212 「消失」
別視点。
「……何があった?」
俺――エルマンは思わず疑問を口にする。
現在地は、例の壁の前。
クリステラの相手を部下に任せ、急いで取って返したのだが…来る途中に誰ともすれ違わずにここまで来てしまったが、探しているマルスランとその部下が見当たらない。
報告して戻るだけなら間違いなく途中で出くわす筈なのだが…。
…気づかずにすれ違った?
それはないと内心で否定。
連れて来た部下に周囲に痕跡がないか調べるように指示出す。
俺は周囲を確認。 文字通り何もないな。
足跡等を調べていると、部下の一人が何かを見つけたようだ。
土が僅かに捲れ上がっていたらしい。
注意してみなければ分かり辛かったが、恐らく均された跡だ。
俺は空を見上げる。
月は天頂にあり、真上から月光が落ちてきているお陰で視界は悪くない。
周囲に妙な気配はないか確認するが、特に怪しい気配は感じない。
そもそもこれだけ開けた場所だ。 近づいて来る者が居ればすぐに気が付く。
均された土を掬い取って、手で擦ったり臭いを嗅いだりして調べる。
それを数度繰り返し……眉を顰める。
微かだが血の臭いがする。
…何人か…いや、何人か所じゃないな。
均されているにも拘らず、短時間で血の染み込んだ土を見つけられたと言う事はここでかなりの量の血が流れたと言う事だ。 悪い予感が当たった。 マルスランは間違いなく何かやってここの連中を怒らせた。
そして戦闘になったようだが…綺麗に居なくなっている所を見ると全滅の可能性が高い。
マルスランを筆頭に五十人の聖騎士、聖殿騎士が全滅?
それもこんな短時間でほとんど痕跡も残さずに?
背筋に悪寒が這い上がってくる。
これは不味いな。
俺は部下に警戒しつつ即座にその場を離れるように指示を出し、俺も小走りにその場を後にする。
後ろを警戒しつつしばらく走り、安全と思われる所まで離れ、部下に周囲を警戒させて足を止めた。
「ふう」
息を吐いて力を抜く。
落ち着いて情報を整理しよう。
この様子だと、間違いなくマルスランは殺されたか捕まったかしている。
あいつは青いが聖堂騎士に選ばれるだけの実力はある。
そう簡単に死んだとは思いたくないが、壁の向こうにはそれだけヤバい物があるって事か。
…あぁ、畜生。 逃げ出してぇ…。
懐から通信用の魔石を取り出す。
相手は当然スタニスラスだ。
この手の魔石は貴重品な上に高額で余り手に入らないのだが、情報伝達の重要性を痛感している俺は身銭を切って大量に購入している。
スタニスラスや部下に持たせているのもその一部だ。
結構な出費だったが命には代えられない以上、俺はこの手の物品には金は惜しまずに突っ込む事にしている。
――どうした? こんな時間に?
連絡に応じたスタニスラスの声はやや不機嫌そうだ。
察するに仕事を片付けて寝入った所だったのだろう。
悪いが話が先だ。
――問題が起こった。
俺がそう言うと小さく息を呑む気配。
――聞こう。
返ってくる声からは不機嫌さは消え去っていた。
――マルスランが?
――あぁ、死んだか捕まったかは分からんがな。
俺は警戒を緩めつつ見通しのいい場所に陣取る。
一通り話を聞いたスタニスラスの声には困惑が滲んでいた。
――確かか?
――あぁ、連れて行った部下も残らず消えていた。
「どうやったのかは皆目見当もつかんがな」と付け加える。
スタニスラスは低く唸って黙り込む。
――これは不味いな。
――…で? どうする?
