285 「決断」
別視点。
逃げられない。
そう考えて、わたし――イヴォンは自らの運命を悟った。
親友のエマの身に起こった事とわたしが里親にと選ばれた事。
修道女サブリナの意味深な笑顔。
様々な物が脳裏を駆け巡る。
それでもどうしてと思ってしまう。
どうしてこんな事に…。
わたしがエマの見送りなんて事を考えて言いつけを破って部屋を抜け出したから?
偶然、エマと修道女サブリナを見つけてこっそり部屋に忍び込んだから?
後悔した所で後の祭りだ。
「消灯後に部屋を抜け出すなんて困った事をしましたね?」
こうして修道女サブリナに手を引かれて連れられている現実は変わらない。
彼女はいつもの声といつもの笑顔で、窘めるようにそう言う。
それが気味悪くて仕方がなかった。
「でも心配はありません。 これからあなたの罪は清められ、全ては許されます」
「…修道女サブリナ。 質問しても構いませんか?」
恐怖で無意識に声が震えるが、必死に抑え込む。
「何でしょう? 私に答えられる事であれば構いませんよ?」
修道女サブリナはいつもの笑みを浮かべて促す。
「エマはどうなったのですか?」
「安心してください。 エマは主の為にその身を捧げ、その僕となりました」
修道女サブリナはいつもの調子でそう答えるけど、内容に全く安心できなかった。
言っている意味が全く理解できない。
身を捧げる? あれが? どう見てもエマの意志を無視した行いにしか見えない。
僕? 死んで天に召されたとでも?
彼女と話せば話すほど、今まで積み上げた信仰がガラガラと音を立てて崩れる。
同時に生まれたのは怒りに近い何かだった。
訳が分からない。
信仰?そんな物は捨てるからわたしをその辺に放り出してくれませんか?
そう言ってやりたかったけど、恐ろしくてとてもじゃないけどできない。
結局、わたしはまともに抵抗もできないままエマと同じ道を辿って修道女サブリナの執務室に入り、中にある階段を下りて先日の部屋に着いた。
そこには以前に見た魔物が腕を組んで佇んでいる。
「そいつが覗いていたガキか?」
「えぇ、その通りです。 アゼコシ――いえ、アラクラン聖堂騎士」
それを聞いてわたしは目を見開く。
魔物が喋った事も驚きだけど、聖堂騎士!?
この魔物が? 信じられない。
よく見ると外皮と思われたそれは鎧だった。
つまり魔物が鎧を着て聖堂騎士として振舞っていたと言う事になる。
…信じられない。
教団は魔物を聖騎士として取り立てているの? 魔物は悪しき者だと言っている裏で?
立て続けに理解を越えた事が起こり過ぎて物を考えられない。
わたしの視線に気が付いたのか魔物――アラクラン聖堂騎士はこちらを見て小さく息を吐く。
「ついてなかったなぁ。ガキ。 あんなもんを見なきゃあもう少し長生きできた物をよぉ」
いいながらこちらに近づいて来る。
歩きながら尻尾が別の生き物の様に風を切って動く。
「今、楽になれるように薬を打ってやるからよぉ。 なーに、意識を失っている間に処置は終わるから心配すんな。 ま、儀式の途中で目が覚める事にはなるだろうがよぉ」
わたしは無意識に下がろうとしたけど、修道女サブリナが掴んでいる手が離れずに動けない。
アラクランの尾が狙いを定めるように動く。 恐らくアレに刺されたら動けなくなる。
尾の長さから、大体後、三歩ぐらい歩けばわたしに針が届くだろう。
一歩。
思えば短い人生だった。
早くに親を亡くしてここへ引き取られた時は神様って本当に居るのですねと感謝した物だ。
二歩。
恩を返す為にわたしも将来、聖職者か聖騎士にでもなろうなんて考えた事も一度や二度じゃない。
何度も立派になった自分を見せる為にここに凱旋するのを夢想した。
まさか、たったの一晩でそれが幻だったと気付かされるとは思わなかったけど…。
わたしの胸にあるのは諦め。
ただ、諦めだけ――な訳がない。
エマの悲鳴を思い出す。 頭に変な針を打ち込まれた彼女。
自分もそうなるのかと考えた瞬間、思いが零れる。
三――
「だれかたすけて」
