22 「記憶」
交代して仮眠を取る事になった訳だが、体はともかく俺自身に睡眠は不要。
やる事もないので、今までやってこなかった記憶の精査をしよう。
俺の中のイメージだが、記憶は本に似ている。
覚えてはいるが思い出さないと認識ができないのだ。
要は開いて読まないと内容が分からない。
今までは戦闘関連やその場で必要な記憶を思い出してはいたが、いい加減一通り目を通すべきだろう。
念のため、周囲への警戒は解かずに記憶へ潜っていく。
最初に見たのはゴブリンやトロールだった。
ぶっちゃけた話、連中はそこまで難しい事を考えずに生きてきたので内容はそこまで面白いものじゃなかった。
ざっくり言うなら酒! 金! 女!
ただ、連中が見てきた物は素晴らしかった。
シュドラス山の頂上付近から見える朝日や夕日、冬時の雪景色、夜の星空。
連中は景色としか捉えていなかったが、俺からすればとても美しかった。
エルフの記憶は弓と魔法の研鑽の記憶だった。
幼少から弓を始め、魔法を学び、森を友とする。
そして、森の大きさと深さ、生命力。
彼らからすればありふれた物だろうが、俺からすればとても美しかった。
地竜の記憶は疾走と捕食の記憶だった。
あの山に囚われるまでは、荒野と草原を駆け抜けて風を友としていた。
撫でる風、流れる景色は彼らにとってはただ映っている物だが、俺からすればとても美しかった。
人間の記憶は、なるほど。人に歴史ありとはよく言ったものだ。
研鑽、冒険、暴力、生活…そして死。
下らない物、面白い物、十人十色の人生は見ていて面白かった。
…あぁ、これはいいな。凄くいい。
これは楽しいな。
記憶だけじゃなく自分の目でも見てみたいぞ。
…おっと、記憶だけでなく周囲にも気を配るか。
目を薄く開けて周囲を窺う。
ハイディはボーっと火を見たかと思えば、伸びをしたりしていたが、その後は確かめるように腰に吊っていたククリを両手に構えて振り回している。
しばらくの間、武器の具合を確かめると、飽きたのか今度はこっちをじっと見始めた。
数分こっちを凝視していると今度は、寄ってきてジロジロ見ている。
…止めろよ。うっとうしい。
何だろうな…見た目は前世基準で好みなんだが、ガキを相手にしているような感じがする。
はっきり言って、ウザい。
この件を終わらせたらどっかに放り出そう。
いや、ズーベルとファティマを排除したら、後始末を押し付けるか?
…いい手かもしれないな。
こいつはこの件が終わっても付いてくるなどと言いだしそうだ。
なら、合法的に追い払ういい手かもしれない。
…にしても、さっきから人の顔見てうんうん唸るの止めろ。
「僕はこんな感じだったか」とか「良いかもしれない」って何がだよ。
何かしてくる様子はないし、放置でいいか。
俺は再び記憶の海に潜る作業に没頭した。
翌朝、準備を整えて寝ているハイディを起こして出発した。
昼前には山の頂上にたどり着き、夕方になる前には無事オラトリアム領へ入る事ができた。
二度と戻る気はなかったのに、こんなにも早くとんぼ返りするはめになるとはな。
俺はさっさと屋敷に行ってズーベルを殺すつもりだったが、ハイディが近くの村で情報収集するついでに宿を取ろうと言い、手続きを行うために宿へ向かっていった。
これがあるから、誰かを連れて歩くのが嫌なんだよな。
自分のペースで動けない。
急ぐ旅でなければそれも有りだと思うが、今回に限ってはそうもいかない。
ズーベル達に気づかれる前に辿り着いてぶち殺すって予定が狂うじゃないか。
俺はズーベルにとても不快感を抱いている。
ロートフェルトを殺した事には特に思う所はないが、殺し屋を送り込んできた事は不愉快だ。
記憶によると街で偶然見かけたので殺し屋を嗾けたらしい。
あの様子だと放置しておくと何度でも刺客を送ってくるだろう。
放っておいてくれればこっちからは何もするつもりはなかったのに…。
そんな事を考えていると、宿で手続きを済ませたハイディが戻ってきた。
「済ませてきたよ。そこで1泊しよう」
宿に入るとハイディは「情報を集めてくる」と言って早々に出ていった。
俺は…特にやる事もなかったので、ベッドに寝転がって目を閉じる。
途中だった記憶の続きを見るとしよう。
数時間程そうしていると肩を落としたハイディが戻ってきた。
ふらふら歩いた後、隣のベッドに座り込んだ。
俯いて黙っていたが、何か聞いてほしいオーラを出していた。
だが、俺は無視した。
…が、聞いてもいないのに勝手に話し出した。
「村の人に聞いてきたんだ…」
ハイディが聞いた話では、領の治安は特に問題ないらしい。
何件か野盗やゴブリンの襲撃があったが、ライアードが用意した傭兵が撃退したらしい。
では、領主のロートフェルトの評判は?
