221 「紫煙」
別視点。
階段を駆け下りた俺――エルマンは宿舎から飛び出すと、外は酷い有様だった。
マルスランの同類みたいな奇妙な鎧共や、どう言う訳か魔物まで大量に入り込んでおり、凄まじいまでの乱戦だ。
…何だあいつらは?
俺もこの商売は長い。
その為、魔物の知識はそれなりの物だ。
知らないと死に直結するのでこれでも必死に覚えたんだが、その魔物達は俺の記憶に該当する物が居ない。 類似と言う点では思い当たる物はいるにはいるが明らかに違う。
見えている限りでは三種。
獣の頭部を持つ人型の魔物。
ルプスを巨大にしたような黒い四つ足の魔物。
それと――。
俺は腰の短槍を抜くと同時に背後に突きこむ。
槍は何かを捉え、耳障りな悲鳴が聞こえる。
素早く槍を引き抜き、同時に小さく跳んで距離を離す。
空間から滲み出るように魔物が現れた。
硬質な緑色の外皮、大きな目と黒い眼球、赤い瞳。
形状は人型だが、オークやトロールと言った亜人種に近い。
魔物は俺に怒りの籠った視線を向けると、空気に溶けるように消える。
俺は舌打ちして、短槍を構えて周囲を警戒。
…厄介な。
目で捉えられないのであれば、他の感覚で動きを掴む。
周囲の戦闘の音を頭から排除し、至近の音に専心。
大した隠形だ。 姿だけでなく気配もほとんど感じない。
…だが、呼吸と移動は別だ。
歩く事によって跳ねる泥や雨水。 降雨の中に混ざる微かな音を耳が拾う。
聞こえた足音は前方と背後で一つずつ。
音の力強さで分かる。 跳躍だ。
音と俺自身の位置から飛んでくる軌道は読める。
仕留めるのは片方、確実に殺す。
期を見計らって槍を前方、斜め上に投擲。
結果を見ずに前に走る。
背後で空を切る気配と槍が何かを捉え、悲鳴が上がったのが聞こえた。
振り返ると同時に巨大な物が地面に激突。
同時に手首に嵌まっている腕輪に魔力を通す。
魔物に突き刺さった短槍が手元に戻って来る。
こいつは支給品ではなく、俺が昔から愛用している一品だ。
腕輪と対になっており、魔力を通せば短槍が手元に戻る。
ただし、はっきりと目視できる距離に限るのでその点に注意しなければならない。
支給品の短槍は腰に差さっている。
それを引き抜きながら手元に戻った短槍を投擲。
硬質な音がして短槍があらぬ方向に飛んで行く。
弾かれたか。 だが、その点は織り込み済みだ。
残った槍を手元で回転させる。
槍は薄く光って薄紫の煙を吐き出す。
紫煙の短槍。
俺が聖堂騎士になった記念に教団から支給された武器だ。
魔力を吸収する煙を生み出す。 この煙は限度はあるが、魔法に触れるとそれを打ち消す。
視界も塞ぐので逃走、防御にと用途が広く、とても重宝している。
文字通り煙に巻ける訳だ。
正面切っての戦いはクリステラの嬢ちゃんの専売特許で、俺の領分じゃない。
…と言う訳で、俺は煙に紛れてその場を離れた。
当然、追撃はあったが、俺の軽鎧の効果で問題なく逃げおおせた。
惑乱の軽鎧。
効果は透明化と分身。
正確には気配だけの分身で、そこに何かいるかのように錯覚させるだけの子供騙しだが、中々馬鹿にできない。
姿を消した俺と俺の気配が四つ。
別々の方向へと走る。 魔物は逡巡するような気配を見せた後、俺の分身を追って行った。
俺は移動しながら魔石を取り出して部下に連絡を取る。
幸いにも俺の部下達はクリステラの部下と連携し、現在敵の掃討に当たっているらしい。
だが、敵の規模も正確な目的も不明。
部下からも簡単にではあるが話を聞いたが、敵は包囲してから輪を縮めるように攻めているそうだ。
明らかに包囲殲滅の動きで、単純にこの拠点の陥落を目的としているとしか思えない。
他に狙いがあるのかは知らないが、出揃っている情報ではそれ以外の結論が浮かばない。
殺すこと自体が目的としか考えられん動きなのだ。
奇妙な鎧を装備した連中の数は少ない。
だが、さっき見かけた三種の魔物が大量に入り込んでいるのが分かる。
正確な数は分からんのが痛い。 この闇と雨の所為で音も視界も碌に利かないからだ。
…これは逃げた方がいいような気がしてきたぞ…。
真面目な話、留まれば留まる程、身の危険が増していく感じがする。
逃げ出したいが立場がそれを許してくれない。
仮に全力で逃げたとしよう。 まぁ、一人でなら問題なく行けるだろう。
ただ、確実に背信行為と見なされ、追手が差し向けられる。
社会的な立場も死んでお尋ね者の誕生だ。
まぁ、逃げる事を状況が許してくれない限りはここで踏ん張るしかないって事だな。
――エルマン! 生きてるか!?
