1410 「寒氷」
拠点は外からでは分からないが規模は大きく、現在は三千人近くの人員が潜んでいた。
これだけの人間が出入りしている事に一切気付かれていない点からも彼等は非常に上手くやったといえる。
転移魔石の普及は大陸間の移動を容易にしはしたが、こういった組織に流れれば悪用されるのは皮肉な話だった。
地上部分は大きな砦とその周囲には侵入者に対する備えである見張り台と呼ばれる小さな施設――傍から見れば小さな小屋に見えるものが東西南北全てに配置されており、何処から接近しても即座に感知できるようになっている。 エメスは所在が露呈すればその時点で終わるので隠れる事に関しては細心の注意を払っていた。 見つかれば終わるという事を彼等は誰よりも理解していたのだ。
この一点に関してだけは彼等は全身全霊を傾けていると言っていい。
常に百人体制で見張りを行っている彼等はありとあらゆる侵入者の存在を見逃さないだろう。
――生きていればの話だが。
その夜はいつもとまったく変わらず、何の気配も予兆もなかった。
彼等はいつも通り各種警報装置の確認をして勤務時間を消化し終えるまでその場で責務を果たすだろう。
異常なしと定期的な連絡を行い、そろそろ交代の時間かと引継ぎの準備を行おうとしている時にそれは起こった。 その場に居た十数名が即死したのだ。
何の前触れもなく、地面や壁から生えて来た水銀の刃に貫かれて。
異常なしの連絡を行って僅か二秒後の出来事だった。
彼等は自分に何が起こったのかすら理解できずに生涯を終える。 最期に考えていた事はこの先に取る仮眠の事だった。
当然ながらエメスは不測の事態に備えに対しての抜かりはない。
東西南北の監視拠点はほぼ同時に連絡を入れるようになっており、どんな些細な事でも報告を義務付けられている。 つまりこの監視網を突破したいのなら全ての拠点を同時に黙らせる必要があるのだ。
四方に固まった拠点とそれぞれに存在する十数名の人員と周辺にいる歩哨。
実力者に襲われたとしても誰かが生き残り異変を報告する事が可能――と思われていた。
彼女はその全てをまるでいない者かのように無視して真っすぐに施設を目指す。
それを咎める者はいない。 何故ならその全てが屍を晒しているからだ。
施設が見えて来た。 彼女は足を止め、踵で地面を二回ほどタップするように叩く。
一度目で魔法陣が、二度目で凄まじい魔力の奔流が彼女を中心に広がる。
魔力で編まれた光が意志を持っているかのように形状を変えていく。
四角く長いそれは符と呼ばれる物によく似ていた。
光は四方に散らばり、施設とその周辺を取り囲むように配置される。
無数の光の符に囲まれた光景は傍から見れば非常に目立つはずなのだが、外部からは全く見えないように細工が施されており、最初からそうなっていると知っていなければ何もわからないほどだった。
そして彼女は小さく、そして致命的なそれを呟いた。
――十絶・寒氷陣。
ボフミラ・エマ・ヤロスラヴァ。 三十歳。 研究に全てを捧げて来た女だ。
栗色の髪と魔法道具として様々な機能を備えている眼鏡、常に身に着けている白衣が特徴で、エメスの新しい指導者として組織を大きくしてきた者だ。
元々はテュケからエメスへと移籍したという経歴の持ち主だったのだが、実は本国であるクロノカイロスの土は踏んだ事がない。 それには理由があり、エメスの旧指導者であったファウスティナと言う女は周囲を一切信用しなかったので、テュケのトップであったアメリアの監視役として彼女を抜擢したのだ。
そんな事実を知らず彼女は自分はエメスの一員で、組織が壊滅した以上は生き残りである自分がやらなければならないと奇妙な使命感に燃えていた。
その熱意は結果にも表れており、世界を裏から操るといった目的に一歩、また一歩と近づいている。
組織運営というよりは人を乗せるのが上手かった彼女は次から次へと同志を増やし、組織を大きくしていった。 革命といった話には一切嘘はなく、最終的には大規模な反乱を起こして主権を奪うつもりでいたのだ。 それを以って革命の成就とする。
だからなのかもしれないが彼女の言葉には聞く者に謎の説得力を植え付け、同志として次々と迎え入れた。 付け加えるなら転びそうな者を見極める眼が優れていたという事も要因としては大きかったのかもしれない。
そんな彼女が行っているのは聖剣と魔剣の能力再現研究だ。
維管形成層から限定的にではあるが力を引き出す手法は確立した。
オリジナルと比べものにならないほどの低品質ではあるが指先には触れている。
ならば次は能力付加。 特にアイオーン教団の聖女が持つとされる聖剣エロヒム・ツァバオト、アドナイ・ツァバオトのどちらかの能力だけでも再現できれば革命の成就に大きく前進する。
因果を操る聖剣は過程を強引に捻じ曲げ、結果を齎す。 つまり可能性が僅かでもあるなら費やすべき時間を大幅に省略できるのだ。
――これは意地でも完成させる。
ボフミラは燃えていた。 出口は見えているのだ。
後はそこに至るまで歩みを続けるだけ。 その為にできる事は全て行う。
偉大な先人が残した成果は私自身が完成させるのだ。 そして永遠に――
不意にズンと地面が縦に揺れる。 ボフミラは眉を顰めた。
ここは施設の最下層。 地下六階で魔法的な防御はかなり入念に施してある。
仮に地震が起こったとしてもここまで揺れる事はまずない。
ならこの揺れはなんだ?
彼女は目的に対して盲目ではあったが研究者としてはそれなり以上に優秀だった。
その彼女の知識がこれは外からではなく、内側からの干渉だと即座に看破。
通信魔石を取り出し警備担当の部下に連絡を取る。
「私です。 今の揺れは?」
『侵入者です! 正面ゲートを破壊して入ってきました! 現在、応戦中ですが止められません!』
応答は即座だ。 そして返答は予想を遥かに超える内容だった。
流石に救世主とまではいかないが聖堂騎士と戦える程度の実力者は集めて来たのにそれが押されている?
どういう事だと思いながら何処の勢力が攻めて来たのかと脳裏で想像を巡らせた。
一番怪しいのはアイオーン教団だが、内通者からの情報では目立った動きはない。
聖剣使いの居場所も大雑把ではあるが把握している。
ハーキュリーズは王都、クリステラはゲリーベ。 唯一聖女だけは所在が掴めなかったが、彼女に関しては今の段階では近づけないのでどうしようもない。
ただ、教団の象徴として常に衆目に晒す必要があるので王都からはそう動かないはずだ。
――ならばいったい誰が……。
誤字報告いつもありがとうございます。
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