44 「闇夜」
ちょっと増量。
「そっちに行ったよ!」
俺はハイディの合図で手に持った棍棒を構える。
正面からイノシシに似た魔物「スクローファ」が突っ込んで来た。
タイミングを合わせてフルスイング。
棍棒はスクローファの鼻っ面にめり込む。
いい感じの手応えが伝わってきた。頭蓋骨を砕いた感触だ。
スクローファはあちこちの穴から血を噴きだして倒れた。
「一撃とはさすがだね」
追い込んだハイディが近づいて来る。
「こいつで最後か?」
「えっと…そうだね。これで全部みたいだ」
翌日。
俺達は早速ギルドで仕事を請けていた。
記念すべき初仕事はウィリードから徒歩数時間の村で魔物退治だ。
スクローファと言うイノシシをでかくしたような魔物で、農作物を荒らして回っているらしい。
しかもこのイノシシ、雑食で大抵の物は喰うので下手に近寄ると喰われるそうだ。
聞けば村人も何人か胃袋に収まっているらしい。
要はこのイノシシ共を始末するのが俺達の仕事。
確認されているのは全部で10頭。皆殺しにして死骸を引き渡して完了。
今、殴り殺したので10頭目だ。
ハイディが上手くこっちに追い込んでくれたので随分と楽に片付いた。
見た限りでは特に昨日の事を引きずってはいないようだ。
正直、街を出たいなどと言い出されると困るので宥める為の文句を用意していたのだが、使わずに済んで内心で胸を撫で下ろしていた。
…この街にはまだ用事がある。
少なくとも後、数日は様子を見ておきたい。
それにこの街は討伐系のクエストが多いので色々と稼げる。
クエスト…中でも討伐系はギルドから評価を得やすい。
危険度が高いので達成すると実力を認めてもらい易いのだ。
そして実力があると言う事は緊急時には街の防衛戦力として当てにできる事もあり、冒険者ギルドは戦闘力のある人間は早めにランクを上げさせて良い思いをさせておき、ギルドの要請に逆らい難いように仕向けているらしい。
噂の域を出ない話だが、戦闘力の高い人間はランクが高いのもまた事実。
俺としてもさっさと上げて割の良い仕事を請けたいのだ。
ハイディが懸念材料だったがあの様子なら心配いらないだろう。
彼女は強い。
だが、いらん事を考えて実力が全く発揮できていないのが惜しいな。
恐らくは何も考えなくなった時こそ実力を出し切れるんだろう…と俺は考えている。
……その日はしばらく来なさそうだがな。
時折、表情に憂いが混ざっているのを見ると先は長そうだ。
村に報告と死骸の引き渡しを済ませて完了。
パーティーでの初クエストとしてはまずまずの滑り出しだ。
夜。
天気は曇天。月明かりも弱く闇は深い。
「なぁ、ディラン。この後、一杯引っ掛けようぜ」
俺――グノーシス聖殿騎士ディランは相棒のアレックスの誘いに少し悩んだ後、返事をする。
「そうだな。行くか」
不愉快な任務が終わったので気分を変える意味でも少し飲みたい気分だ。
昨日は人生で上位に入るぐらい後味が悪い日だった。
俺達に与えられた任務はある人物の護衛。
護衛対象はトリップレット・メドリーム。
このメドリーム領の次期領主だ。
現領主に比べてお世辞にも素行がいいとは言えない男で、金があるのを良い事に好き勝手ばかりやっており、更に女癖まで悪く気に入った女を見つけては金と権力で物にしていた。
はっきり言って人間の屑だ。
最近は囲っている女が増えたので街の外れに別宅を建てる計画を立てている。
その為に既に建っている宿を潰すなどと言い出した。
最初は冗談かと思っていたが、ガラの悪い荒くれを使って営業妨害を始めた所で本気だと言う事を悟った。
…あぁ、こいつどうしようもないな。
それ以外の感想が出てこなかった。自分の欲望を満たす事しか考えていない。
しかもあの野郎は俺にまで動けなどと言い出した。
当然だが俺もアレックスも断った。俺達の任務は護衛であり、それ以外は任務に含まれていない。
そもそも任務でもなければこんな事、とてもじゃないがやってられない。
敬虔なグノーシスの聖殿騎士としては考えてはいけないんだろうが、これは教団の掲げる正義に悖る行為ではないのだろうか?
