269 「防衛」
別視点。
巨大魔物が唸りを上げて突っ込んで来るのを躱しながら僕――ハイディはその外皮を短剣で切り裂く。
血は出ないけど確かに傷は刻まれている。
…厳しい。
三匹の魔物がのたうつように動き、あちこちを破壊していく。
お陰で敷地の外縁に設置した松明や魔石が破壊されて、光源が減っている。
その為、闇が徐々にではあるがこちらに侵食してきているのだ。
僕や聖殿騎士達は防御手段を持ってはいるが、他はそうもいかない。
聖騎士達は少しずつ動きに精彩を欠き、一人、また一人と魔物の巨体の前に斃れて行く。
この状況で戦力が減るのは本当にまずい。
どうにかして数を減らさないと…。
あの魔物の急所はどこなんだ?
リリーゼさんもそれを探っているのか矢を撃ち込む位置を意図的に変えている。
逆にエイデンさんは正面から両手の剣で引きつける構えらしく、皆を守る動きだ。
僕は魔石や小道具を使っての撹乱を主に動いていたけど、ここまで長引く戦闘は初めてで、手持ちの武器や道具が段々心許なくなってきている。
後は――。
さっき飛び込んできたおじさんだ。
手から魔法と思われる魔力でできた球のような物を出して攻撃しており、威力も凄い。
よくみると全身に魔法道具と思われるものを大量に身に着けており、魔物と正面切って戦えている。
一匹引き連れて来なければ諸手を挙げて歓迎したい所だったけど、お陰で状況が一気に傾いてしまったから正直、文句の一つも言いたいけど今はそんな事をしている場合じゃない。
…一体、何者なんだろう…。
身なりは良さそうだけど、冒険者や騎士には見えないし…。
おじさんの素性には疑問が尽きないけど今は味方と割り切ろう。
エイデンさん達も同じなのか完全に受け入れている。
視界の端で聖騎士の一人が丸呑みにされていた。
厳しい。
これは少し思い切った手に出た方が良いかもしれないか…。
「ハイディさん。 打って出ます。 手を貸して貰えませんか?」
いつの間にか近くに来ていたエイデンさんに声をかけられる。
考える事は同じか。 ちらりと上を見るとリリーゼさんと目が合い、頷かれた。
狙うのは一匹。 意地でも仕留める。
一角さえ崩せれば戦況は大きく傾く。
「俺が相手にしている奴の動きが悪い。 恐らく一番弱っている」
「分かりました。 僕に手があります。 少し無理をしますが、攻撃を誘ってもらっていいですか?」
「了解だ」
僕は魔石の入った袋をリリーゼさんに見えるように掲げる。
それを見た彼女は大きく頷いた。 良かった。 察して貰えたようだ。
「よし。 行くぞ!」
そう言ってエイデンさんが標的の魔物に肉薄して斬りつける。
魔物の注意がエイデンさんに向く。
エイデンさんはわざと中途半端に魔物と距離を取る。
攻撃を誘う為だ。
そして相手は誘いに乗った。
頭を大きく引いて勢いをつけて突っ込む。
大きく開いた口がエイデンさんに喰らいつこうとするが、際どい所まで引きつけて真上に跳躍。
頭が何もない空間を通り過ぎる。
…ここだ。
僕は魔石の入った袋を全力で投擲。
口に入ると同時にリリーゼさんの矢が袋に命中。
瞬間、凄まじい光と共に袋が爆散。
魔物の頭部が砕け散る。
残った胴体から力が抜けたように崩れ落ち――。
それは油断だった。
――ずに力を取り戻した尾が僕へ向けて薙ぐように動く。
躱せなかった。
仕留めたと思った油断が僕から回避と言う選択を取る時間を奪い。
全身に衝撃、次いで浮遊感、最後に背に衝撃。
霞む視界の中で魔物の胴体が力尽きたように動きを止めたのが見えたが、それ以上は無理だった。
僕は――。
それが限界だった。
視界が暗くなり――意識が途切れ――。
「何て事!?」
あたし――リリーゼは吹っ飛ばされたハイディさんが教会の壁に叩きつけられるのを見て歯噛みした。
完璧に頭を吹っ飛ばした。
正直、あたしも仕留めたと思い、意識は次の標的に向いており、反応が遅れてしまった。 それも致命的に。
頭部を失った身体は力を失っていた。
まさか最後の最後に力を振り絞って一矢を報いるとは…。
油断…いや、余裕がなかった。
幸いにも他の二匹とは距離が開いているお陰ですぐに死ぬ事はないだろうが、あの当たり方は不味い。
急いで治療しないと。
だが、エイデンを始め、聖殿騎士は全員魔物を抑えるので精いっぱいで、治療する余裕がない。
聖騎士はもう動ける者がいない有様だ。
あたしもこの闇の影響を跳ね返す為に鎧に魔力を回しているお陰で消耗が激しい。
そう遠くない内に攻撃に魔力を回せなくなる。
疲労で体が重く、集中力も少しずつだが維持できるかが怪しくなってきた。
一匹減らせたと言っても残り二匹。 やれるか?
