1411 「聖女」
とにかく情報が足りない。
まずは何が起こっているのかを正確に把握する必要がある。
はっきりしている事はこの施設が襲撃を受けている事。
ボフミラからすれば仮に発見されたとしてもそう簡単に侵入を許すような警備体制は敷いていないつもりだったのだが、入ってこられた以上は割り切るしかない。
「ボフミラ!」
彼女の名前を読んで部屋に男が飛び込んできた。
やや痩せており、彼女と同様に白衣を身に着けたその人物は表情に焦りを張り付けている。
アーモス・デニ・エルヴィーン。 ボフミラと共に新たなエメスを立ち上げた仲間であると同時に共同研究者だ。 普段は目に隈を作り、やや陰気な印象を受ける彼だったが流石に侵入者とあってはそうもいっていられなかったようだった。 表情には大きな焦りと不安が浮かんでいる。
反面、ボフミラはそうでもなかった。 確かに襲撃は想定外だが、将来的に襲撃される事自体は予見していたので対策自体はしっかりと練っていたのだ。
「大丈夫だとは思うけど貴重な研究成果は避難させておきましょう。 まずは保管庫へ」
「あ、あぁ、違う。 そうじゃないんだ。 こ、これを見てくれ」
アーモスが取り出したのは転移魔石だ。
色と形状でどこと繋がっているのかは分かるようになっているので、ボフミラはそれがこの大陸の反対側に存在するクーピッドという国にある施設に繋がっている物だと分かった。
もう逃げようとしていたのかこいつはと少し呆れた気持ちにはなったが、それがどうしたと言いかけて口を噤む。 アーモスはとにかく危険から逃げる事に関しての判断が早い。
そんな彼が転移魔石を用意したのに逃げないのはどういう事だ?
――まさか。
嫌な予感に襲われたボフミラはアーモスから転移魔石を引っ手繰るように奪うと起動させる。
普段なら対となっている魔石と位置を入れ替え、ボフミラと範囲内にいるアーモスはクーピッドへと移動しているはずだった。
――が、起動はしているのに転移は発生しなかった。
「どういう事?」
転移技術――正確には置換ではあるのだが、既に確立された物であり失敗はそう簡単にしないと自負していた。 それに失敗ではなく不発。 つまり何らかの手段で妨害されているのだ。
現状、転移だけを狙って無効にする技術は彼女の知る限り、存在しない。
どこかが開発した可能性も充分にあるがそんな研究機関を見逃しているとは考えにくい。
つまりは何らかの盲点を突く事によって転移を無効化しているのだ。
そう結論付けたボフミラはアーモスに落ち着くようにと肩を叩き。 思考を回す。
転移の無効は技術として非常に有用だ。 今でこそ魔石作成の際に求められる素材で普及率はかなり低いが、将来的には一般にも降りてくるだろう。
それに備え、転移を無効、もしくは妨害する術は知っておいて損はない。
「どちらにせよ敵が何者でどんな手段を持っているのかを調べましょう」
通信魔石を起動し警備に連絡すると返答は即座だ。
敵は現在、地上の者達を全滅させた後、地下一階部分に降り、迎撃に向かった者達を片端から殺して回っているとの事。
驚くべき事に現在、確認できる敵の人数は一名。 つまりたった一人でこの拠点に仕掛けているのだ。
「正体は? 装備を見れば何か分かるはず――え?」
装備、攻撃手段、なんでもいい。 そこから正体に繋がる何かを得られれば対策を練る一助になる。
だが、部下から入ってきた報告は彼女の予想を遥かに超える内容だった。
部下は敵の正体をしっかりと認識していたのだ。
――て、敵は一名。 アイオーン教団の聖女ハイデヴューネです!
「聖女ハイデヴューネ? 噓でしょ? なんでこんなところに……」
聖女ハイデヴューネ。 アイオーン教団の象徴にして最強の聖剣使い。
戦闘能力だけならクリステラやハーキュリーズに劣るかもしれないが、ボフミラは聖女こそが最強だと信じて疑っていなかった。 何故なら彼女は三本の聖剣を所有している聖剣に愛された存在だからだ。
特にエロヒム・ツァバオトとアドナイ・ツァバオトは因果に干渉する非常に強力な代物で、あの二本が揃っている以上、実力差はあまり意味がない。 事実、グノーシス教団との戦争では技量では明らかに格上のハーキュリーズですら歯が立たなかったとの話だ。
持ち主に超常の力を齎す最強の武具。
それこそが聖剣であり、手にした者は世界の行く末を左右する。
だからこそボフミラは研究目的だけでなく、聖剣が欲しかった。 いつかは聖剣を奪う為に対峙する存在ではあるが早すぎる。 今はまだその時ではない。
「な、なな、なんで聖女がこんな所に!? 王都にいるって話じゃなかったのか!?」
「私が知る訳ないでしょ!?」
泣き言を垂れ流すアーモスを無視してボフミラは考える。
この状況を作ったのは間違いなく聖女だ。 部下に確認するが伏兵の類はない。
本当に一人で来ているようだ。 だがいったいどうやって?
聖剣は強力な武具ではあるが、転移を妨害するような機能は搭載されていない。
一体何故と疑問を感じる前にふと違和感を感じた。 それはこの状況自体にだ。
転移ができないのに何故、部下と通信ができている? 通信も転移も本質的には同系統の魔法だ。
片方が使えてもう片方が使えないのは不自然。 そこにこの状況を打開する鍵がある。
共通点と通信が扱えなくなる条件を考え――ボフミラはある可能性に行き当たって部屋を飛び出す。
「ぼ、ボフミラ!?」
アーモスが声を上げているが無視。 向かう先は警備の詰め所だ。
飛び込んで機器を操作。 台座に魔石が乗っているだけの代物だが、これは対になっている魔石から映像を受け取る魔法道具だ。 魔力を通して外の映像を映す。
そして映し出された光景に思わず固まる。
「何よこれ……」
思わず呟く。 そこには凍り付いた地上の姿が映し出されていた。
この施設を中心に木が岩が、死体が、設備が、全てが漂白されたかのように白く凍り付いている。
同時に転移が使えない理由に察しがついた。 これは結界魔法だ。
特定範囲を括り、外界から隔離する魔法。
本来なら数十、数百人規模で行う大魔法で簡単に扱えるものではない。
だが、これなら転移ができない理由に納得がいった。
通信もそうだが転移は空間的に連続していないと使用ができない。
つまり発現点と目的地が同じ空間になければ成立しないのだ。
その為、転移魔法はこのような隔離された空間では発動しない。
逆に同じ空間であるなら使用は可能なので通信魔石が使用できたという訳だ。
誤字報告いつもありがとうございます。
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