任務中、何度も考えたが答えは出なかった。
今回の件も俺達は見ているだけで何もしない…いや、できない。
それだけが救いだったが…我らが崇める正義はそれすらもお許しくださらないようだ。
昨日の話だ。あの野郎、とんでもない事を始めやがった。
雇った荒く…もう、ゴミ野郎でいいな――を大量に引き連れて宿を襲い始めた。
護衛と言う立場上、俺達も宿まで足を運ぶ事になり…あの現場に立ち会う事になった。
油の入った酒瓶を次々と宿に投げつけると後ろに控えていたメイジが火系統魔法で炎上させる。
木造の宿は一瞬で炎に呑み込まれ、中から悲鳴が聞こえた。
…何なんだこれは。
目の前の光景にアレックスも絶句していた。
入り口が破壊されて中から老人が飛び出してきた。射殺さんばかりの視線を向けて来る。
「…貴様ら。ここまでの外道だったか」
腰の刀に手を添えてゆっくりとこちら…護衛対象に近づいて来る。
「はっ!素直にボクの言う事を聞かないからこうなるんだろ?自業自得って奴だよ!」
クソ野郎は爺さんの怒りを鼻で笑う。爺さんの視線が鋭さを増す。
当然の反応だな。出来るなら俺が殺してやりたいぐらいだ。
アレックスも同じ事を考えているのかクソ野郎に非難の視線を向けている。
全員の視線が爺さんに集中していて気が付いた奴は少ないが、宿の裏手から何人かが離れていくのが見えた。
…爺さんの息子夫婦か。
教えてやる義理はないし、むしろ逃げ切ってくれ。
「おやおやぁ?息子夫婦とガキはどうしました?あぁ、あんたが囮になって逃がしたって事か?おい!何人かで捕まえに行け。抵抗したら殺してもいいぞ」
ちっ。余計な事に気が付きやがって。
クソ野郎の指示で何人かが逃げた方へ向かう。気が付いている奴が他にも居たか。
爺さんが道を塞ぐようにゆっくりと刀を抜きながら前に出る。
「行かせると思うか」
クソ野郎は鼻で笑って連れて来た連中に指示を出す。
「その爺さんを痛めつけろ。抵抗するなら殺していいぞ」
クソ野郎が連れて来たゴミ野郎共がニヤついた笑みで各々武器を構える。
「了解でさぁ。坊ちゃん」
「ジジイ逃げるんなら今のうちだぜ?」
それを見て俺は小さく溜息を吐く。
馬鹿が、力量差も分からんのか。
「“金翅”」
爺さんが何か呟いたかと思ったら、近くに居た3人の頭が縦に割れた。
「なっ!?」
「へ?」
アレックスが目を見開く。傍から見れば俺も全く同じ反応をしていただろう。
クソ野郎は何が起こったのか理解できていないようだ。
何が起こったのか理解はしているが、俺自身にも太刀筋が見えなかった。
「見えたか?」
「上段から頭を両断したのは分かったが見えなかった」
「あの爺さん思った以上にやるな」
アレックスの質問に素直な感想で答える。見事な剣だ。
技量だけなら俺達より上かもしれんな。
「…は、はは。中々やるじゃないか爺さん」
クソ野郎は顔を引き攣らせながら強がっているが声が震えているぞ。
見た所、連中では勝てんな。宿も焼いたし引き際だろ。
だが、クソ野郎の行動は色々な意味で俺の予想を超えていた。
「次はボクが相手だ」
何と前に出やがった。俺達は慌てて追いかける。
「あの、坊ちゃん?危ない真似をされると困るんですが…」
アレックスがやんわりと諫めるが無視。
「おいおい。何を言ってるんだ?ボクを守るのがお前らの仕事だろ?聖殿騎士!ボクを守れ!」
俺はこいつの狙いを察した。この野郎…俺達に戦えってか。
護衛対象が危険に晒されている以上、その危険を排除しなければならない。
アレックスも同じ考えに至ったのか苦い顔をする。
何故こんな場所に顔を出すのかと思ったら爺さんに俺達をぶつけるつもりだったのか。
クソ野郎と内心で罵りながら腰の剣を抜き、兜の面頬を下ろす。
「下がれ。主らに用事はない」
「…悪いな爺さん。こっちも仕事なんでな」
アレックスは不本意と言った口調で応じた。
俺は何も言わずに剣を構え、戦闘体勢を取る。
爺さんはダラリと脱力した構えで動かない。
どう来る?
いや、先手を取らせるのは危険…か?
