207 「穴掘」
続き。
オラトリアムの治安の良さは俺の想像以上だった。
魔物どころか、盗賊の類も一切出ない。
聞けば一時は出ていたらしいが、領の発展と同時に減少。
今ではほぼ皆無と来た。
正確には現れる事はあるらしいが、即座に鎮圧されるので被害が出ないのだ。
理由は領のあちこちに点在する砦のお陰だろう。
賊や魔物が出現すれば近場の砦から戦力が即座に出撃。
これの鎮圧にあたるそうだ。
それだけ聞けば結構な事だと俺も頷いただろうが、妙な点がある。
捕縛された連中がどうなったか全く分からないのだ。
少なくとも話を聞いた限りでは、賊は一人残らず捕まっており、例外なく壁の向こうに連れていかれたそうだ。
出て来た者は皆無。
住民は恐らく農作業か何かに従事させられているんじゃないだろうかと言っていたが、果たしてそうだろうか?
俺にはとてもそうだとは思えない。
…やはりこの領は何かがおかしい。
発展し続け、治安も良い。
傍から見れば良い場所なのだろうが、俺に言わせれば良すぎるのだ。
その点に気持ちの悪い違和感が付いて回る。
考えても仕方がないと言うのは頭では分かっているのだが、どうしても考えてしまうな。
いかんいかんと首を振って目の前の事に意識を戻す。
現在地はオラトリアムの西側、そろそろ目的地が近づいて来た所だ。
移動中、いくつかの村で魔物の話を聞いたが、現れた事は事実。
特徴等もファティマに聞いた話と一致する。
ただ、仕留めた冒険者の話に関しては驚く程、情報が出てこなかった。
精々、男女の二人と言う事だけ。
居合わせた人間の大半が死亡した事もあって成果は芳しくなかった。
可能であれば探し出しておきたかったが、特定は難しそうだ。
出くわす可能性がある以上、少しでも情報を仕入れておきたかったが…。
いない者は仕方がないか。
目的地は小さな森の中にあり、入ってすぐの所に頑丈そうな柵が設けられていた。
…話によると入れる場所があると言う事らしいが…。
柵に沿って進んで行くと、門らしき物とそれを守っている全身鎧を身に着けた兵士が二人見えて来た。
部下が近づくと、話は通っていたらしく、小さく頷いた後に無言で開門。
門は充分な大きさがあったので、この大人数でも問題なく通る事が出来た。
柵を越えた先は明らかに人の手が入っておらず、進むのには中々難儀したが、部下達が文字通り道を切り開いて進む事が出来た。
俺も周囲を見回すが、何かが通ったような形跡は見られない。
…やはり魔物は討伐された一体のみだったのか?
だとしたら例の喋る魔物とは別口の可能性が高い。
そうならこのまま引き上げれば――なんて事を考えていると、懐の魔石から反応があった。
先行させていた部下からだ。 どうやら目的地に着いたらしい。
俺は二人の同僚に声をかける。
「先に行かせた連中からの報告だ。 例の遺跡らしき物を見つけたらしいが――」
「聞いていた通りでしたか?」
「あぁ、地滑りが起こった形跡があった。 恐らく入り口は土の下だな」
「その点は織り込み済みです。 到着次第、順次作業に入ってください」
「了解だ。 指示は出して置く」
俺は部下に作業の準備に入るように指示を出す。
これから楽しい穴掘り作業か…まぁ、魔物と戦り合うよりはましだな。
なんせ疲れるだけで済むから気楽な物だ。
「あ~どっこいしょっと」
俺は気合を入れて円匙で土を掘り起こす。
部下達も各々警戒と作業する者に分かれて地面をほじくり返している。
意外だったのが、クリステラが率先して穴掘りに精を出している事だろう。
マルスランなんて露骨に嫌そうにやっているっていうのにご苦労なこって。
この遠征を率いているクリステラが穴を掘っているのに補佐の俺達が突っ立っている訳もいかずに今の流れと言う訳だ。
空を見ると日が傾き始めている。
…これは作業が片付く頃には夜になるな。
外か中か。
遺跡が出て来た後に中に入るだろうが、魔物と出くわした場合、外に誘い出す事になるかもしれん。
下手にやり切るよりは、日を跨いで作業を分割した方がやりやすいか。
「嬢ちゃん」
「どうされましたか? エルマン聖堂騎士?」
クリステラは涼しい顔で作業を続けていたが、声をかけると手を止めてこちらを向く。
俺はそのまま話を切り出した。
「この調子だと作業が片付くのは夜になるだろう」
「そうなるでしょうね」
「そこで提案なんだが、今日と明日で作業を分けないか?」
