20 「意識」
リリネット――だった者は哄笑を上げる。
彼女…いや「彼」はある特殊な一族の出身だった。
その一族は長命な者が多く、そして人種が統一されていなかった。
エルフ、ゴブリン、ドワーフ等の亜人種。
変わった所では魔獣の類までいるようだ。
特徴としては出生率の異様な低さと、ある特殊な魔法を使える事だろう。
<魂移>。
対象と体を入れ替える魔法。
発動条件は対象と至近距離で目を合わせる事。
離れすぎていると不発に終わり、魔力を根こそぎ持っていかれるので失敗できない本当の奥の手だ。
今回は相手が油断してくれて助かった。
やはり俺はツイている。
以前の仕事で大きな失敗をして隠れ蓑に手に入れたリリネット・アコサーンの体だったが、何かと身動きが取りやすく地位もあったので、中々気に入ってはいた。
両親も娘を信じ切っていたので、何かと都合も良かった。若い体というのも大きな美点だ。
入るなら歳を喰った爺より若い娘だろう。
その後、この街での支部の運営と地盤固めもある程度は完了したはずだった…が、今回の標的、ロートフェルトに構成員を随分と殺されてしまった。
また1から部下の集め直しか。
特にシュドゥーリとスードリの兄弟が殺られたのは痛い損失だった。
2人は戦闘技術だけでなく部下の統率、薬の売買等、多方面に通じており、代わりを見つけるのが難しいのだ。
だが…この体を手に入れた以上。巻き返しは可能。
技術の差を物ともしない特殊能力と身体能力。
恐らくは人間ではないだろうが、人間に見えるなら問題はない。
元々、潜在能力がそう高くなかったリリネットの体だ。
使っていたのも地盤を固めるためであって、鍛えはしたが能力的にかなり劣る。
この新たな体は能力の底が見えない。
体を奪うという事は、記憶や経験まで奪えるという事だ。
体の経験を思い出せば、使い方も使いこなす事さえも容易だろう。
これから長ぁい付き合いになるんだ。
お前の事を教えてくれよぉ。
記憶を確認して体を制御しよう。
その前にリリネットの体に移ったロートフェルトに感想でも聞いてみるかぁ。
あの余裕が消し飛ぶのを見るのが楽しみだぜ。
叩き起こして意識を戻してやろうと…やろう…と?
…!?
体が動かない…?どうなっている?
――なるほど。
…な、何だ!?
頭の中から声が聞こえる。
しかもこの声は…。
――見た目と中身が噛み合ってない訳だ。
…どうやって俺の魂移を防いだ!?
おかしい。俺がこの体に入れている以上、入れ替わっているはずだ。
なら、リリネットの体には誰が…。
――防いだ訳じゃない。お前が勝手に俺の腹の中に入ってきただけだ。
腹の中?
その言葉を理解する間もなく、異常が俺を襲う。
…い、意識が…。
意識がどんどん薄くなっていくのだ。
睡魔にも似たそれは、抗えない速度で俺の存在を希薄にしていく。
それは恐怖だった。
この世界に生きて初めて感じる消滅の恐怖。
――消滅じゃない。消化だ。
思考を読んだかのように声は響く。
――さっき言っただろう? お前は俺の腹の中に居るんだよ。
…腹の中!? さっきから何を言ってやがる!?