考えている間にアレックスが先に仕掛けた。
横薙ぎの一閃。金属音。
それと同時にアレックスの剣が宙に舞い、近くに突き刺さる。
「っつ」
アレックスが腕を押さえる。
「アレックス。大丈夫か?」
「あぁ、信じられねえ。この爺さん俺の攻撃に合わせてきやがった」
爺さんはアレックスと自分の刀を見比べている。
「硬いの。手首を落としたと思うたが、落とせなんだか」
「気を付けろディラン。鎧に傷がついてる。踏み込まれると落とされるぞ」
何となくだがこの爺さんの技が見えてきた。
返し技だ。相手の打ち込んだ力を利用しているのか。
俺達の『白の鎧』に傷を付けられている時点で恐ろしい腕だ。
…並の武器や魔法では傷は付かないはずなんだがな。
俺自身、今一つよく分かっていないが、特殊な製法の金属が使われているとか…。
アレックスは爺さんから視線を外さずにゆっくりと剣を拾いに下がる。
俺は邪魔をされないように牽制。
周りも俺達の戦いに圧倒されたのか誰も動かない。
「お、おい!何を突っ立ているんだ。お前らは逃げた連中を追え!殺すんだよ!」
思い出したようにクソ野郎が指示を飛ばす。
生き残った連中が弾かれたように動き始める。
「させんぞ」
爺さんは素早く周囲を見回すと小さく呟く。
「“金翅”」
瞬間、体に何かが伸し掛かるような感触がして体が重くなった。
倒れないように足に力を入れて踏ん張る。
「なっ!?」
「クソ!何だこれは!?」
アレックスも同じ現象に襲われたのか動揺を露わにする。
「が…あぐ…」
「体が…」
他は耐えられなかったのか地面でもがいている。
この状況は拙い。何とかしないと。俺は必死に体を動かす。
防御だ。この後何が来るかは不明だが防がないと死ぬ。
「“赤翼”」
爺さんが何か呟いたのが聞こえたのに合わせて剣を手放して両腕を交差させて急所を守る。
衝撃と金属音。腕で防がなければ俺の首があったであろう場所に何かが当たる。
力自体はそこまで籠っていなかったがまともに貰うと首が落ちていたと確信できる鋭さだった。
体の自由が戻る。
俺は剣を拾って後ろに飛んで距離を取り、周囲を確認。
アレックスも何とか防げたらしく剣を構えて油断なく爺さんに鋭い視線を向けている。
運が良かった奴は何人か尻餅をついて動いていない。
運が悪かった奴は首を落とされていた。
6、7人を一瞬で仕留めたのか。この爺さん何者だ?
俺は背中に冷たい汗を流しながら体を震わせる。
勝てるとは思えないが、もっとまともな場で尋常な勝負をしたかった。
それだけ爺さんの剣技は見事な物だ。
…だが、この場では爺さんは…。
爺さんは荒い息を吐きながら膝をついている。
あの技は体への負担が大きいようだ。
「は、はは。脅かしやがって。おい!殺っちまえ!」
黙れクソ野郎。
とは言っても提案自体には賛成だ。この爺さんは危険すぎる。
アレックスは軽く頷いて爺さんに剣を向けて慎重に近づいていく。
どう見ても爺さんは諦めていない。
アレックスに視線で合図をする。俺の視線の意味を察したのか頷く。
爺さんは何かを狙っているかのように動かない。
恐らくだが次で決まる。
俺達は左右から爺さんを挟んでじりじりと間合いを詰める。
剣の間合いまであと5歩。
4歩。爺さんは動かない。
3歩。アレックスも俺に合わせて間合いを詰める。
2歩。汗が止まらない。心臓に悪い時間だ。
1歩。息を意識して整える。
0。同時に切りかかる。
「“鳥王”」
爺さんの腕が霞んだ。
俺は一気に踏み込む。爺さんの剣に勢いが乗る前に距離を詰める。
いくら爺さんの剣が鋭くても完全に振り抜かなければそこまで恐ろしくないはずだ。
返し技は脅威だが、速度が乗っていない以上、鎧の強度なら問題なく耐えられ…。
次の瞬間に思考が断ち切られて俺の体が吹き飛んだ。
「…が…は」
上手く声が出ない。
胸の辺りを強く打ったようだ。
くそっ!何が起こった?
