185 「懸念」
「諦めてくれるのなら、逃げて後はそれでおしまいでいいと思うよ。 僕等は知らない顔して陸地の奥へ引っ込めばいいだけの話だからね。 ローの言う通りだと思う」
ただ、と付け加える。
「そうじゃなかった場合はどうなると思う?」
そうじゃなかったら? 脳裏で想像を働かせる。
まぁ、追ってくるだろうな。
本体がどんな化け物かは知らんが、少なくとも雑魚魔物よりは強いだろうし、陸上でもある程度は動けるだろう。
…で、執念深く俺達を探して追ってくると。
するとどうなる?
森をかき分けて――当然ながらティアドラス山脈を通るな。
自分の管理している地に土足で踏み込む連中をファティマが無視するとは考え難い。 十中八九戦闘になるだろう。
…まぁ、ホームだし、山脈に入る前に迎撃はできそうだが…被るであろう被害の事を考えると不味い。
常駐している戦力を総動員すれば負けるとは思えんが、あんな連中が大挙して押し寄せれば流石に無傷とは行かんだろう。
オラトリアムがダメージを受けるのはなるべく避けたい。
何故ならあそこは貴重な俺の金づ――じゃなくて資金源だからだ。
嘆息。
結局、始末した方が後腐れがないか。
「……分かった。 何とか始末する方向で考えよう」
「分かってくれて嬉しいよ。 一緒に頑張ろうね」
にっこりと笑うアスピザルがとてもウザかったが仕留める方向で前向きに考えよう。
取りあえず方針としては、標的は海に居る可能性が高く仕留めるのが難しい。
最低限どうにかして陸地に誘い込む必要がある。
「お前の仕切りなんだ。 始末する方法に当てはあるのか?」
「その本体って言うのを見ない事には何とも言えないなぁ。 少なくとも下で暴れているのよりは手強そうだけど…」
どちらにせよ引っ張り出さないと話にならんと言う訳か。
そもそも海に居るかをはっきりさせる所から手を付ける必要があるな。
さて、海に居る奴をどう誘い出した物か。
ぱっと思いつくのは釣りだが、サイズ考えろよと自分の考えを笑――。
いや、行けるか?と思い直す。
餌をチラつかせれば連中は寄って来るんだ。 やりようはあるだろう。
後は問題の餌だが………。
ちらりと隣の二人を見る。 こいつ等なら手頃だが、流石に承諾しないか。
正直、餌になってくたばってくれれば二重の意味で後腐れがなくなって最高なんだが、欲張るのは止めておこう。
こっちで用意するか。
丁度使えそうな餌枠に心当たりがある。 一方的にだが約束したしな。
試したい事もあったし、何かと都合が良い。
後はそこまで持って行くのに一手間かかるがまぁ、難易度はそこまで高くないし金を積めば穏便に済むだろう。
それに下が片付くまでの時間潰しも必要だしな。
「成功するかは微妙だが、引っ張り出す手段に心当たりがある」
俺が話を切り出すとアスピザルは目を輝かせる。
「ほんと? どんな方法を取るんだい?」
「詳しくは言えんが必要な物を調達する為に金が要る」
「お金? そんなのでいいの?」
「あぁ、金額は今の所何とも言えんが………」
「話が進まないからそれはどうでもいいよ。 梓、有り金全部出して」
おいおい。
随分と気前がいいな。
「ちょっとアス君!?」
「いいから」
夜ノ森はしばらく渋っていたが不承不承と言った感じで鞄からでかい袋をいくつか出して俺に渡す。
「助かる。 後は仕入れに行きたいからトルクルゥーサルブに一度戻って欲しい」
「分かった」
「ちょっと待って! ロー、それはここでは手に入らない物なの?」
「いや? 手に入らない事も無いが、向こうにある物の方が気兼ねなく使い潰せるからできればそちらで買っておきたい」
「潰す?」
夜ノ森が首を傾げているが俺は答えない。
「じゃあ戻るよー」
アスピザルが絨毯を操作して引き返す。
眼下では相変わらず戦闘が継続しているが、興味も失せたので意識はこれからの事に向いていた。
怪しい。
私――夜ノ森 梓の隣に居るローと言う男への不信感は募っていく一方だった。
正直、自分がどうしてこの男に対して不快感を覚えているのが理解できないが嫌な感じが止まらないのだ。
その正体を確かめたくて色々と調べたが未だに掴めない。
本音を言うなら距離を取って余り関わり合いにならないようにしたいぐらいだが、困った事にアス君――アスピザルが懐いている以上、私だけが離れる訳には行かない。
そもそも何故あの子がローに懐いているのかも理解できない。
飽きっぽいあの子の事だから数日も保たずに飽きて、殺すか強引に組織に引き入れるように動くと考えていたからだ。
だが、予想を裏切ってあの子はローから離れずに隙があれば口説こうと狙う始末。
あの子と自分の感性が大きくずれているのは分かっている。
アスピザルは好奇心が旺盛だが馬鹿ではない。
少なくとも考えなしに危険な場所や相手に飛び込むような真似はしないはずだ。
付き合いが長いのでその感性は信用に足るものである事は分かってはいる。
彼の言う通り、迂闊に地雷を踏まなければローが敵に回る可能性は低いのだろう。
それは理解している。
頭では分かっているのに何故だろう…。
警戒を解けない。解こうと言う気が起こらない。
本当に何故だろう?
