1388 「増悩」
エルマンはぱらぱらと予定の書いた紙束をめくる。
「エルマン。 今のウルスラグナとアイオーンにはお前の代わりになれる奴はいない。 少しは他よりも自身を労わったらどうだ?」
ハーキュリーズは意を決して口を開く。 正直、かなり言い難い話だった。
元々、エルマンの考えでは新体制が軌道に乗った段階で自身の仕事量を徐々に減らしていく方針だったようだが、予想外に増加した汚職の所為でそうもいかなくなったのだ。
前の宰相であるルチャーノがまだいたのならこうはなっていなかっただろうが、彼は行方不明で居場所は定かではない。 オラトリアムと共にどこかへ消えたという説が濃厚だった。
つまり何処を探しても見つからない可能性が高い。
実際、難しい問題だった。 現在はタウミエル戦後の立て直しでどこの国も忙しく、他所に力を割く余裕はないだろうがこの平和が続けば妙な欲を出す者は増えるだろう。
加えてアイオーンは組織の規模としては旧グノーシス教団に大きく劣っており、国家間の調停などを行うにはまだ力が足りない上、グノーシスの残党が復権を狙って活動している。 法王、教皇と取り仕切っていたトップが軒並み消えた以上、我こそが新たな教団の体現者と名乗りを上げる者もあちこちで現れているらしい。
こうして考えるとグノーシス教団は世界の均衡を保つという点では機能していたと理解させられる。
保身を念頭に置いた行動ではあったが、この世界の秩序を保つ事には有用だったのだ。
現在、徐々にアイオーンが取って代わるべく活動している最中だった。 幸いにも聖騎士を職業と捉えている者は多く、鞍替えに積極的な者が続々と参加しているので将来的にはグノーシスの代替として機能する事は可能だろう。
「そうしたいところではあるが、今の状況で俺が抜ける訳にはいかねぇよ。 最低限、俺なしでもウルスラグナが機能するようにしないと」
エルマンの想定では今頃はアイオーン教団の各大陸での勢力確保とウルスラグナの諸問題はとっくに解決しているはずだったのだ。 タウミエル戦の後始末――具体的には大量に発生した死体の処理と付随して発生した疫病などの問題への対処。 あれがなければもっと楽に事は進んだはずだ。
死体の処理にかなり強引な手段を使って各国を従えた事で心証が大きく低下、元々グノーシスの影響下にあった国々はオラトリアムに力で従わされていたので彼らが消えた事で言う事を聞かなくなった。
だからと言って放置はできない。 足並みを揃えさせる為に何をしたのか?
余裕がなかった事もあってエルマンは聖剣使いの力を背景に力で従わせたのだ。
少なくとも当時の判断としては他に選択肢がなかったので後悔はないが、想定外であった事は間違いない。 そしてエルマンにとっての最大の誤算はルチャーノの不在だ。
どうして彼が姿を消してオラトリアムと共に行ったのか――エルマンはその時点である程度察していたのだが、ルチャーノの事を親友と思っていたエルマンの脳はその現実を受け入れる事を拒んだ。
その為、事実だけを受け入れて処理する事にした。 ルチャーノは戻らない。
つまり代わりになる人間が必要だ。 適任者は誰だ?
――俺しかいない。
ルチャーノ自身もそれを理解していたからこそ、エルマンを後任にと推したのだ。
引継ぎを行い、ルチャーノの仕事ぶりを見れば見るほど彼の有能さが良く分かる。
当時の段階でもウルスラグナでは汚職は蔓延していた。 だが、ルチャーノはどうやってかその悉くを即座に処理している。 問題を起こした者は秘密裏に消されるか、弱みを握られたのかある日を境に非常に従順になっており、まるで洗脳でも施したかのようだ。
こうしてルチャーノは自身の派閥の結束を強め、盤石の地位を築いていた。
何ならその活動基盤も置いていってくれとエルマンは思っていたが、ルチャーノの腹心達は彼と共に全員姿を消していたのでそれも不可能だ。
エルマンに残されたのは宰相の地位と彼の許容量を遥かに超えた責任だった。
本来なら国の舵取りをルチャーノに任せ、エルマンはアイオーン教団の別大陸での勢力拡大に力を入れるはずだったのだが、そうもいかなくなり教団は聖女とハーキュリーズに任せる形となっていたのだ。
ハーキュリーズは戦闘能力に関しては非常に優れているが、あくまでも彼の本領は騎士。
内政面ではそこまで能力は高くない。 維持できるだけでも上出来ではあるが、エルマンが求めている能力には届いていなかった。 が、彼以外に適任者がいない事もまた事実だ。
聖女とクリステラは放置しておくと何をしでかすか分かったものではなかったので信用できない。
かといってグノーシスから引き入れた新参も信用できない。 特に枢機卿の席を狙っていたような輩は下手をすれば騎士や民を扇動してグノーシスの復活を目論みかねなかった。
それは杞憂ではなく事実として実行しようとした者は両手の指では足りないほどに居たのでハーキュリーズやカサイ達を送り込んで皆殺しにした。 もう少し余裕があれば飼いならす手段を模索できたかもしれないが、今のアイオーンと世界にはとにかく余裕がない。
――あぁ、畜生。 どいつもこいつも自分の事ばかり。
国王があの体たらくなので我こそが新たな王家にと企む馬鹿な領主。
混乱により低下した治安により、自身の領を上手く管理できない場所では我こそは新たな領主とほざく馬鹿を担ぎ上げて武力蜂起する馬鹿な民衆が定期的に国内のあちこちで湧く。
タウミエル戦の舞台となったリブリアム大陸では未だに疫病とその影響かは不明だが、変異した魔物が大量発生しておりアイオーンの勢力拡大が遅々として進まない。
比較的、傷の浅いポジドミット大陸では不穏な動きをしている者達が蠢いている。
聖騎士が大量に戦死した事により中々治安が安定しない。
ハーキュリーズ達の努力によって王都を中心に国の中央部や大きな拠点がある街やその周辺は安定しつつあるが、そこから外れると職にあぶれたならず者や楽して他者から略奪して稼ごうとする何の生産性もない者達がひたすらに足を引っ張りに来る。
エルマンはこの世界のあまりの酷さに震えていた。
どいつもこいつも何故、他人に迷惑をかけないという最低限の事すらできないのか?
いや、もう他人に迷惑はかけていいから俺に迷惑をかけるなと声を大にして言いたい。
もう、胃は痛まない。
何故ならもう彼の一部となってしまっているので不快感はあっても痛みと認識できなくなっているからだ。
誤字報告いつもありがとうございます。
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