――入られたのは油断だったが、いい勉強になったよ。
声はこちらを無視して続ける。
――ありがとう。もう死んでいいぞ。
その声を最後に俺の意識は溶けて消えた。
俺は足元に転がっているリリネットの体を見る。
どうやら奴はリリネットの体を乗っ取って生きていた精神体?のような存在らしい。
その際に、記憶や経験を奪って成長し、実力を伸ばしていたのか。
…完全に俺の同類じゃないか。
あいつは魔法、俺は直接って違いはあるが、やってる事はほとんど同じだったな。
そりゃあ、見た目と中身が噛み合わない訳だ。
今までヤバくなれば体を交換して生きてきた訳だが、今回ばかりは移動した相手が悪かったな。
俺に移ってきた際、どういう訳か入れ替わらず、異物感が現れただけだった。
入ってきた途端に喚きだしたので察知するのは容易で、後は意識を向けて消化するだけで片は付いた。
その際に記憶なども勝手に入ってきたので知りたい情報も入り、目的も達成。
結果としては言う事なしだな。
後は…この女の体だ。
見た感じ息はしているが、中身が抜けている以上、このまま寝たきりだろう。
ホッファーには気の毒だが…いや、本物のリリネットが死んでいるんだ。
こうなった方がましか。
どう説明したものかと悩んでいると、リリネットが浅く息を漏らす。
…おや?
「…う…」
ゆっくりとだが目を開いて起き上がろうとし始めた。
おいおい。抜け殻じゃなかったのかよ。
ああ、分かったぞ。
この死に損ないめ。ギリギリで戻ったんだな。
俺はマカナを拾う。
目を合わせるのが条件である以上、頭を吹っ飛ばされれば流石に死ぬだろ。
「…僕は一体…」
ん? 僕?
何だか様子がおかしいな。
表情も別人のようだ。
…ちょっと確認してみるか。
「おい」
リリネットは俺の方を見ると驚きに目を見開いている。
何だこの反応は? 演技にしては真に迫ってるな。
「き、君は!? これはどういう事だ! 僕はどうなってしまったんだ!?」
素早く立ち上がると俺に掴みかかった。
「君は何なんだ! どうして僕と…あぐっ」
うるさいので額を指で弾いてやった。
まずは確認だ。何だか嫌な予感がする。
「混乱しているところ、悪いがまずは名前を教えてくれないか?」
「……僕の、僕の名前は…」
思い出すように、噛み締めるように、自分の名前を口にする。
「僕はロートフェルト。ロートフェルト・オラトリアムだ」
「…つまり。その者が私の娘から体を奪い、娘として生きていたと?」
話の整理と執務室で固まっているホッファーに配慮して仕切り直す事にし、1階の応接室に場を移す事になった。階段が壊れているので、降りるのに難儀したが何とかなった。
屋敷の人間はホッファーが適当に話を付けて追い払った。
全員がソファーに座り、話をする事になった。
「そうだ。あんたの娘はとっくに死んでいた事になる」
「その後、君の体を奪おうとして失敗。どういう訳か娘の体には昔の君が入っている」
「そうなるな」
「昔の自分というのがよく分からないんだが…」
ホッファーは隣に座る娘だった者を見る。
「俺は少し前に殺された後、蘇生したという経緯があってね…」
とりあえず、2人には死亡時に奇跡的に蘇生し、その際に生まれた人格が自分。
そして、今回入れ替わったのが本来の自分と説明しておいた。
異世界転生とか言っても理解されないだろうし、俺の体質はなるべく伏せておきたい。
現状、知られていないんだ。
伏せておく事の利点は活かしておきたい。
そのお陰で…と言うよりそれがあるから今まで勝てていると言っても過言じゃないしな。
「少し待ってくれ。…という事は僕はこの姿で生きていかないといけないって事なのか?」
リリ…じゃなくてロートフェルトは困惑と言うよりは、もう泣きそうな表情を浮かべ、縋る目で俺を見ている。悪いがこの体を返してやる気はないぞ。
「そうなるな」
俺はバッサリと切り捨てた。
「そんな…このままじゃオラトリアム領は、ライアードへの民の受け入れも…」
何言ってんだこいつ。
そんな事とっくに終わって過去になってるぞ。
「オラトリアム…? 君はオラトリアムの領主なのか?」
お、ホッファーが拾ってくれた。
そういえばオラトリアムって今どうなってるんだ?