実力は申し分ない。
アスピザルの援護があったとはいえ私より早くあの魔物を無傷で仕留めた戦闘力は紛れもなく本物だ。
人格面でも問題ない。
少なくともこちらの話に耳を傾けて理性的に話ができる。
やや皮肉を言う所があるが、充分に許容範囲だ。
…けど…。
考えても答えが出なかったので、思考を切り替えた。
ウルスラグナに残した部下からの報告についてだ。
以前に起こった事件からローが関わったと思われる事件を調べさせていた。
渓谷で別行動をとった時に調べるように依頼を出しておき、少し後に結果の報告を受けたのだが…。
部下からの報告は奇妙な物だった。
ローは少なくともこの近辺の公用語である獣人の言葉を滑らかに話していた所を見ると、この世界に落ちて来てから相当な時間を過ごしているはずだ。 実際、私自身もこの世界の人間の言葉を覚えるのに数年かかった。
それに加えて人語までしっかり話せていた所を見るともしかしたら私達より前にこちらに来ている可能性が高い。
何故ならローが落ちて来たのはウルスラグナ――ではないかもしれないが、少なくとも人間の領域のはずだ。
その後、経緯は不明だが森を越えてこちらに辿り着き、獣人の言語を習得するまで滞在している事になる。
移動手段の類はあるのだろうが、私達の絨毯程じゃないはずだろうから、少なくとも森を越えるのは半年から一年……いや、もっとかしら?そう考えるのなら五年から十年前にと考えるべきでしょう。
そう当たりを付けて調べさせたけど結果は空振り。
その期間内にローの影は見つからなかった。
彼の口振りから考えると少なくとも小規模ながらもダーザインとぶつかっているはず。
痕跡が見つからないのはあり得ない。
部下にもう少し遡って調べるように言おうとしたが、その後の報告が本命だったらしく妙に歯切れの悪い口調で切り出した。
関与があると思わしき事件は見つかったらしい。
それも二件。
詳細を聞いて耳を疑った。
一件目はウルスラグナにあるノルディア領、オールディアと言う街で起こった事件だ。
アイガーと言う男が独断で上級悪魔の召喚儀式を行ったとされる事件。
詳細は不明。 生存者がいなかった為、詳しい事が全く分からなかったらしい。
調査に何人か向かわせたが空振り、収穫がなかった所かグノーシスと鉢合わせる所だったらしく、拠点に使っていた地下の万魔殿も調べる事が出来なかったようだ。
それだけではローの関与は疑わしいが、本命は二件目の王都ウルスラグナで起こった事件。
元々、テュケから奪われた移植用の悪魔の一部の奪還の依頼を請けていたのだが、奪った相手が逆にこちらの拠点に襲撃をかけて来たらしい。
当時、現場の責任者はジェルチ。
幹部に任命されて日が浅いので私とは面識こそある物の性格等はまだちゃんと把握していなかったが、少なくとも能力的には問題のない娘と聞いていた。
だが、結果は失敗。
報告を聞く限り、相手と状況が悪いとしか言いようがなかった。
片方は金級冒険者ヴェルテクス。
性格や素行に問題はあるが、冒険者の頂点まで上り詰めた実力者だ。
ローと思わしき存在が確認できたのはその襲撃の際、ヴェルテクスと共に襲撃をかけて来た存在がそうだと言う。
何らかの魔法道具で正体を隠していたが、生き残ったジェルチの報告では間違いないとの事。
その後の報告にも耳を疑うような内容がいくつか含まれてはいたが、今はどうでもいい。
少なくともヴェルテクスと接触していたのは確認されており、特徴も一致する以上はあの男は間違いなく事件の前後に王都に居た事になる。
――有り得ない。
王都の事件は私達が出発した後に起こった。
時期的には森に入る前だろうがそんな事は問題じゃない。
あの男は私達より後に森に入ったにもかかわらず、私達より先に森を抜けた事になる。
加えて、短期間で獣人の言語も身に着けている事も私の驚きに拍車をかけた。
ちらりと隣のローを一瞥。
一瞬、直接尋ねるかとも考えたが、聞いた所でまともに答えるとは思えない。
――彼って本当に人間ベースなのかな?
不意にアスピザルの言葉が脳裏を過ぎった。
最初は本気にしなかったが、何らかの方法で擬態している?
そう考えるのなら腑に落ちる点も多い。
鳥の類なら高速で飛翔する事も可能だろうし…。
なら、そこまで急いでこっちに来た理由は? もしかして私達を狙って?
流石にそれはないでしょう。 なら、日枝さんを?
いくつもの仮説が浮かんでは消えて行くが、納得のいく解答は出そうにない。
私はしばらく答えの出ない疑問に頭を悩ませていた。




