218 「開戦」
別視点。
ムスリム霊山四方には出入りする為の門が設けられている。
夕方以降、その門は閉じられており、周囲には門を守る聖騎士が数名いるのみだ。
一つの門につき、聖騎士四名と聖殿騎士が一名が詰めている。
彼等は慣れた日々の業務に従事しており、いつものように何事も起こらずに朝が来るものと信じていた。
その日も門の周囲に二人、近くの詰所に二人が仮眠を取っている。
時刻は夜。 雲に隠れて分からないが月は天頂にあり、朝は遠い。
門番の一人は少し前から降り出した雨に閉口し、早く交替にならないかとぼんやり考えている矢先の事だった。
ガシャガシャと言う鎧特有の足跡が複数近づいて来る。
二人は不審に思いながらもゆっくりと武器に手をかけた。
「何者だ!?」
迫ってくる者達に誰何の声を上げる。
暗がりから現れたのは聖殿騎士達だ。
人数は六。 全員がやや疲れた顔をしていた。
「どこの隊の者だ?」
「…我々はマルスラン聖堂騎士の使いで参った! 緊急で報告する事がある! 上への取次を頼む!」
「な、何があった?」
聖殿騎士は詰め寄りながらまくし立てるようにそう言い、門番がその勢いにやや飲まれるように小さく仰け反る。
「それは――」
次の瞬間、聖殿騎士は短剣で門番の喉を抉っていた。
門番は自分に何が起こったのか理解できず、驚愕に目を見開く。
次いで、ごぼごぼとうがいをするような音が喉から洩れ、力が抜けて地に崩れ落ちた。
残った門番も戦闘態勢を整える前に喉を掻っ切られて沈む。
聖殿騎士達は互いに頷き、油断なく武器を構えて詰所へ向かう。
その後、詰所で仮眠を取っていた聖騎士達は眠りから覚める事はなくなった。
同様の事態が他の門でも起こり、門番達は誰にも気づかれる事も無く消えてしまう。
流れた血や痕跡は雨に洗い流され、そうならない物は魔法で処理した後、聖殿騎士達は死体を片付け、何食わぬ顔で門番と入れ替わる。
目的はこの後に来るであろう者達を迎え入れる為だ。
しばらくすると黒ローブを身に纏った集団が音もなく現れる。
それを確認すると聖殿騎士達は門を開いて彼等に通るように促す。
黒ローブ達は僅かに困惑を滲ませつつも門を次々と通っていく。
山へ登っていく足音が遠ざかった所で門に別の一団が向かって来る。
そちらも門へ迎え入れ、通る予定の者達全てを通し終えると門を閉鎖し、彼等は持ち込んだ大型の魔法道具を起動。
示し合わせていたかのように他の三か所でも同じ物が起動し、山の周囲の空気が揺らめく。
同時に山から聞こえて来る音が消えてなくなる。 雨音さえも。
聖殿騎士達は門を閉ざし、その場所を守るように立つ。
ただし、守るのは外からではなく内側に対して。
彼等は無言で待ち構える。 この道を逃げて来るであろう者達を。
門を通り山の頂上へ向かった黒ローブ達は速やかに役目を実行する。
頂上――グノーシスの施設へと辿り着いた彼等は手始めに巡回の聖騎士に襲いかかった。
背後からの奇襲。 襲われた聖騎士達は自分の身に何が起こったか理解すらできなかっただろう。
次いで複数人が共同で魔法を発動。
<爆発Ⅲ>。 三人一組で放つ強力な魔法で、指向性を持たせた熱と衝撃を任意の方向、場所に放つ。
彼等は発現点を施設内に設定。
他とタイミングを合わせ一斉起動。