一言で言うなら最悪だった。
領を衰退させた原因。諸悪の根源。役立たず。無能領主。
もう散々な言われようだったらしい。
それに対してズーベルは領主の尻拭いをした苦労人。
無能領主の被害者。
…と、同情されている。
知ってたけど最悪だなズーベル。
それにしてもロートフェルト蹴落としてファティマに取り入って、何がしたいのやら。
目的が今一つよく分からない。
…で、目の前のハイディが落ち込んでるのはそういう訳か。
分かり切っている事で何を落ち込んで……そうでもないか。
昔を思い出す。
あれはいつだったか…ああ、そうだ高校時代、テストの点が振るわなかった時だったな。
父親に殴られたっけ…。
その後に散々、詰られて最後に「お前には愛想が尽きた」って言われたのは堪えたな。
以前から兆候はあって、頭では分かり切っているけど、実際に目の当たりにすると効くんだよなぁ。
今、思い出すと「私立で金出してやったんだから投資分結果を出せ」ってオーラが凄かったな。
何だか胸が痛くなった。
うむ、ちょっとだけ優しくしてやろう。
「領民の評判に関しては仕方がないだろう。連中は真相を知らない」
「でも…僕は…」
ハイディの声は震えて…って泣いてる!?
鼻水が凄…というかこいつ泣き顔、酷いな。
美人が台無しだ。
「はっきり言って、お前…いや、この場合俺達か?にも落ち度はある。それはズーベルを信じた事だ」
「…信じる事が落ち度だって言いたいのかい?」
「ああ、何故かというと結果、この状況になったからな。領民なんて言っても所詮は他人だ。他人は結果だけでしか物事を判断しない。実際、この結果を招いたお前への対応がその答えだ」
「…結果…」
「そうだ。自分達の生活が苦しくなった。この結果だけでお前の事を判断したんだよ」
…あれ?優しい言葉をかけるつもりが現実を突き付けただけになってしまったぞ。
俺は内心で何故だと首を傾げる。
「そうか…領民は皆家族と思っていた僕は…間違っていたのか…」
うわ、何かぶつぶつ呟き始めたぞ。
フォローを…いや、思っている事を言うだけでいいか。
「でもな。俺は知っているぞ?」
「…え?」
「お前が慣れない仕事に苦労してるのを…」
毎日、睡眠時間を削って独学で努力しているのを。
領民の声を聞きたくてお忍びで何度も村に行き、情報を集めていたのを。
知識を得ようと読みなれない本の前で四苦八苦しているのを。
実りはしなかったが、少なくとも本気で取り組んでいた。
それだけは俺が認めよう。
お前は頑張っていた。少なくとも前の俺なんかよりよっぽど上等な人間だよ。
「お前は十分に頑張った。その事実にだけは胸を張ってもいいんじゃないか?」
結果は伴わなかったけどなと付け加えてやった。
ハイディは泣き笑いのような表情を浮かべている。
何か言おうと口を開いていたが、結局「ありがとう」だけ言ってきた。
俺はとりあえず頷いておいた。
泣き笑いで更に酷い顔だと思ったが口には出さずに黙っておくか。
ハイディが落ち着いたところで、話を再開する事にした。
俺も泣き言よりは建設的な話が聞きたい。
「…で?ズーベルとファティマの所在は確認できたのか?」
目を少し赤くしたハイディは真っ直ぐこっちを見て頷く。
「僕の聞いた限りではズーベルとファティマはオラトリアムの屋敷からは動いていないようだ」
「そうか、ならライアードへは行かずに済むな」
固まっていてくれるなら手間が省ける。
それを聞いてハイディが苦笑する。
「…話を続けるよ。滞在の理由は君の看病という事になってるよ」
「俺のために領の統治と看病とは婚約者の鑑だな」
「その看病されるべき君が屋敷に居れば美談だったかもね」
まったくもってその通りだな。
「なら、予定通りオラトリアムの屋敷を目指せばいいのか」
「そうだね。ここからだと3日といったところかな?」
…え?1日で行くつもりだったんだけど?
面倒臭いな。3倍も時間かかるのか。
悪いが急かす事にしよう。
「いや、少し急ごう。2日で行く」
ハイディは少し考えて同意した。
「分かった。明日は早めに出て、最短距離で屋敷を目指そう」
どうやら先手を打ちたいという俺の意を汲んでくれたらしい。
方針も決まったので宿の下にある酒場で食事を済ませた後、俺達は休む事にした。
…俺は寝ないけどな。