脳裏に敗北の二文字がチラつくが黙れと強引に捻じ伏せる。
エイデンも頑張ってはいるが、動きに精彩がない。
他の疲労もそろそろ限界だろう。
乱入して来た男はまだ元気だが、戦いながらキョロキョロ視線を動かしている所を見ると、敗色が濃厚になれば逃げるつもりなのが透けて見える。
くそ、せめてこの訳の分からない闇さえ消えてくれればかなり楽に戦えるのに…。
「が、は…」
「エイデン!」
魔物と正面切って戦っていた弟が遂に攻撃を捌き切れずに尾の一撃を受けて吹き飛ぶのが見えた。
あたしは吹っ飛ばした魔物に連続で矢を撃ち込む。
消耗なんて考えてられない。 何とか立て直すまで抑えないと…。
近くにいた部下が動かないエイデンを引き摺って離れようとしていたが近すぎる。
魔物は見逃す気は無いようで視線は離れようとしているエイデンを追っていた。
…くそ。 くそくそくそくそ。
「こっち見なさい化け物!」
何度も矢を撃ち込むが自分でも焦っているのが分かる。
普段なら必中の距離にも拘らず数本外すなんて失敗を犯してしまう。
くそ! こっちを見ろこっちを見ろあたしの弟に近づくなこの化け物!
矢を射る射る射る射――。
不意に力が抜けて、矢を取り落とす。 拾おうとしたが力が入らない。
魔力が――こんな時に!?
魔物がエイデンに向けて口を大きく開き大きく仰け反った。
そのまま喰らいつくつもりだ。
あたしは何も考えられずにそれを呆然と眺める事しかできなかった。
魔物がエイデンに向けて突っ込む前に後頭部の辺りで派手な爆発が起こり、その体勢を大きく崩す。
…何が?
疑問を抱く前に攻撃を行ったと思われる者が、素早い動きで魔物の背に乗り巨大な武器を叩きつける。
同時に武器が薄く光を放ったかと思えば魔物の体が爆発したかのように飛び散った。
…!?
どういう仕組みなのかあの武器は表面が回転して接触した物を削り取っているようだ。
武器の主は削り取りながら背を駆け、頭へ向かう。
魔物は身を揺すって振り落とそうとしたが、どういう手段を使ったのか全く体勢を崩す事なく頭部へ辿り着き、武器を頭へ押し込む。
魔物の頭はあっさりとその武器の蹂躙に屈し、その原型を失って挽き肉となり周囲に飛び散った。
…あの武器は一体なんなの?
魔物をあっさりと粉砕した事も驚きだが、武器は赤黒い光を放ちながらどういう訳か闇を吸収している。
お陰で闇が薄れ、その正体が露わになる。
それは見知った顔で、意識を失っている彼女の探し人である――。
…ロー?
間違いなく少し前に会った冒険者のローだった。
ローは巨大な武器を軽々と担ぐと残りの魔物に肉薄。
魔物もローに気が付いて尾で薙ぎ払おうとしたが、次の瞬間には尾が千切れ飛んでいた。
恐らくは例の武器に触れた為だろう。
武器の破壊力も凄まじいが、あの巨体の攻撃を受けても全く体勢が崩れていないローの地力もまた凄まじい。
恐らくは魔法道具の類で底上げしているのだろうがそれを差し引いても常人の域を越えている。
ローが空いた腕を向けると魔物の頭部が引っかかるように動きを止め、引き寄せられた。
後はさっきの光景の繰り返しで、武器の回転に巻き込まれ頭部が一瞬で粉砕されて飛び散る。
文字通りの瞬殺だった。
自分達が総出であれ程苦戦した魔物がああもあっさりと。
それにどうして彼がここに…?
疑問に関してはすぐに答えが出た。
さっき乱入した男がローの方へ駆け寄り、手を握って何度も頭を下げている。
ローは無表情で教会の外を顎でしゃくると男は何度も頷いて走り去っていった。
残ったローもぐるりと周囲を見渡し――ある一点で止まる。
その視線を追うと、そこには意識を失ったハイディさんが居た。
ローは背に武器を差すと、少し迷うような素振を見せたが彼女の方へ歩みだす。
そっと彼女に手を触れて何かをした後、そのまま去って行った。
声をかけようかとも思ったが疲労と困惑で行動を起こすまでに至れず、結局黙って見送るだけしかできなかった。
まるで何かに化かされたような気分だったが、散乱した魔物の死骸と死んだ部下達がこれが現実だと突き付ける。
あたしはいけないと首を振って教会の屋根から降りた。
負傷者の手当てと、光源の追加、やる事は山ほどある。
本音を言えば寝台に倒れ込んで泥のように眠りたいが、今はその時ではない。
まずは負傷者の治療をしないと…。
あたしは頭の中でやるべきことを纏めながら皆のところへと駆け寄った。




