172 「邂逅」
このトルクルゥーサルブの住人はどうやって稼いでいるか?
まずは、最も大多数を占める傭兵。
これは人間の国で言う冒険者とほぼ同じ役割を担っている。
金銭と引き換えに護衛、魔物の討伐、用心棒、面白い所では店番や子守。
違いは冒険者等とは違ってランク分けされておらず、知名度のみで成り上がらなければならない。
要するに上手い事仕事をこなす奴は次も頼むと呼ばれて食いっぱぐれる心配が減り、失敗する奴はお呼びじゃないと仕事を干される訳だ。
ギルド……こっちでは斡旋所と呼ばれる建物の壁に張ってある紙には「傭兵に必要なのは信用と実績」と書いてあるらしい。
次いで多いのが商人。
武具や生活用品、奴隷などの売買に始まり、飲食店の経営など多岐に渡る。
尚、犯罪で生計を立てている者は除外。職業じゃないしな。
最後に公務員。
こっちは絶対数が少なく倍率の高い職業で、雇い主が国の職種で国営の施設に勤めているのはこの連中だ。
最近生まれた職種の為、知名度はまだ低いが安定した給金、定期的に与えられる休日、年二回の賞与。
まぁ、名前のままだな。
この辺の制度も新しい王が打ち立てたらしいので、もう疑いようがない。
…そのネーミングはどうにかならなかったのか?
これでは転生者が居ますと言っているような物だろ。
いや、逆にそれが目的か?
一応、記憶にあったのでどんな姿かは知ってはいるが…何と言うか、ここだと不自然じゃないのはツいているな。
他の転生者共はどうやって生きていたんだろう。
言葉の壁もあるし生き辛いとは思うんだが…。
…俺には関係のない話か。
あの後、虎獣人に酒場で飯と酒をご馳走になった俺は当り障りのない話をして別れ、今は宿へ向かってぶらぶらと歩いている所だ。
宿代の相場は大体頭に入っており、手持ちの金額を計算して……しばらくは保つな。
とは言ってもこっちの金の持ち合わせはそこまで多くはない。
どっかで稼ぐか、親切な人に恵んで貰うかしないと不味いな。
値段が手頃そうな宿に入り、金を払って部屋へ入る。
ベッドと小さなテーブルしかない簡素な部屋だが、どうせ横になるだけの部屋だし気にならんな。
ごろりとベッドに身を横たえて天井を眺めながら考える。
大会は四日後に予選が始まり、六日後に本戦だ。
観戦する予定なので、最低でも六日以上の滞在になる。
その間、ここを見て回るつもりではあるが、四日は少し長いな。
二日あれば大抵の名所は見れそうだ。
さて、ここで新しく分かった事を加えたこの国の周辺について整理しよう。
まず、この国にして獣人の大都市であるトルクルゥーサルブ。
そして、その北部には何と海があるらしい。
その近辺には漁業を生業としている獣人の国があるようだ。
基本的にここらは獣人の小国同士が固まっているようで、都市の代表が各々王を名乗っているらしい。
次いで西はまばらに小山が連なり、その向こうには南と同様の丘陵地帯が広がっている。
そこでは家畜化した魔物を大量に使役している遊牧民みたいな連中が移動しながら生活しており、そこから仕入れる肉は良質で大変美味だとか。
最後に東だが、こちらもまばらに連なった山を越えると巨大な渓谷が走っている。
何でも底が見えない程の深い渓谷らしく、こちらに関しては引き抜いた記憶からはそれ以上の情報は出てこなかった。
個人的には東の渓谷とやらが気になるな。
どうした物か。
サベージの足なら簡単に往復できる距離のようだが、離れすぎると予選に間に合うかが微妙だ。
他も同様で、空いた時間で軽く見て来ると言った事は難しいだろう。
…素直に四日過ごすべきだな。
サベージはどうしているかと確認すると、少し離れた所で隠れながら適当に魔物を襲って喰っているそうだ。
念の為、獣人に見つかるなと釘を刺しておいた。
取りあえずはこれでいいだろう。
窓から外を見ると、もう日が暮れて完全に夜だ。
…続きは明日だな。
俺は無言で目を閉じた。
翌日。
俺はぶらぶらと街を散策していた。
正直な話、この国は娯楽の類はそこまで発達しておらず、遊ぶと言えば娼館で女を買うか、賭場で博打打つかぐらいだ。
とは言っても賭場や闘技場で充分にガス抜きできているようなので、娯楽としての役目は果たせていると言える。
俺はどちらにも興味がないのでここはスルー。
そうなるとこの国では見る所が随分と限られてくる。
露店や商店を冷やかしてみるが、武器防具はどれも微妙で、買うほどの価値はなかった。
どうも獣人は力で押すタイプの戦い方が主流なので、武器も切れ味等よりも頑丈さ等が重視される傾向にあるようだ。
刃が厚すぎてほぼ鈍器の剣や、スパイク付きの盾、長物はほとんどハンマー等、鈍器の類だ。
…この辺りは国の特色が出るな。
ウルスラグナでは切れ味等もそうだが装飾などの見た目も割と重視される。
反面こちらは見た目などは一切考慮されない無骨な武器が立ち並んでいた。
獣人は身体能力が高いので武器への負担もかなりの物らしく「武器は消耗品」と考える者も多い。
いざとなれば爪も牙もある獣人らしい考え方だ。
反面、食事に関してはかなり充実している。
柔らかいパンに始まり、肉、野菜、様々な食材を使った料理は種類が豊富で、味付けも濃い……と言うよりは日本人向けに近い。
どうも海が近いお陰で塩等の調味料も比較的豊富なのがそれを後押ししているようだ。
こうしてみると本当に恵まれた土地だな。
肥沃と言う言葉がこれほど似合う場所もないだろう。
…でも何だろうな…何か気になる。
街に入る前に俯瞰で見た風景に違和感が――。
「あ、あの!」
考えながら歩いていると不意に声をかけられた。
何だと振り返ると視界が何かで塞がる。
…んん?
