431 「哀愁」
続き。
一瞬、目の前の女が何を言っているか理解できなかったが、ややあってそう言う事かと察した。
確かに今後必要だとは俺も思うが、少し早すぎるんじゃないか?
「……教団を捨てる? 聖女殿、今一つ仰っている事が理解できないのだが……」
訝し気な声を上げたのはグレゴアだ。
「言葉通りです。 教団に必要なのはまず、グノーシスの名前を捨てる事です」
聖女様は特に感情を出さずに言い切った。
「い、いきなり何を言っているのですか! 貴女は私達に信仰を捨てろと!? そう言いたいのですか!?」
気が抜けたかと思ったが聖女様の言葉に反応して怒りが再燃したゼナイドが噛み付く。
「違います。 捨てるのは信仰ではなくグノーシスの看板です」
「……要はそこの聖女様はな、グノーシスとは袂を分かって別組織としてやっていきましょうって話をしてるんだ」
言葉が足りていないので俺が割り込むように捕捉する。
言いたい事は何となく理解できた。
「つまりは信仰や教義は変えずにこの国独自の宗教組織として運営していくと言う事ですね」
隣のクリステラも同様に理解したようで、感心したように聖女様を見ている。
「すまぬ。 今一つ理解が出来んのだが……」
理解が追いついていない筆頭のグレゴアが首を傾げているので俺は苦笑。
「グノーシス教団が今までやって来た事は消えません。 それは僕達がずっと背負って行かなければならない事です。 この組織が続く限り、今後もついて回るでしょう。 ですが、この国に教団は絶対に必要です。 組織としても人々の心の拠り所としても」
気が付けばその場の全員が聖女様の言葉に耳を傾けていた。
「まずは組織の膿を出しきってしまう所から始めなければなりません。 その為の独立です。 最初にやる事は全てを明らかにして民に全てを説明し、こういった事が今後起こらないと言う事を示し、信用を回復させる事こそまずやるべき事でしょう」
ハイディは「信用は積み上げる事は長く難しいが、失うのは早い」と付け加えた。
その言葉には妙な実感がこもっており、何故か説得力を感じさせる。
もしかしたら商売の類でもやっていたのかもしれんな。
「はっきり言いましょう。 その為にはグノーシス教団の名前は邪魔です」
「……何故、教団の名前が邪魔になるのだ? 民への説明と再発防止で事足りるのではないか?」
「そう言う訳にはいかねえんだよ。 さっきの説明でも言ったが、この一件の発端は枢機卿の立てた計画だ。 俺達がグノーシス教団で居る限り、落ち着いた後に連中が戻ってきたらまたやらかしかねん」
俺がそう捕捉するとグレゴアや訝し気な表情をしていた連中に理解の色が広がる。
「ぬぅ、つまりはグノーシスである限り上には逆らえん。 結果的に民相手に嘘を並べる事になりかねんと言う事か」
「そうだな。 本気で信用を取り戻したいってんならそれぐらいやらんとだめだって話だ」
「強要する気はありません。 僕の話に賛同して頂けると言うのであればここを中心に新しい組織を立ち上げようと思います」
ある意味では踏み絵だな。
信仰を取るか立場を取るか。
信仰を取れば立場を失い、立場を取ればこの国での居場所を失う。
……これは気軽に決められる事じゃないな。
俺は時間を置こうと言いかけ――
「私は聖女殿に賛同します。 どうか貴女のこれからの戦いに私を一翼として加えて頂きたい」
真っ先にそんな事を言い出したのはクリステラだ。
それを聞いて俺は内心で頭を抱える。
お前はそれでいいだろうが、他の連中にも考える時間をだな……。
あ、胃が! 胃が! 痛たたたた。
腹にそっと手を当てて魔法を行使。 痛みがすっと引いて楽になる。
「……俺も聖女の話に乗る」
こうなったら流れに乗るしかないので俺も内心で溜息を吐きながらクリステラに同意を示す。
他は沈黙。 明らかに悩んでいる。