施設のあちこちから轟音と共に爆発が起こり、次いで悲鳴が無数に上がった。
混乱は生じていたが、聖騎士はともかく聖殿騎士以上の者は厳しい聖務を潜り抜けた手練れだ。
襲撃と悟り、すぐさま装備を整えて外に飛び出してきた。
聖殿騎士達は黒ローブを見つけると即座に正体を看破。
周知させるために叫ぶ。
「敵襲! ダーザインだ! 迎え撃て!」
こうしてムスリム霊山での攻防は幕を開けた。
黒ローブ――ダーザイン達に与えられた指示は陽動だ。
派手に暴れて周囲を引っ掻き回す。
ただ、指示に自分達の正体を必ず悟らせる事を徹底されていた。
その指示に彼等は疑問を覚えつつも完璧にこなして見せた。
聖騎士達はこの状況を完全にダーザインの襲撃と認識。
これで彼等の果たすべき仕事は終わった。
後は撤退の指示があるまで走り回るだけだ。
取りあえず指示にあった陽動は上手く行った筈だ。
あちこちから煙が上がるのを尻目にあたし――ジェルチはそう考えつつ周囲を警戒する。
指示にあった陽動と相手にダーザインの襲撃を受けたと認識させる事は完遂した。
少なくともこれで最低限の面目は立つ。
あたしが居るのは施設から南に少し離れた所だ。
ジェネットとあたしで部隊を分け、四方から山を登った。
あたしは南と東、ジェネットは西と北だ。
東はヘルガに任せ、あたしは南から上がって来たのだけど…。
…どういう事?
山に入る際に内通者らしき聖殿騎士が手引きしてくれた。
事前に手引きがあると聞かされては居たが、どういう事なのだろう?
最初は抜け道へ案内してくれるものかと思ったら実際は正面から素通りだ。
あの連中は何だ?
内通者が居ること自体は特に驚く事じゃない。
完全に組織を一枚岩にする事は無理だ。 裏切り者が出るのはある意味当然だろうけど…。
都合が良すぎる。
あれだけの数が今まで尻尾も掴ませずに一斉蜂起。
いくら何でも不自然過ぎる。
それに…門を潜った時にすれ違った聖殿騎士達の雰囲気に違和感が…。
上手く言えないが雰囲気に覚えがある。
まるで一つの生き物であるかのような――。
いけない。 内心で首を振って余計な考えを追い出す。
今は目の前の事に集中しなきゃ。
視線の先で聖騎士だけではなく聖殿騎士まで続々と建物から飛び出してきた。
そろそろ奇襲で作った優位が失われようとしている。
グノーシスが態勢を立て直しつつあった。 流石に早い。
あたしは歯噛みする。
…増援はまだ来ないの!?
いい加減引っ掻き回すのも限界だ。
こっちは戦闘専門じゃない。 まともに戦り合うと押し負ける。
誰だか知らないけどさっさと来きなさいよ!
飛び出して手近な聖騎士を「爪」を伸ばして切り裂く。
どちらにしても逃げる事は許されない。 何とか粘らな――。
不意に轟音が耳を叩き、次いで空気を震わせる衝撃。
音からして大きな物が落ちて来たようだけど…。
落ちて来たのは小聖堂の屋根?
空を見上げると何か巨大な物が複数空を飛んでいた。
…魔物?
巨大な羽に細長い体躯が空を泳ぐように飛んでいる。
月が雲に隠れている所為で、形は分かるが細かい形状は闇に隠されており、よく見えない。
その魔物達の背からバラバラと何かが落ちて来るのが見えた。
落ちてきた何かは表面から光のような物を漏らしながら次々と着弾。
あれが援軍?