興味なかったから情報全然集めてなかったな。
ホッファーは何だか複雑な顔してロートフェルトの方を見てるな。
そりゃそうか、娘が別人になっていたとか言う話の後に、娘の顔した他人と話すなんて奇妙な体験そうできないだろう。
「はい。僕も今の状況がよく分かってないんです。確か最後は家の執務室でお茶を飲んで…その後は…駄目だ。思い出せない」
「それで合ってるよ。茶に毒が入っていたんだ。お前の死因はそれだ」
ロートフェルトは目を見開く。
「毒だって?」
「その後、ゴブリンの領域近くの荒野に捨てられてたぞ。俺と交代したのはその辺からだな」
「ま、待ってくれ。僕の飲み物に毒が入っているという事はやったのは…」
「察しの通り、執事長のズーベルだな。ああ、後ついでに今回の依頼人もそのズーベルだぞ」
「そんな。あのズーベルが何で僕を…」
うわ、まだ信じてるのか。
何だこいつ。どんだけおめでたい頭してるんだ。
「いや、冷静に考えろよ。あの状況作ったのも全部ズーベルだぞ? んで、ライアードへの領地割譲の話含めると見えてくるだろ? ライアードとズーベルがお前を嵌めたんだよ」
ロートフェルトは口を開閉させながら事実を認識して…項垂れた。
俺はホッファーに続きを頼むと促す。
「あ、あぁ、私もそこまで詳しくは聞いていないが、領主は現在療養中で婚約者であるライアードの令嬢が暫定的に管理していると聞いている」
なるほど。
それで適当に時間が経ったら病死した事にしてそのまま引き継ぐんだろうな。
その前に形だけの婚姻を結んで成り替わるってのもありか。
記憶にあるロートフェルトの婚約者を思い出す。
ファティマ・ローゼ・ライアード。
リリネットとは別のベクトルで美しい娘だった。
クールと言えば聞こえはいいが、あの熱量を感じさせない目はどうにかならないものか。
美人だとは思うが俺の好みじゃないな。
ロートフェルトはおめでたい事に口数が少ない事を恥ずかしがり屋さんと好意的に解釈していた。
記憶は同じはずなんだが、たぶん俺と彼は見えてるものが違うんだろう。
「…ファティマ…彼女はどうしてこんな事を…」
ロートフェルトは顔を伏せたまま呟く。
「知らんな。知りたいなら本人に聞いてみたらどうだ?」
「こんな姿で会える訳がないだろう」
それっきり黙ってしまった。
こいつには特に用事はないし、情報はくれてやったんだ。後は勝手にするだろう。
「さて、後はこの件の決着だが。あんたは俺をどうしたい?」
「…」
散々暴れた上に使用人まで殺してるんだ。何もないとは思っていない。
内容によっては甘んじて罰を受けてもいい。
ホッファーは俺の方をじっと見た後、重い溜息を吐いた。
「…どうもせんよ。屋敷は随分と壊してくれたが、お陰で我が家の問題が片付いた。頭が居なくなった以上「狩人」も姿を消すだろう」
「別の頭が来るかもしれんぞ?」
「そうかもしれないが、少なくとも猶予はできた。この時間を使って対策を練るさ。私からはこの件を口外しないと約束するなら君達の事は墓まで持っていく事にする」
どうする?と目で語りかけてくる。
口を閉じるだけでなかった事にしてくれるのか、いい取引だな。
考えるまでもない。
「分かった。ここでの事は一切漏らさない。俺はここへは来なかった。これでいいのかな?」
「ああ、そうしてくれ」
「取引成立だな。なら、俺はそろそろ行くとするよ」
用事も済んだし、ここに留まっても仕方ないしな。
「これからどうするのかね?」
「とりあえずはオラトリアムとライアードだな」
「逃げないのかね?」
「逃げ切る自信がなくてね」
「何もしてやれないが気を付けるといい」
「ありがとう」
俺は部屋を出るために腰を上げようとして…。
「待ってくれ」
黙っていたロートフェルトに止められた。