不意に魔石の一つに反応があったので、魔力を通すとスタニスラスの声が聞こえた。
――何とかな。
――無事だったか。 そっちの状況はどうだ? こっちは事務棟に戦力を集めて、迎え撃つつもりだ。
いい判断だ。
敵の狙いが殲滅と言う線が濃厚な以上、下手に分散するのは良くない。
スタニスラスも敵の動きから狙いを何となく読み取ったのだろう。
―― 一応、敵の戦力を確認した。 ダーザインの構成員らしき連中も確認したが、見た事のない魔物が大半を占めている。 連中、いつの間にあんな量の魔物を従えられるようになったんだか…。
――あぁ、例の鎧を身に纏った連中の他に人型と四つ足の二種確認したが、別で姿を消せる奴が居る。 そいつ等の正体が分からん。 ダーザインの暗殺者か何かか? 奴等は魔法道具等で姿を消す隠形に長けていると聞くが…。
――いや、魔物だ。 さっき一体仕留めたが、かなり手強かった。
衝動に任せて襲って来るかと思えば姿を消した上で、仲間との連携と言う行動を取れる知性。
他もそうだが、動きも魔物特有の高い身体能力を活かした的確な攻撃行動。
黒ローブや鎧を間違って攻撃する様子もない。
どう見ても完璧に制御されている。
ダーザインはどうやって手懐けた? 例の悪魔の研究とやらの副産物か?
俺の実力では数体までなら何とかなりそうだが、十数体で削られると厳しいな。
――そうか。 だが、奴等は一体どこから現れた? 鎧と後続は空から落ちて来たと言う話だったが、最初に仕掛けて来た奴等は山道を通ってきたはずだが…。
――暴れている連中の動きを見る限り、門を飛び越えたと言っても驚かんぞ俺は。
この時間帯だ。 出歩く人間も少ない。
誰にも見られずにと言うのは難しいだろうが、家の屋根伝いにでも移動すれば余り人目に付かずに来ることは不可能じゃないだろう。
…いや、そんな面倒な事をせずとも人型なら簡単な変装で行けるか。
それに連中が真っ直ぐにここに来たと言う事は四方の山門は押さえられたと考えた方がいい。
逃げようと山を下りた所で待ち伏せに遭うのは目に見えている。
――門は制圧されたと考えるべきか…。
スタニスラスも同じ結論に至ったようだ。
――エルマン。 お前も事務棟まで来い。 分散していては各個撃破される。
本音を言えばそうしたい所だが、クリステラを放置しておけないし情報も集めておきたい。
――いや、俺はもう少し情報を集める。 クリステラが……。
あぁ、しまった。 マルスランの事を言うの忘れていた。
クソ! 我ながら焦っているな。
――言い忘れていたが、例の鎧の中にマルスランが居やがった。
――何!? どういう事だ?
流石に予想外だったのかスタニスラスが動揺を露わにする。
――どうもこうもない。 例の鎧を装備して襲って来やがった。 今はクリステラが相手をしている。
――そうか…クリステラが相手をしているのなら問題はないだろう。
その点は同意だ。
あの鎧でどれだけ戦闘力が変化したのかは知らんが、中身がマルスランである以上、クリステラに負けはないだろう。
確かにマルスランは強い。
まともにやったら俺より強いのは間違いないが、クリステラは文字通り格が違う。
正面からの戦闘であのお嬢さんとまともに戦って勝てる奴はそういない。
だが、クリステラは強者ではあるが無敵ではなく、戦いに絶対はない。
――今回の件、マルスランの仕業と思うか?
――それはない。 奴の口ぶりから、完全に使いっ走りだった。
これは言い切れる。
――…操られていると言う線は?
――……ない…とは言い切れん。 口調にやや酔っぱらったような感じはしたが、俺には正気に見えた。
――分かった。 お前は引き続き情報の収集を頼む。 クリステラを見かけたら事務棟に来るように伝えてくれ。
――そっちはそのまま籠城しつつの防衛戦か?
そう聞くとスタニスラスは少し口籠る。
――いや、こちらから打って出る。
打って出る? 言っている事がさっきと違うぞ?
――責任者にしか教えられていないのだが、緊急時にのみ使用が許された奥の手がある。 それを使って戦況を傾ける。
…何だそりゃ? そんな都合の良い物があるのか?
――その奥の手とやらはそこまで強力な代物なのか?
――あぁ、そう聞いている。 だが、準備に時間がかかる。
なるほど。 だから籠城しての防衛って訳か。
――それが何かはあえて聞かないが当てにしている。 頼んだぞ。
――そちらも何か分かれば連絡を頼む。 無理そうならすぐにこちらに来い。
俺は了解と言って魔力を切って通話を終わらせる。
…そう聞いている…か。
凄そうなのは分かったが、過度な期待はしない方が良いかもしれんな。
周囲を確認すると戦闘の音が少しずつ移動していくのが聞こえた。
人が移動して戦場が定まった所為だろう。
俺は鎧の効果で姿を消したままその場から移動した。
やる事とやれる事は多い。
そして時間は少ない。 急ぐ必要がある。
頭の中でどう動くかを組み立てながら俺は踏み出す足に力を込めた。




