297 「奮起」
別視点。
何故だ。
僕――マルスラン・ルイ・リュドヴィック元聖堂騎士は頭を抱えていた。
人間などと言う貧弱な種から、新たな種として生まれ変わった僕が何故こんな目に…。
「ほれほれ、若いの! サボらずに頼むぜ!」
後ろでドワーフが偉そうに僕に指図する。
屈辱だ。 だが、逆らえないので無言で指定された位置に槌で木の杭を打ち込む。
ここは倉庫の建築予定地で、行っているのはその前準備らしい。
…くそう! 何故だ!
そう独り言ちながらも原因は分かり切っている。
クリステラ、エルマン。 あの二人だ。
先のムスリム霊山での戦いで、重要な標的であった二人を取り逃がした事で僕の評価は暴落した。
本来なら部下を任され戦い等で指揮や先陣の誉れを欲しいままにするはずだったというのに…。
くそう! 何故、僕はあんな子供騙しの幻術に引っかかってしまったんだ!
思わず力が入ってしまい杭の位置がずれてしまった。
「こら! ずれたぞ! やり直し!」
くそう。
あの戦いの後、主であるロートフェルト様は特に僕を責めるような事はしなかったので、ほっと胸を撫で下ろしていたが、ファティマ様はそうはいかなかった。
思い出しただけで恐怖が沸き起こる苛烈な折檻の後、雑用係に降格されてしまったのだ。
くそう。
雑用係と言うあやふやな役職の仕事内容は多岐に渡り、あっちこっちにと便利に使われる下っ端だ。
僕に相応しい役職じゃないぞ。
最初は畑での収穫作業だった。 常に労力が足りない忙しい所に放り込まれてひたすら果物や野菜を収穫し続けた。
…お陰で、収穫物の種類と特徴を暗記して空で言えるようになってしまったじゃないか!
繁忙期が過ぎ、収穫作業から解放されたかと思ったら今度はゴミ処理係だ!
あちこち回ってゴミや排泄物を集めて、処分用の大穴に放り込む仕事をトロールと一緒に行っていた。
臭い、汚いを地で行くその仕事に辟易していたが、選択肢はない。
内心で涙を流しながら僕は必死に頑張った!
気が付けば糞の集積等に慣れてしまい、誰よりも早く処理ができると自負している。
もはや、糞の処理においてこのオラトリアムで僕の右に出る者は居ないと言い切れるだろう。
その働きが認められたのか新しい仕事を振られたのだ。
期待に胸を躍らせ挑んだのだが…。
――ぐぐぐ、何故だ…。
目の前にはゴブリンが十数匹。
全員、不思議そうに首を傾げている。
「まず、魔法行使に大事なのは陣の構築です。 脳裏…えっと、頭の中で描くのです」
地面に構築陣を木の枝で書いた後、実践。
<火Ⅰ>を使う。 手の平から炎が上がる。
それを見てゴブリン達がおおと歓声を上げた。
「さ、やってみてください」
ゴブリン達が地面に描いた陣を見ながら念じたりし始める…が、誰一人まともに使えていない。
一応、僕が今まで教わった事をそのまま教えているのだが…。
僕は頭を抱える。
…何故、こんな基礎中の基礎すら理解できない。
子供でもできる奴はⅡまで行使できるというのに…。
ゴブリン共の理解力の低さには辟易するが、努めて表には出さない。
僕はこれ以上失敗する訳には行かないからだ。
恐らく、これ以上評価を落とすと僕は雑兵で終わる。
実際、ファティマ様が僕に向ける視線はゴミか何かを見るそれだ。
折檻の際に散々言われたので、理由は分かり切っている。
僕の犯した失態が大きかったからだ。
現状、僕の評価は完全に地に落ちている。
だからこそ、こうして地道に成功を積み重ねて挽回の機会を窺っているのだ。
僕は聖堂騎士にまで上り詰めた天才。
この程度の逆境、必ず跳ね返して見せる。
そしてオラトリアムで盤石の地位を築くのだ!
初日は散々だったが、僕はこんな所で終わる男じゃない。
ゴブリンが馬鹿なら馬鹿でも分かるように教える方法を編み出すのだ。
僕ならやれる。
一晩の間、悩み抜いて捻り出した案を翌日に試した。
一足飛びに学ばせる事を止めて、連中には陣を絵として書かせることにしたのだ。
訓練を始めてから日が暮れるまでずっと絵を描かせた。
ゴブリン共は下手くそなりに絵を描き続け、見本なしで書けるようになった者から魔法の訓練に戻す。
するとどうだ! 完全とは言い難いが見事に使わせる事に成功したのだ!