「ディラン!無事か!?」
アレックスが駆け寄ってきて俺を抱き起した。
「あ…あぁ、何とか。何が起こった?」
自分の体を確認して…背筋が凍った。
俺の鎧…脇腹の部分に折れた刀の刃が食い込んでいる。
そして俺の剣が半ばから折れていた。
「あの爺さん剣ごとお前を斬るつもりだったらしい」
剣を折る所までは上手く行ったが、鎧に止められてしまったようだ。
衝撃だけで吹き飛ばされたのか。間違いなく白の鎧が無かったら死んでいた。
爺さんの方へ視線を向けると血に塗れて倒れている。
「初めからお前を道連れにするつもりだったようだ。俺の剣を躱そうともしなかった」
アレックスは首を振る。
…そうか。
爺さんは俺達を倒すのは無理と判断してせめて片方だけでも道連れにしようとしたようだ。
それも敵わなかったようだが…。
「…命を…賭けても…届かん…か…」
爺さんはそれだけ言うと動かなくなった。
「はっ!脅かしやがって!お前等!グズグズするな!早く残りを片付けろ!」
クソ野郎は爺さんに何度も蹴りを入れながら生き残りに指示を飛ばす。
残った連中が爺さんの家族を追って行く。
爺さんが死んだ以上、ここに用事はない。俺達はクソ野郎を連れてその場を後にした。
その後、爺さんの家族がどうなったかが気になったが、翌朝にあの野郎が上機嫌だったのを見ると…恐らくは逃げ切れなかったんだろう。
その日は特に問題は起こらなかったが、俺は剣を失ったので近所の武器屋で安物の剣を買った。
俺が使っていたのは特別な剣ではないが支給品だ。一部とはいえ鎧も壊してしまった。
今日で一先ず任務が完了する。明日には教団に報告して数日の休暇だ。
そんな理由でアレックスは俺を酒に誘ったのだろう。
俺も酒でも飲まないとやってられない気分だ。
明日に影響が出ないようにする必要はあるがたまには多少は羽目を外してもいいだろう。
行きつけの酒場へと足を向ける。
途中ふと足を止めた。
「ディラン」
「あぁ、気が付いてる」
この時間、人通りは多くない。
だが、皆無と言うのは経験がない。周囲に全く人の気配がなかった。
妙だ。いくらなんでもおかしい。
俺達は腰の剣をいつでも抜けるように警戒しながら道を歩く。
アレックスも油断なく周囲に視線を飛ばす。
少し歩くと人影が見えてきた。
2人。両方とも黒い外套にフードを目深に被っているので顔は分からない。
だが、体格がいい。両方とも男だろう。
片方が前に出て剣を抜く。
「…立ち会って頂きたい」
何だこいつは?聖殿騎士と分かってやっているのか?
それとも挑戦?…まさか…私怨…か?
一瞬、あの爺さんの息子夫婦が頭を過ぎったが違うだろう。
目の前の男は体格が良すぎる。
身長こそ平均よりやや上ぐらいだが筋肉の盛り上がりが凄まじい。
かなり鍛えこんでいる。恐らくは実力を試したい求道者だろう。
逃げるのも難しそうだし相手せざるを得んか。
安物の使い慣れていない剣だが仕方ないだろう。
俺は剣を抜いて構えた。
アレックスはもう1人と対峙している。
そっちの男は更に体格がいい。身長もかなり高く、こちらも大した筋肉だ。
男として身長が高いのは素直に羨ましいと思う。
高い分、間合いが広がるからだ。
…おっと。余計な考えだな。
目の前に集中しよう。首を振って邪魔な思考を追い出す。
相手の出方を待つ。
俺は少しずつ摺り足で間合いを詰める。
あの爺さんとの経験を踏まえて返し技にも警戒する。
相手は動かない。
…先手を譲るつもりか?
上等だ。俺は軽く息を吸う。
吐くと同時に足に力を込めて一息に踏み込む。
袈裟に一閃。肩から入って胴体を両断する軌道だ。
相手は動かない。
俺は訝しく思いながらも振りぬく。
入る。そう確信したが伝わって来たのは空を斬る手応えだ。
何故と思った瞬間、近くで金属音。
視線を向けると剣が地面に突き刺さっている。どう見ても俺の剣だ。
弾かれた?そんな思考は突き刺さった剣を見て吹き飛んだ。
剣には腕がくっ付いていたからだ。
視線を下げると腕が肘の関節より少し残して先がなかった。
「が、な、あぐ。ば、ばかな」
口から意味のない言葉が漏れる。
斬られた?全く気が付かなかった。しかもこの斬り方、あの爺さんと同じ?
どういう事だ?
男は軽く息を吐く。まるで期待外れと言わんばかりの調子だ。
「“水銀”」
肩に衝撃。
「がはっ」
仰向けに倒れる。
何とか立ち上がろうとするが動けない。
声も何故か出なかった。
…クソっ。
内心で毒づきながらアレックスの方を見るとそちらももう終わっていた。
もう1人の男はアレックスの口の辺りを掴んで片手で持ち上げている。
それだけでも異常な光景だが、アレックスの様子もおかしかった。
顔がボコボコと不自然に脈打っている。
まるで皮膚の下で何かが蠢いているようだ。
アレックスは持ち上げられながら体をビクビクと痙攣させて…動かなくなった。
男はアレックスをゴミのように投げ捨ててゆっくりとこちらに歩いて、相方に声をかける。
「もういいか?」
「あぁ。もう十分だ。やってくれ」
男は俺に近づくと頭を掴んで持ち上げる。
「や、やめろ」
おれは聖殿騎士だ。敵を恐れない。痛みを恐れない。死を恐れない。
だが…目の前の男には何故か恐怖しか感じなかった。
「頼む待ってくれ、俺は…」
男の反対側の手がゆっくりと俺に伸び…。
俺の悲鳴が夜の闇に吸い込まれて行った。