少し下がると正体が分かった
熊だ。しかも混ざりっ気なしの。
それにでかいな。どう見ても4mはあるぞ。
その図体にサイズが合うの良く見つかったなと言いたくなる服に、背には巨大なリュック。
見るからに旅行者と言った風情だ。
『何か用かな?』
「あのー。人間の方じゃないでしょうか?」
…人語?
熊の口から出たのは人間の言語だった。
「私の言っている事、分かりますか?」
声からして女…いや牝でいいのか?
熊は困ったような口調でそう言う。
俺は首を傾げつつ言語を切り替える。
「あぁ、分かるよ。これで構わないかな?」
そう言うと熊は露骨にほっとしたような態度を見せる。
「た、助かったぁ…あのですね。お願いがありまして。実は私、こっちに来たばかりでして。言葉が分からなくて困ってたんですよう」
言葉が分からない?
妙だな。この熊、この辺りの出身じゃないのか?
「事情は分かったが、具体的に俺にどうして欲しいんだ?」
「えっと、言葉の所為で宿も食事処にも入れなくて……できれば通訳をお願いしたいんです」
詰め寄るな。近い近い。離れろ。
俺はやんわりと押し返して距離を取る。
通訳か。正直面倒だな。
この熊と行動を共にするのにも抵抗が――。
「お礼ならします!こ、これでどうでしょうか?」
懐から取り出したのは黒板の束。
それを見て流石に驚いた。
おいおい。こいつどんだけ持ってるんだ。
取りあえず、仕舞えと言って考える。
熊が提示した金額はかなりの物だ。
これだけあれば、少なくともここらで滞在中に金に困る事はないだろう。
…どうせ四日は動けない以上は受けるのもありか。
「分かった。通訳の仕事、引き受けよう。ただ、俺は王選の大会が終わるまでしかここに居ないがそれでも構わないか?」
熊は何度も大きく頷いている。
了解って事で良さそうだ。
「分かった。少しの間よろしく頼む。俺はロー。あんたは?」
「私は夜ノ森 梓といいます」
………何?
聞いた瞬間、俺は少し硬直してしまった。
名前の響きに覚えがありすぎるんだが…。
「あ、変な名前って思ってますね!これでも故郷では割と普通の名前なんですよ!」
「そ、そうだな。余り…何だ?聞かない響きの名前だな」
ヤバい。
その時点であらゆる疑問が氷解した。
言葉が分からない?こっちに来て日が浅いなら分かる訳がない。
この熊、転生者かよ。
どこにでも居るな畜生。
いや、向こうに気付かれていない以上、すっ呆けてやり過ごすとしよう。
「えーと?ヨノモリさん?でいいのかな?まずはどこへ?」
夜ノ森は俺をじっと見た後、頬に手を当てて「んー」と考える素振を見せる。
「そうですね。では、まず宿を取ろうかと思います。その後で食事処を」
「分かった。場所は知っている。案内しよう」
俺は夜ノ森と並んで宿へ向かう事にした。
この夜ノ森と言う女は良く喋る。
場所は変わって宿に併設されている酒場だ。
俺は正直、この熊の話なんて聞きたくもないと思ってはいたが、内容を聞いてこれは聞いておかないと不味そうと判断し、黙って先を促した。
「…つまり、連れが居ると?」
「ええ。そうなんですよ。目を放すとすぐ居なくなって、困った子で……」
どうやら元々、連れと二人でこっちまで来ており、数日前に森を抜けてここまで来たのはいいが言葉が分からずに難儀していたらしい。
それだけでこいつの怪しさは俺の警戒心を急上昇させる。
…森を抜けて来ただと?
しかも連れが居るって?
十中八九そいつも転生者だろう。
全く、行く先々に現れやがって。鬱陶しい。
無所属なら問題ないんだが「使徒」だった場合は正体が割れるとかなり不味い。
ダーザインかグノーシスの紐付きだからだ。
またぞろウザったい勧誘をされても迷惑だしな。
夜ノ森の話は続くが、突っ込みどころが多い。
…言葉分からないならその金どうしたんだよ?
俺みたいに親切な人に貰ったのか。
「その金はどうやって?」
「一緒の子が、いつの間にか手持ちの貴金属を売り払ってお金に代えて来たのよ」
…で、その連れとやらが調達して来た金を預かって街へ来て立ち往生していた所で俺を見つけたと。
耳を見て俺が普通の人間と判断して一縷の望みをかけたようだ。
「…その連れは街へ着いたと同時に姿を消したと?」
「ええ」
「その連れは言葉が分かるのか?」
そう聞くと夜ノ森は困ったように頬を掻く。
「説明が難しいんだけど、あの子は何となくだけど人の考えている事が分かるみたいなのよ」
…それで意思疎通したと?
何だそりゃ。
お前の連れは文字通りの読心術でも使えるのか?
「えーっと、あんたの仲間もく――同じ種族なのか?」
「いいえ。あなたと同じ人間よ」
…はい?
帰って来たのは予想外の答えだった。