――状況が分からん以上は闇雲に動いても仕方ない。
――…ま、正面からオラトリアムに行っても証拠がない以上、惚けられて終わりだろうな。
だが、オラトリアムが怪しいのははっきりした。
――少なくともあそこに何かあるのは確定か。 マルスランが失敗した以上は調べるのは厳しいな。
――無理に踏み込むにしても口実が要るぞ。
権力に物を言わせてもいいが、完全に博打になってしまう。
…まぁ、調べる所までは行けるだろう。
だが、調べた結果、何も出なかった場合はえらい事になる。
その口実を見つける為に俺が忍び込むつもりだったんだが、もう無理だろう。
マルスランが失敗した事を考えると、間違いなく警戒が厳しくなっている筈だ。
…俺が行っても確実に見つかって終わりだろうな。
そうなってしまうと、マルスランに戦闘力で劣る俺は確実に殺されるか捕まるかするだろう。
後に待っているのは尋問か拷問か…。 想像して身を震わせる。
はっきり言おう。 無理だ。
しくじるのが分かり切っているのに忍び込むなんて真似は御免被る。
仮に生き残ったとしても、忍び込んだ事が露見した場合、比喩でも何でもなく俺達の首が飛ぶからだ。
俺達は揃って溜息を吐く。
グノーシスはまず庇ってくれないだろうしな。
あそこは悪い意味で合理的だ。 面倒事になれば一番傷が浅くて済む選択肢を迷いなく選ぶ。
具体的に言うと俺とスタニスラスの責任にして、ケジメを付けるとでも言って刎ねた首を差し出すなんて真似を平気でやるだろう。
まぁ、執着心は消えんだろうからほとぼりが冷めたらまた次を送るんだろうなぁ。
結果を出さなければ処罰。 しくじれば責任を取らされると。
聖堂騎士って聖騎士憧れの地位の筈なんだが、どうなっているんだろうな。
…やってられんぜ。
そもそも俺は生活の為に聖堂騎士なんてやっているんだ。
仕事で死んだら元も子もないだろうが。
溜息を吐く。
――…はぁ…。 一度、本隊に戻ってクリステラと合流する。 適当に時間が経ったらマルスランが戻らないと話して、様子を見るとでも言って取って返す。 後は…何とか壁の向こうを調べられるように隙を伺ってみる。
――…いや、送るのは部下だけにしてお前は戻れ。 マルスランは諦めた方がいい。 装備だけでも回収しておきたい所だったが、無理をしてお前まで失っては話にならん。
スタニスラスの物言いに急げば間に合うと言いかけたが、首を振って思い直す。
こうなってしまった以上、マルスランは死んだと思った方がいい。
――…分かった。 なら部下には手を出させずに監視に留めさせるが構わんな?
――そうしてくれ。
一先ず、オラトリアムとか言う魔境から離れられてほっとしているが、状況が変わった訳じゃない。
下手をすればまた送り込まれるんだろうなぁと思い、泣きたくなる。
――何とか決定的な物を見つけさえしてくれれば大っぴらに兵を動かせる。 何とか頼む。
俺は分かったと返事をして通信を打ち切った。
「……あぁ…聖堂騎士なんてなるんじゃなかった…」
もう本当に辞めたい。
どうやったら辞められるんだろうか?
しばらくの間、俺は真剣に考えて――溜息を吐いて先を急いだ。
大急ぎで隊に戻った俺はクリステラと合流。
いない間は問題があったと部下に誤魔化させておいたので「大丈夫でしたか?」と心配されたぐらいで、特に何か言われるような事はなかった。
このお嬢さん部下の動向に興味ないのかと邪推したくなるぐらいあっさりとしていたが、いいのだろうか?
俺だったらもっと詳細に報告させるんだが…。
…まぁいいさ。 今は物分かりが良いと前向きに解釈するとしよう。
後はどこで部下を戻す話を切り出すかだが…。
完全に事後承諾の形になるが、こればかりはどうにもならん。 部下は監視に残してきた後だしな。
頭の中で周辺の位置関係を思い浮かる。
戻って来るのが遅いと切り出せるのは……まぁ、オラトリアムを出る直前ぐらいか。
出来れば俺が切り出すまで部下が減っている事に気付かれませんようにと祈っておく。
内心で溜息を吐いて、後ろを振り返る。
オラトリアムの景色は穏やかだが、まるで魔物の腹の中に居るような錯覚を覚えるのは気のせいだろうか?