無理もない。 こいつ等にとっての人生の大きな分岐点だ。 悩むなと言うのは酷な話だろう。
「立場を捨てる事になろうとも捨ててはならんものがある。 聖女殿、このグレゴア・ドミンゴ・グロンダン、貴女と共に歩みましょうぞ」
最初に決めたのはグレゴアだった。
奴はこういった決断は早いし、性格上こっちに付く事は予想できたが、こうして言葉にして貰うとほっとするな。
先々の事を考えるなら聖堂騎士の力は必ず必要になる。
可能であれば全員取り込んでしまいたいが――まぁ、難しいか。
グレゴアと似た表情をしている奴もいれば聖女様に胡散臭いといった視線を向けている奴もいる。
結局、十五人中こちらに付いたのは十二人で残りは本国の指示を仰ぐと言って、翌日に南のアープアーバン未開領域へと部下を連れて出立した。
その後は慌ただしく動く事になる。 新組織の名称や、聖職者や聖騎士の身の振り方に関する意思確認。
次にウルスラグナでのグノーシス教団の解体と民への説明。
全員を納得させるのは不可能だろうが、誠意をもって接し、これからの自分達を見て欲しいと聖女様やクリステラが先頭に立って人々に訴え続けた。
どうもあの聖女様は伊達に聖剣をぶら下げている訳ではなかったらしい。
彼女が街頭に立って演説をぶちかますと次々と信者が生まれるのだ。
一瞬、聖剣には洗脳能力でもあるのかと疑ったが、俺が見た限りそう言う物ではないようだが……。
ともあれやるべき事は一通り済んだ。
信徒や働いている皆にも話は済ませ、身の振り方も彼等の決断に委ねられた。
こうしてウルスラグナでのグノーシス教団は消滅。
新たに生まれた組織は『アイオーン』と名付けられた。
アイオーン教団の誕生だ。
当然ながら名前を変えたからってそれがどうしたと言う奴はまだまだ多いが、あの聖女様はその辺に手を抜く気はないようで、必要なら直接出向いて説得を行っている。
その際に何度も襲撃を受けたがクリステラも一緒な上、聖女自身も相当な実力者だったようで全て返り討ちにした。
聖剣の力で強化されている事もあるのだろうが、技量も高く単独で赤の冒険者まで上り詰めたという事実にも頷ける。
だが、頭痛の種も同時に増えた。
聖女はアイオーンの旗頭だ。 万が一があってはならない。
……にも拘らずだ。
あの聖女様はやたらと前に出たがるのだ。
戦闘が始まればクリステラと一緒になって真っ先に突っ込む。
騒ぎが起これば渦中に飛び込んで収めようとする。
暗殺されかかった事も一度や二度じゃない。
その悉くを幸運にも退けているが、何か起こる度に俺の胃に穴が穿たれ血が喉からせり上がる。
何回自分の血でうがいしたか覚えていないぞ。
その行動が結果的に功を奏したのは認める。
アイオーンはウルスラグナで一定の地位を確立する事に成功。
徐々に立て直しつつある治安もそれに拍車をかけた。
……まぁ、治安が戻るにつれて別の問題も噴出したが、それは今考える事じゃない。
こうして俺は新しい組織でやって行く事になったのだが――
目の前のお嬢さん方の行動で俺の胃はもうだめかもしれないな。
今回も魔物の殲滅を依頼されたのだが……流石に聖殿騎士だけでどうにでもなると判断して片付けようとしたのだが、どこから聞きつけたのか聖女様は僕が行きますと朝っぱらから出発し、慌てて追いかけ、気が付けば既におっぱじめていやがった。
結局やる事がなかったので包囲だけして、突っ立っているだけで終わったが、胃にまた穴が開いた。
そして髪の毛がまた抜けた。
最近は腰も痛くなった気がする。
勝利を喜び合う聖女様とクリステラを見ながら俺はぼんやりと思った。
……俺ってこの調子で行けば早死にしそう。
泣いていいだろうか?
誤字報告いつもありがとうございます。
これで十三章終了となります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回から視点を戻して十四章へ移行します。