アラクランが三歩目を踏み出す瞬間。
わたしは修道女サブリナに突き飛ばされてつんのめる。
後ろで何かが空気を裂くのを感じた。
同時に襟首を掴まれて引っ張られた。
後ろを振り返ると――。
「助けに来ました」
昨日話した聖騎士――クリステラさんが小さく笑みを浮かべていました。
「だれかたすけて」
救いを求める声を聞いた瞬間、私――クリステラは迷いなく動く事が出来た。
正直な話、割って入る直前まで迷いがあった。
自分のする事は正しいのだろうか…と。
イヴォンの話を聞いた後、私は修道女サブリナの部屋へ忍び込んで現場を押さえる事を決めた。
どちらを信じるにしても、まずは見ない事には始まらない。
幸いにも、何故か買い物に出て行ったはずなのに買い物を忘れたジョゼが居たので、彼女に必要な魔法道具を仕入れて貰えたのも都合が良かった。
夜を待って忍び込んだ部屋で姿を消して待機していると、聞いた通り修道女サブリナに手を引かれたイヴォンが現れ、隠し部屋に入っていく。
この時点で、修道女サブリナの話に嘘があった事が確定し、彼女への疑心がはっきりと形を成す。
気付いていない二人の後を追って、下に降りる。
降りた先には異形の者――異邦人が居た。
修道女サブリナの言葉から彼がコルト・アラクラン聖堂騎士であることが分かる。
奇妙な鎧に兜を外しているのでその露わになった素顔は人の物ではなかった。
変わった形状の鎧は恐らく体格に合わせての事だろう。
名前は知っていたが、実際に見るのは初めてだったので少しその姿に驚いた。
イヴォンの表情は髪の毛に隠れて見えないが、微かに震えているのは分かる。
この期に及んで、未だに私は迷っているのだ。
彼女を助けるのか否かを。
笑ってしまう。
今までなら即断即決が私の持ち味と信じていたのに、今はどうだろう?
助けた後の事を考えてしまっている。
仮に彼女を助けたとしよう。
そうなれば修道女サブリナは決して私を許さない。
聖堂騎士の資格は剥奪され、立派な背教者となり追われる人生になる。
そうなれば聖騎士として生きたクリステラ・アルベルティーヌ・マルグリットは死ぬ。
目の前の行動一つで自身の運命が大きく変わってしまうのだ。
そう考えると、体が震える。
怖いのだ。 未知に踏み出すのが。
心は彼女を助けたいと願っている反面、今の生活を捨てる事を怖がっている。
二人がイヴォンの処遇について話しているというのに碌に聞かずに私は自分の内側に集中していた。
どうする。 どうすればいい。
ここに来て脳裏を渦巻くのはそんな事ばかり。
私はこんなにも弱い人間だったのだろうか?
不安で吐きそうになる。
何か。 決める為の何かが欲しい。 弱い私の背を押してくれる何かが。
アラクラン聖堂騎士がイヴォンへ向けて足を踏み出す。
決めろ。 引くか行くか。
だが、体は動かない。
こんな時に動けもしないのかと自分で自分に対しての失望が生まれ――
――だれかたすけて。
それを耳が拾った時、迷いは瞬時に消し飛んだ。
私は腰の浄化の剣を引き抜いて修道女サブリナへ斬り込んでいた。
彼女は即座に反応して、イヴォンを突き飛ばし回避行動を取る。
狙い通り。
イヴォンとの間を狙えば彼女は突き飛ばさざるを得ない。
離れたイヴォンの襟首を掴んで引っ張る。
振り返ったイヴォンは髪が左右に別れ、顔を隠していた表情が見えた。
愛らしい顔と涙に濡れたその表情を見て思う。
自分は何も間違っていないと。
少なくとも自分は目の前の少女の涙を止める事が出来るかもしれない。
今はそれで充分だ。
胸の中で渦巻いていていた物に答えが出た。
理不尽な死を強いられた少女の運命を打倒する。
正しいかなんて分からないけど、少なくともこの時この瞬間に私は私の正義を得た。
使用した魔法道具の魔力を切って姿を現す。
呆然とするイヴォンに私は宣誓の思いを込めて彼女に言う。
胸を張って。
「助けに来ました」
――と。
イヴォンがぽろりと涙を零して私にしがみ付く。
私はその頭をそっと撫でながら、浄化の剣を二人に向ける。