…あー…やだねまったく。
半日もしない内にオラトリアムを抜ける。
見計らって追加を行かせるとするか。
人数は――少数で行かせた方が良いかもしれんな。
しくじったら報告する人間が必要だし、離れた所で待機させて――。
色々と考えていると、胃がキリキリと痛みだす。
溜息を吐いて患部に<治療>をかけながら、頑張ろうと自分に言い聞かせてやる気を捻り出し、嫌な事はさっさと済ますに限るぞと更に強く言い聞かせる。 もはや自己暗示だ。
その後、予定通りにオラトリアムを抜ける直前で、マルスランが遅れているようなので少し様子を見させて来ると言って部下を戻す旨をクリステラに伝えるとお嬢さんは「自分が戻る」と言おうとしてたので強引に任せろと言って押し切った。
足が速い部下を五人程選んで、屋敷へと取って返させる。
人数が少ないのでそう時間をかけずに戻る事が出来るだろうが、どうした物か。
部下には交代であの屋敷を監視するように指示をだして変化があれば報告するようにと強く言い含めておいた。
…主には出入りの確認だな。
あの代行様が外出してくれれば最高なんだが…そう上手く行かんだろう。
可能であればあの坊ちゃんを助けたいと未練たらしく考えるが…。
無理だろうなと感じながら重い溜息を吐いた。
「お待ちしておりました」
私――ファティマはにこやかに主の帰りを迎えます。
場所は屋敷の庭園。 帰って来られたロートフェルト様は連れて来た協力者達と共にこの地に降り立ちました。
「あぁ。 戻った」
「すっごいねここ。 オラトリアムって寂れた場所って聞いてたけど聞いてた話と全然違うじゃない」
「えぇ、一体どうやって短期間でここまで…」
この二人が話に聞いていたダーザインの首魁とその仲間ですか?
熊と似ているのが、ヨノモリ・アズサ。 その隣がアスピザルですか。
ヨノモリは物珍し気に周囲を見回し、アスピザルも同様に庭園の美しさに心を奪われているのでしょう。
私は素早く両者を観察します。
ヨノモリは問題ありませんね。 ロートフェルト様に色目を使っている気配はありません。
ただ、やや警戒しているような素振が見えます。
無礼な。 妙な真似をしたら熊鍋にして差し上げましょう。
後はアスピザルですが…なるほど、分かり辛い気性のようですね。
瞳には好奇心の色が濃い。 それ以外は良く分かりません。 こういう何を考えているか分からない輩はやり難いですね。
ただ、少しロートフェルト様に近すぎはしませんか?
それに気になる点が一つ。 男と聞いていましたが本当にそうでしょうか?
確かに喉仏はしっかり付いているようですし、骨格を見る限り男性なのでしょうが…何でしょう?
女の勘が囁いています。 注意せよと。
少し警戒が必要かもしれませんね。
一先ず観察は終わりにしましょう。 一応とは言え客ですので、相応の対応をする必要があります。
「アスピザル様にヨノモリ様ですね。 ようこそお越しくださいました。 私はオラトリアムの領主代行を務めさせて頂いているファティマと申します。 お見知りおきを」
私が声をかけると二人は少し驚いた顔をしました。
「よ、夜ノ森 梓です。 よろしくお願いします」
「わ、すっごい美人さん。 僕はアスピザルです。 よろしく」
お互い簡単な挨拶を済ませ、普段なら少し休んで頂く事になるのでしょうが――。
「挨拶が済んだのなら早速話に入る。 構わないな?」
そう言われるかと思って準備済みですとも。
私は笑顔で頷いて皆を庭園に案内しました。




