逃げ出しても構わないらしいぞ? ただ、アイオーン教団の良くない噂が流れるだろうがな」
ゼナイドは怒りで口元を震わせ、対峙するゼンドルは小馬鹿にしたかのように鼻で笑う。
「……っ!」
何かを言いかけたが何を言っても無駄と判断したのだろう、ゼナイドは踵を返してその場を後にした。
屋敷を後にした頃には既に日は暮れており、辺りは暗い。
ゼナイドは表情こそ取り繕っていたが、内心では焦りに満ちていた。
兵を出すと言っていたが、明らかに監視役だ。 事が終わればこちらの成果を掠め取ろうと動くに違いないと彼女は確信していた。
思わず歩く足が早くなる。
目指す場所はアイオーン教団の野営地。 この事を一刻も早く報告する為だ。
考える。 真っ先に誰に報告するかを。
真っ先に候補に挙がるのは聖女様だが、今の自分は感情的になり過ぎているから頭を冷やす意味でも他の誰かに話しておきたい。
そう考えて真っ先に候補に挙がったのは――
「エルマン殿! 少し相談したい事があります!」
エルマンだった。
ゼナイドは彼の天幕に声をかけると少しの間をおいて、目が半開きのエルマンが出て来た。
彼は目を擦りながらやや不機嫌な表情で天幕から顔を出した。
「……ゼナイドの嬢ちゃんか? 何だ? 何かあったのか?」
「ユルシュルの動きについてお話したい事があります」
「…………聞こうか」
やっと眠れると思っていたエルマンは寝入ってから数分も経たない内に叩き起されて不機嫌だったが、話の重要性を理解したのかゼナイドを天幕の中に入れた。
彼の為に用意された天幕は小さな椅子が二つと毛布、片隅に愛用の鞄があるだけの簡素な物だった。
エルマンは椅子を勧めて自分も座り、荷物の中から鉄製のカップを二つと水筒を取り出して水を入れて片方は自分に残りをゼナイドに渡す。
急いできたので少し喉が渇いていた彼女は水を一気に飲んで気持ちを落ち着ける。
エルマンも渇いた口内を水で潤し、掠れ気味の声をいつもの調子に戻す。
「……その様子だと家に直談判に行ったって所か? それで? ユルシュル王に何を言われた?」
そう聞いていたが、エルマンの脳裏にはあの王が言いそうな事がいくつか挙がっていた。
ゼナイドが口籠ったのを見て、こちらから振った方がいいかと判断。
「バラルフラームへ通してほしければ、聖女様を寄越せってか? それとも聖女を寄越さなければ戦り合う?」
「……バラルフラームへは通してくれるそうです。 増援も出すと言っていました」
語る内容と態度の落差でエルマンは即座に察したと同時に面倒なと大きな溜息を吐いた。
「言いたかないが、お前の親父さんは随分と性格が悪いな。 要はあれだろ? バラルフラームの攻略が終わって辺獄から戻った所を仕掛けるって腹積もりだろう?」
「……はい」
予想はできていたのでゼナイドの返事にエルマンは驚かない。
ただ、面倒なと溜息を吐くだけだ。
「まぁ、何かしらやって来るだろうなとは思っていたので驚きはせんが、面白くはないな」
「……本当に申し訳ありません」
ゼナイドは思わず頭を下げるがエルマンは気にするなと軽く手を振る。
「嬢ちゃんが謝る事じゃないし、気にしなくていいぞ。 一応、対策は考えてある」
「ほ、本当ですか?」
エルマンの言葉にゼナイドははっとした表情で顔を上げる。
「あぁ、とはいっても人任せだがな。 確認もしておきたかったし一緒に来るか?」
「え? あの――」
立ち上がって天幕から出たエルマンを追ってゼナイドも天幕から出る。
無言で歩くエルマンは早足に野営地から出ると真っ直ぐにグノーシスの方へと向かう。
ゼナイドは訳も分からずに彼の背を追う。
エルマンは近くに居た聖騎士に声をかけると奥へと通された。
向かう先は一番立派な天幕で、恐らくはマーベリックの物だろう。
「貴方方からこちらに来てくれるとは少し意外でしたよ? それで用件は?」
「聞いておきたい事がある」
エルマンは前置きを挟まずに真っ直ぐにマーベリックを見据える。
彼は視線を正面から受け止めてどうぞと先を促す。
「例のバラルフラーム。 境界だの領域だのと銘打ってはいるが要は辺獄なんだろう?」
「その通りです」
即答。 それを聞いてエルマンは微かに眉を動かしたが、話を続ける。
「これから行く場所だし、覚悟はできているからそこは問題ない。 ただ、気になっている事があってな。 行くのはいいが帰りはどうする?」
そう言えばそうだとゼナイドははっと気が付いた。
行く事のみが話題に上がっていたが帰る手段について触れられていない。
「……魔剣の話は覚えていますか?」
「あぁ、今回の目標だろ? 侵攻だの何だの言っているが、目的はその魔剣の奪取だろう。 忘れちゃいねぇよ」
「結構、なら細かい説明は省きますが、魔剣には辺獄と現世の境界を操る力があります」
マーベリックの言葉にエルマンはやや胡散臭げな表情を浮かべるが、同時に納得もしたようで小さく頷く。
「なるほど、手に入れた魔剣を使って帰ってくる訳だ。 それは戻す場所の指定はできるのか?」
マーベリックはエルマンの質問の意図を理解しなかったのか少し沈黙。
ややあって口を開く。
「それは帰還する際の場所を指定できるのかと言う事ですか?」
「あぁ、仮にユルシュルから離れた場所に戻す事はできるのか? 俺が知りたいのはそこだ」
「可能と聞いています」
そのやりとりを聞いてゼナイドの内心に理解が広がる。
確かに目的ばかりに気を取られて、済んだ後の事を失念していたと彼女は思う。
エルマンはその事に早い段階で気づいていたようだ。 そう考えて僅かな劣等感が彼女を蝕む。
「次の質問だ。 その魔剣ってのは誰でも使えるのか?」
「封印を施せば誰でも使用する事は可能です」
マーベリックはそう言うとふっと笑みを浮かべる。
「ご心配なさらずとも最終的に魔剣を引き渡してさえ頂ければ、手に入れた直後はそちらでお使いください」
「……俺があんた等を取り残すように聖女を唆かしたらどうする気だ?」
「そうなれば後の事はお任せします」
即答。 それを聞いたエルマンは予想外の返答だったのか目を見開く。
何か言おうとして唇を震わせたが言葉にはならなかった。
少しの間、見つめ合う形にはなったがエルマンが無言で踵を返すと「邪魔したな」と小さく呟いてその場を後にした。
話に入っていけなかったゼナイドは慌てて追いかける。
道すがら何とかエルマンに声をかけようとしたが、話しかけられる雰囲気ではなかった。
何故ならいつも飄々としているエルマンから微かに怒気のような物が漏れていたからだ。
ゼナイドには理由を察する事が出来なかったのでチラチラと顔色を窺うしかできなかった。
グノーシスの野営地を抜け、アイオーンの野営地に戻った所でエルマンが「納得したな」とゼナイドに言った後、疲れていると言って自分の天幕へと引っ込んだ。
取り残されたゼナイドはどう反応していいのか分からず立ち竦む事しかできなかった。
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