「…どういう事です?」
彼女は訝し気に眉を顰めるが、俺は構わずに進める。
「まずは確認なんだが、入口が出て来た後はどうするつもりだ?」
「朝を待って、調査に入ろうかと考えていました」
「…だろうな。 だがその場合、入口が出てきた瞬間に中から何かが出てくるかもしれない」
そこでクリステラの表情に理解が広がる。
察しが良いから仕事をする上で、このお嬢さんは有能だ。
つまりは中に魔物が居た場合、外の変化に反応して飛び出してくるかもとの懸念がある。
「つまり、迂闊に入口を露出させるのは危険と言う事ですね」
「あぁ、適当な所で切り上げて明日、日が昇ってから作業にケリを付ける。 で、そのまま調査だ」
「部下達に疲労が残るのでは?」
「調査と作業で人を分ければいい」
案を出すなら現実的にだ。 どうせ全員で中に入らないのなら支障はない。
クリステラは少し思案顔になり、少し黙り込むと小さく頷いた。
「…話は分かりました。 少し調整が必要ですが、マルスラン聖堂騎士と相談して作業を分担しましょう」
「頼む。 中に入る面子には俺と部下を混ぜておいてくれ、この手の調査なら向いている」
「分かりました。 では、次の休憩の時に話をしておきましょう」
さて、話も纏まったし、俺は穴掘りに戻るとしますか。
その後、日が暮れるまで作業は続き、進捗は七割と言った所でこの日は切り上げる事になった。
夜には聖堂騎士三名による打ち合わせを済ませて終了。
俺は遺跡の近くに張った自分の天幕で休憩していた。
座り込んで武器は手放さずに警戒は解かない。
目を閉じて体をやや弛緩させる。
休息を取りながら頭は明日の事を考えていた。
掘り返した後、内部の探索になるが何が出て来るのやら。
話によれば地底を進む魔物と言う事らしいから、壁の向こうにも警戒は必要か。
頭の中で遺跡での注意事項をまとめ、想定される状況と対処の検討。
装備の点検はもう済んでいる。
後は調査の面子だが、俺と俺の部下はともかくマルスランの坊ちゃんが一緒なのがやや不安だ。
話が中に入る件に差し掛かった所で、食い気味に立候補して来たところにから回っている感じがして更に不安が募る。
…正直、俺と部下だけで入りたい所だったがな。
ああいう場では仕切る奴が少ない方が何かと都合がいい。
せめて、クリステラの嬢ちゃんが代わりに来て欲しい所だが、マルスランを残すには不安がある。
結局、この人選がましって事か。
不安が多いがやるしかない。
ま、精々気張るとしますかね。
翌朝。
作業が再開されて埋まっていた遺跡らしきものが徐々に顔を出し始めた。
俺は探索組なので作業には加わらずに周囲の警戒に当たっていたが、昨日から今まで魔物の襲撃が一度もない。
円滑に進むのでありがたいと言えばありがたいが、ここまで襲撃がないのは少し不気味だな。
基本的に人の手の入っていない場所は魔物の領域だ。
…にも拘らず、ここに来るまで襲撃は皆無。
気配すらしないと来た。 小さく息を吐く。
本当に一々引っかかる。
大丈夫と楽観視出来ればどれだけ楽か。
残念ながら、今までの経験が俺に楽観を許さない。
我ながら疑り深いとは思うが、この慎重さのお陰で今まで命を拾って来たんだ。
俺は俺の勘を信じるさ。
さて、魔物が全く居ない理由だが、通った柵の敷設に当たって掃除された?
それとも例の魔物の縄張りで他は近づかない?
ぱっと思いつくのはその辺だが、どちらも穴が多い。
前者の場合はこの近辺に人の手が入っていない事。
柵を作るだけで周辺の魔物を根絶やしにするのはいくら何でも割に合わない。
あの女がそんな事をするとは考え難い。 少し話しただけでも分かる。 彼女は無駄な出費を嫌う性質だ。
後者の場合は、例の魔物が他にも居てこの周辺を縄張りにしているはず。
魔物は基本的に知能は人間程高くはないがこの手の機微に聡い。
主の居ない空白地帯となっているのなら、縄張りにしようと乗り出すはずだ。
…にも拘らずそれもなし。
ならこの辺りには何かが居るはずなのだが、ここに来るまでの襲撃は無し。
どうなっているのやら。
怪しい点はいくらでもあるのに決定的な物が一切出てこない。
…巧妙に隠されているのか、俺の考えすぎなのか。
まぁ、蓋を開ければはっきりするか。
少なくとも遺跡の方は中を見れば分かるだろう。 楽しい予感は一切しないが。
俺が視線を向けると、そこには姿を現しつつある遺跡の入口が見えた。