空飛ぶ魔物には驚いたけど、何かを落とすだけで勝てるほど聖騎士は甘くはない。
魔物達は何かを全て落とし終えると飛び去り、途中で姿が溶けるように消える。
帰るのかよと思ったが、違うと即座に否定。
あいつらは役目を果たした。
――本命は落とした何かだ。
最初は石か何かだと思ったが違った。
それは金属を軋ませる音を響かせながらゆっくりと立ち上がる。
音と形状から全身鎧の騎士かとも思ったが違った。
月光に照らされたそいつらは騎士と言うにはおぞましすぎた。
形だけを見るなら確かに全身鎧の騎士だ。
鎧の意匠にも統一感がなく、寄せ集めの集団かと言う疑問すら脳裏を掠めるだろう。
だが、その鎧の異様さがその全てを否定する。
全身に亀裂が走っており、その亀裂から濁った色の光が微かに漏れていた。
落ちて来る時に見えた光の正体はそれだろう。
そして最も異常なのは――鎧が鼓動の様に脈打っているのだ。
鼓動に合わせるように亀裂から漏れる光が明滅する。
ダーザインに身を置いているあたしは悪魔と言う異様な生き物に常に触れて来た。
だからこそ分かった事がある。
あれは鎧なんかじゃない。
それは確信に近かった。 信じがたい事にあいつらはそう言う形をした生き物なのだ。
余りの光景にダーザインだけでなく、聖騎士達も動きを止める。
周囲の動揺を無視して鎧の内の一体が持っていた槍のような物を掲げ、囁くように声を出す。
声量としてはそこまでではない筈なのに驚く程良く通った。
「新しき我等の初陣だ。 それに恥じぬ戦いを。 ――殺せ」
瞬間、鎧達は起き上がる時の緩慢な動作が嘘のような俊敏さで手近な聖騎士達に襲いかかった。
重量がある見た目の筈なのに恐ろしいまでの速さで、最初に犠牲になった聖騎士は反応すらできずに首が胴体と泣き別れ、回転しながら宙を舞う。
遅れて血が噴出。
そこで聖騎士達が我に返る。
「怯むな! 何者かは知らんが敵である事は変わらん! 全て討ち取って我等の地へと土足で踏み込んだ愚かさの代償を支払わせるのだ!」
聖殿騎士の一人が周囲を鼓舞するかのように叫び、他もそれに釣られる形で大声を上げて自らの動揺を吹き飛ばしている。
「そうだ! 何だか知らんが霊知に祝福されし我等に敵うと思うな!」
「不心得者共め! 残らず討ち取って辺獄へ送り込んでやる!」
聖騎士達は奮起して謎の鎧達に挑みかかるが、異様な鎧達はその戦いもまた異様だった。
口から謎の毒液を吐く者、胸の部分が開いて針のような物を発射する者と誰一人として同じ戦い方をする者が居ない。
…何なのコイツ等は…。
いや、でもこれは好機だ。
今の内に部下達を下げて――。
いつの間に間合いに入ったのかさっき声を上げた隊長格らしい鎧が槍のような物をあたしに突き付けている。
他とは違うのか全身の亀裂から緑色の炎のような物が鼓動に合わせて漏れる。
明らかに他とは格が違うのが分かった。
「……何のつもり? あたしたちは一応、仲間の筈だけど…」
「その通りです。 ただし、肩を並べている間は、ですが。 我等の同胞に臆病者は居ません。 この意味が理解できますか?」
「逃げる事は許さないって事?」
鎧は小さく頷く。
クソッ! 鎧で表情は分からないが、口調で分かる。
こいつは喋り方こそ丁寧だが、明らかにあたし達を見下しており、何の価値も見出していないのは明らかだ。
つまりこいつが言いたいのは「戦って戦況に貢献してる間は味方として認めるが、そうでないなら敵と見なして一緒に処理する」と言う事だろう。
…選択の余地はないって訳ね。
下手にこいつ等に逆らうと裏切と見なされダーザインの誓約に引っかかる可能性が出る。
そうなればあたしだけじゃなくヘルガ達まで巻き添えになるかもしれない。
あたしは大きく舌打ちして敵の只中に突っ込む。
後ろで「結構」と呟く声が聞こえたが無視した。
結局のところあたしにできるのは一人でも多く敵を殺して戦いを早く終わらせる事だけ。
また、自分達は搾取されるのかと、小さく声を震わせる。
どうしていつもこうなるのよ…。
その疑問に答えてくれそうな存在は少なくともこの場には居なかった。




