1415 「全知」
総て視える。 総て理解る。
聖剣セフィラ・エヘイエーはこの世界の事なら大抵の事は教えてくれる。
過去、現在、そして死者の記憶。 この世界で死んだ者は世界に還り、内包された全ては記憶として刻まれる。
だから、クリステラの両親の事を調べるのは非常に簡単だった。
イーダという女性は確かに彼女の母親で、父親も商人で間違いない。
望まぬ形で妊娠し、クリステラを産み落とした彼女は娘に対して何を思っていたのか?
答えはとても単純で現実は驚くほどに無情だ。
イーダは望まない妊娠とそれに関与した全てに対して強い憎悪を抱いていた。
商人に美しい娘がいると耳打ちしたのは村長で金貨と引き換えに娘を売り飛ばしたのは両親だ。
角が立たないように取り繕いこそしたが当の本人以外は全てが通じており、苦渋の選択はただの茶番。
イーダ本人もその事実に早い段階で気が付いていた。 それ故に憎んだのだ。
商人を憎み、両親を憎み、故郷の村を憎み――そして腹に宿った憎悪の結晶もまたその対象だった。
母親になれば愛情の一つも芽生えるかもしれないと当人も少し思っていたようだったが、生まれた娘に対してイーダは欠片ほどの愛情も抱けなかったようだ。
直談判といった体で向かった両親は娘を救いに行ったのでなく味を占めて追加の金をせびりにいったようで、それが商人の気に障ってあっさりと消されてしまった。
その商人も妊娠して腹が大きくなったイーダに萎えた上、子供の扱いが面倒になって彼女をあっさりと捨てた。 当然ながら行き場をなくしたイーダは村に帰るしかなかったのだ。
帰って来た彼女を待っていたのは両親の死という現実と村での腫れ物扱い。
村長はここまでの事になるとは思っていなかったので罪悪感もあってイーダの面倒を見ようと生活を支えた。 当のイーダの心はすっかり荒み、村長は無気力と濁したが実際は憎悪をブツブツと壁に向かって呟くだけの何かへと変わり果てていたのだ。
彼女に狼藉を働いた村人が居たという話は大部分が本当だったが、真っ先に手を出したのは村長だった。 不憫な娘だったと他人事のように同情していたが「俺の子を孕めば今後は安泰だ」と宣いながらイーダを襲っていたのでどの口が言っているのだという話だ。
自身の無力と憎悪に打ちのめされた彼女は村から少し離れた森で全てを呪い、自らの生に終止符を打った。
その後、クリステラを引き取りたいとグノーシスが現れたが、こちらも村長の手引きだ。
当時のグノーシス教団は積極的に孤児を引き取っていたので、イーダが消えた事の罪悪感をごまかす為に少々の金銭と引き換えにクリステラを売り飛ばした。
――それがこの世界に刻まれた純然たる事実。
真実は人の数だけ存在するが、セフィラ・エヘイエーは事実のみを残酷に告げる。
聖女ハイデヴューネは空を見上げた。 クリステラの軌跡を辿る旅は終わり、皆はいつもの日常へと回帰する。 彼女は全てを知っていた。
この世界で起こった戦いを。
そしてロートフェルトという人間に起こった全て、そして異界から現れ、異界へと去って行った「彼」について。
事実は彼女に大きな衝撃を齎した。 だからと言って彼女がローと呼ばれる存在に抱いた家族の情は揺るぎはしなかったが、大きな苦悩を与える。
最後の戦い。 あの時の決断をだ。
彼は自らの死を願い、彼女はそれを拒んだ。
ローはここで死んでおかなければ自分がどのような存在になり、どのような道を歩むのかを悟っていた。 だからこそ彼は心の底から彼女に願った――いや、懇願したと言い換えてもいい。
――どうか自分の空虚な生を終わらせて欲しいと。
結局、それを汲み取る事が出来ずに彼を見送る事となったが。
その時、その瞬間、生者であったローの心境は事実から導き出された想像でしかない。
だが、彼は彼女に大きな期待をしていた事だけは確かだった。
ハイディという人間はローの正体――混沌に関しては驚きこそすれ問題なく受け入れたが、彼の願いを踏み躙った事だけは酷く後悔していたのだ。
だから彼女は全てを知った事をなかった事にした。 そうでもしないと彼女は自らの心の均衡を保てなかったからだ。
こうしてハイディという存在は自らの心を守る為、聖剣で得た知識を使ってもう一つの人格を生み出した。 正確には記憶を封印する事で「総てを知る自分」と「何も知らない自分」を分けたのだ。
本質的な部分では何も変わらない同一人物だが、圧倒的な知識と情報は人格に大きな歪みを齎し、その価値観を大きく狂わせた。 少なくとも大を生かす為に小を容易に切り捨てられる程度には変化している。
知ってしまうとそれが将来的にどれだけの害を齎すのかも容易に想像できてしまうので、排除は当然として速やかにそれを実行できる手段を無意識の選択してしまう。
そんな自分を彼女は自嘲気味に笑った。 聖剣の力で見た彼の歩んだ軌跡そのものだったからだ。
合理の怪物。 邪魔なものを速やかにかつ正確に滅ぼし、有益であるなら取り込む。
ものの見え方が変わってしまった今、彼女にとってその考えは部分的に正しいと思えてしまう。
だが、彼を否定してしまった以上、聖女ハイデヴューネはそれでもと足掻くのだ。
記憶を封じている以上、ハイディは何も知らない。
だが、彼女は自分が何かを知らない事を薄々だが察し始めていた。
そう遠くない未来。 彼女は聖剣によって得た事実を直視する日が来るだろう。
果たしてその時、彼女は自分がどのような結論を出すのか分からなかった。
今の自分に出せない前向きな解が見たい。 だから彼女は自分自身の可能性に期待し続ける。
――この世界の脅威を合理的に排除しながら。
――あれ?
ハイディはふと自分が何故空を見上げているのかが分からずに少しだけ戸惑う。
一瞬前まで自分が何か考えていたのかを思い出せなかったからだ。
思い出そうとしたが何も出てこない。 ただ、そこまで悪い考えではなかったはずだ。
何故なら尾を引く感情は少しだけ前向きなものだったから。
振り返るとクリステラとその手を引くモンセラートの姿が見えた。
ハイディは仲の良い二人の姿に少しだけ口元を緩め、小走りに駆け寄る。
この日常も少しずつ変化し、元の姿は失われるかもしれない。
だけども未来はきっと明るい。 彼女は根拠なくそう信じていた。
だから今日も愛すべき日常を彼女は謳歌するのだ。
誤字報告いつもありがとうございます。
今回で終了となります。 お付き合いいただきありがとうございました!
次回以降の更新は「ICpw」の予定となっております。
詳しくは活動報告を見て頂ければと思います。
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