見たか! 僕にかかれば救いようのない馬鹿でもご覧の通り魔法を使わせることができた。
与えられた期間は十日だったが、僕は何と五日で全員に魔法を使わせることができたのだ。
やはり僕は天才だ。
意気揚々とファティマ様に報告に向かったが、残念ながら不在だった。
最近、忙しいのかファティマ様は屋敷を空ける事が多いらしい。
それに加えて、戦力の増強や防備の強化などに力を入れている節がある。
もしかしたら戦いになるのかもしれない。 それも大規模な。
グノーシスが相手なら僕に復讐の機会が訪れる。
エルマン、クリステラ。 絶対殺してやるからな。
僕はあの二人を八つ裂きにする様を幻視してほくそ笑んだ。
「それで? 私の提案を呑んで頂けるのでしょうか?」
私――ファティマは目の前の男に向けて微笑む。
ここオラトリアムの隣領、アコサーン領の領主である、ホッファー・モスバー・ローシェット・アコサーンは額から汗を流しながら視線を彷徨わせる。
私が今居るのはアコサーン領主の館。
後ろには見た目と色を弄った装備を身に着けたアレックスとディラン。
目的は――。
「わ、私に国を裏切れと?」
「いいえ? そこまでは言っておりませんよ? いざとなったらどちらに付くのが得かの話をしているだけです」
近隣領の抱き込みだ。
ロートフェルト様が国の上層部に目を付けられた以上、最悪の場合に備えての根回しを行っている。
現状では可能な限り避けたいですが、独立を前倒しする必要がありますね。
できれば最低でも後数年は欲しい所でしたが……。
流石にロートフェルト様を狙う塵屑共の首魁が国の宰相とは思いませんでした。
できれば私が直接王城へ出向いて、面倒事を持って来るなと痛めつけた後、畑の肥料にしてやりたい衝動を我慢して、こうして仕事を部下に任せて外に足を運んでいます。
本音を言えば馬鹿みたいにさっさと頷いてくださいと言ってやりたい所なのですが、相手が相手なので多少は下手に出なければなりません。
「…これは彼も承知している事なのか?」
「ええ勿論。 私はロートフェルト様から全てを任されています。 あの方の名代とでも思ってください」
当然ながら要求だけでは人は動きません。
メリット、デメリットを提示する必要があります。
私はディランを一瞥。 察したディランは持参した鞄から紙束を取り出しました。
私はそれをホッファーに渡します。
受け取った紙束にさっと目を通した後、小さく目を見開いて顔を上げる。
「…なるほど、これがオラトリアムへ従う事に対する利益と言う訳か…」
「えぇ、少なくともこの領の物流は飛躍的に向上するでしょう。 それと並行してのオラトリアム、アコサーン間の山脈の工事。 専用の抜け穴を掘る事によって、輸送の手間を大幅に削減――」
その他、様々なメリットを一つ一つ挙げて行く。
「なるほど。 将来、被るであろう不利益を度外視すればいい話ではある」
「だからこそ、それを上回る実利を示したつもりですが?」
私は笑みを崩さない。
この手の話し合いは常に余裕を示し続ける事は基本だ。
その点で言うのなら、目の前の男は落第点だろう。
額から汗を垂れ流し、表情はやや憔悴している。
聞けば娘を事故で失って以来、急に老け込んだらしいのですが…。
実際、何が起こったのか知ればお気の毒にと言いたくなりますね。
当の娘はいつの間にか中身が入れ替わって如何わしい連中を領へ引き込み、やりたい放題。
それもロートフェルト様のご活躍で解決しましたが、本当の意味での娘の死を知り消沈と。
残った体は別人に持って行かれ体すら残らない。 控えめに言って哀れな男ですね。
跡継ぎも居ないからアコサーンは今代で潰れるのは目に見えています。
だからこそ、真っ先に取り込もうと思ったのですけどね。
オラトリアム、ライアード、アコサーン。 後はメドリームを押さえればウルスラグナの北方は完全に掌握したと考えても良いでしょう。
私としては将来起こるかもしれない戦に備えて置きたいので、少し焦っています。
それに加えて、多忙なので早く済ませて屋敷に帰りたいのですよ。
「別に何も起こらなければ、動く必要はありません。 そう言う事もあるかもしれませんよ?という話です」
少し押しますが中々倒れませんね。
内心で小さく息を吐いて、仕方ありません。 今までの不祥事を蒸し返す事にしましょうか。
その後、ホッファーは重い溜息を吐いて私の提案を呑んでくれました。
話し合いと言うのは大事ですね。
次はメドリームですか。
面倒なと思いつつ、どう動くかを頭の中で纏めながらホッファーと今後の細かい話を詰めました。
誤字報告いつもありがとうございます。