「説明して頂きましょうか?」
自分でも驚く程に怒りが乗った硬い声が出た。
修道女サブリナは少し驚いた顔をした後、数歩下がる。
私の間合いから出たか。
「それは私の科白ですねクリステラ。 これはどういうつもりですか?」
「惚けないで下さい。 里親に出すと称して子供達を欺き、一体何をなさっていたのですか?」
修道女サブリナは小さく息を吐くと隣のアラクラン聖堂騎士を一瞥。
アラクラン聖堂騎士は小さく肩を竦めて壁際へ下がる。
私はイヴォンの腰にそっと手を回す。
「…そうですね。 偽りを述べた事に関しては謝罪します。 ですが、これは仕方のない事なのですよ」
彼女はいつもの表情で続ける。
「貴女にも全くの無関係と言う訳でもありませんし、少しだけ説明しましょう。 このマルグリット孤児院の起こりについて」
グノーシスは主を仰ぎ、その御使いたる天使を信仰している。
その使命は来るべき日の為に霊知を高め、信徒と信仰を集めて備える事。
これは知っている。 グノーシスに属している者なら常識と言ってもいい。
今思えば、随分とあやふやな内容だ。
具体的な内容が欠片程も存在しない。
この孤児院はその備えの一つらしい。
優秀な子供の育成と力の研究を行っている。
内容は天使召喚。 天使の力を人の身でどこまで体現できるか。
簡単に言うと、人がどこまで天使に近づけるかと言う事らしい。
「…つまりは子供を使って実験を行っていて、ここはその為の施設だと…」
思わず声が震えた。
子供達を喰い物にする為に育てている。 それが私の故郷の正体?
その話が本当ならここは孤児院ではなく、まるで牧場ではないか。
「心外な。 確かに実験は行っていますが、全員ではありませんよ?」
修道女サブリナの口調には窘めるような色がある。
それが気持ち悪くて仕方がなかった。
「その証拠に貴女は立派な聖騎士どころか、聖堂騎士にまで上り詰めたでしょう? やはり私の見立てに間違いはなかったようですね。 私の仕事は送り出す者とそうでない者の選別」
「…選別…」
「そう、貴女のように優秀な能力を持った子は聖騎士や聖職者として、そうでない者はこうして実験に協力して貰っているのですよ」
いつの間にか私にしがみ付いていたイヴォンも信じられないと言った表情で、修道女サブリナを見ていた。
「…修道女サブリナ…つまり…エマは…わたしの友達は優秀じゃなかったから実験に使ったのですか? そんな理由であんな仕打ちをなさったのですか?」
「あんな仕打ち? これは名誉な事なのですよ? 存在の全てを主に捧げるとても尊い行いです。 エマは立派な事を成したと誇らしく思っているでしょう」
「もう充分です」
その声とその顔でそんな悍ましい言葉をこれ以上聞きたくもなかった。
今までのここで過ごした日々に亀裂が走る。
声に怒りが宿っているのを感じ、剣を持つ手に力が入るのが自分でも分かった。
「そうですか。 なら話は終わりにしましょうか? アラクラン聖堂騎士?」
「あぁ、充分だ。 もう、ガキ共は何があっても朝まで起きねえよ」
アラクラン聖堂騎士が壁にある何か、球状の魔法道具らしき物を操作しているのが見えた。
恐らく、この施設の子供達を眠らせる仕掛けか何かだろう。
わざわざ話をしたのは完全に効果を発揮するまでの時間稼ぎか。
「さーて、ビジュアル的にも戦力的にも勿体ないがクリステラは処分か? 折角の救世主候補だったのにいいのかよ」
「残念ですがそうせざるを得ませんね。 見られた以上は死んで頂きます。 安心してください、私の可愛いアルベルティーヌ、これは主の御意志です」
修道女サブリナはそう言い、修道服の袖口を軽く振るうと短い杖の様な物が飛び出した。
短杖と思われた物は持ち手の意志に反応したのか彼女の手に収まったと同時に一気に伸びる。
長くなった杖を軽く床に打ち付けると、先端の装飾が鈴のような澄んだ音を立てた。
アラクラン聖堂騎士は兜を被り戦闘態勢を取る。
私は片手で剣を構え、残った腕でイヴォンを抱き上げた。
主人公って誰でしたっけ?




