1382 「母夢」
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――いい? ここで待っていなさい。 用事が済んだら迎えに行くからね?
そう言って母――と思われる女性は姿を消した。
去っていくその背は彼女が記憶している唯一にして最後の母の姿。 朧げな記憶の残滓。
もう、思い出す事もないと思っていた。 埋め立てられた過去。
窓から差し込む日差しが頬に触れ、彼女――アイオーン教団聖堂騎士クリステラ・アルベルティーヌ・マルグリットはすっと目を開けるとむくりと身を起こすと後頭部に張り付いている枕の裏にある聖剣を引きはがす。 彼女の持つ聖剣――エロヒム・ギボールは持ち主から引きはがせないので就寝時は枕の下に入れる事で邪魔にならないようにしていた。
お陰で枕自体が後頭部から離れないといった弊害はあるが、もうすっかり慣れたので些細な問題だ。
随分と懐かしい夢を見たなと思いながら、軽く体を捻って解し、外へ出て軽く走った後、木剣での素振りを済ませて朝食。
自宅を後にして出勤だ。 タウミエルという世界を滅ぼす存在との戦いが終わり、その戦後処理も一段落し、周囲が少し落ち着いた事もあってクリステラもこうして穏やかな日々を送っている。
余裕が出来れば余計な事を考えてしまうのは平和になった証拠だろう。
歩きながら脳裏に浮かぶのは今朝に見た夢の事だ。 これまでは他の事に集中していた事もあってどうでもいいとすら思っていた。
クリステラという名前をくれた人。
彼女が親に抱く感想はそれだけだった。 共有した時間も記憶になく、育てられた覚えもない。
ここで待っていなさいと置き去りにした存在。 結局、彼女は何故、クリステラを捨てたのだろうか?
養いきれなくなった? それとも本当に戻るつもりで何らかの問題に遭遇し、迎えに来れなくなった?
今の今まで気にもならなかった事なのにこうして思い返すと気になって仕方がない。
彼女は元々、教団保有の施設――要は宿舎のような場所で生活していたのだが、流石に聖剣使いがそんな生活をするのは不味いとエルマンから屋敷を買えと言われて追い出されたと行った経緯があった。
幸いにも彼女には大量の貯金があったのでその辺の安い家を買おうとしたら何故かエルマンに怒られたので、彼が選んだ屋敷をそのまま購入し、そこに居を移したのだ。
通う手間がかかるのが少し煩わしいと思っていたが、生活に関しては割と快適だった。
王都ウルスラグナの中心近くにある三階建ての屋敷。
使用人は警備の聖殿騎士と合わせてなんと三十人。
彼らがクリステラの身の回りの世話をしてくれる。 当人は一人でも問題ないと思っているようだが、家事も碌にできない彼女に家の管理などという高等な真似は不可能と考えたエルマンが全てを決めてしまったのだ。 事実、使用人を雇わなければ立派な屋敷は一年と持たずに荒廃する事となるだろう。
そんな事は露知らず、エルマンから雇用を増やして民の生活を助けてやれと言われれば彼女に断る理由はなかった。 それに彼女はエルマンの事を心から信頼しているので、提案があれば素直に従えば問題ないだろうとも思っていたので猶更だ。
少し歩いて教団の自治区へと入る。
風景は特に変わらないが、露骨に往来する聖騎士は増えるので雰囲気は分かり易い。
ふと前から見知った顔が歩いてくるのが見えた。
エイデンとリリーゼだ。
普段は聖女の護衛をやっているのだが、今日は私服である所を見ると休暇中といった所だろう。
笑顔で仲睦まじく、手まで繋いでいる。 しかも指を絡める方の。
「あ、クリステラ殿。 おはようございます!」
クリステラに気付いたエイデンが手を振って二人が駆け寄ってくる。
おはようございますと返しながら視線は絡まった手に行く。
それに気が付いた二人は僅かに頬を染めてぱっと手を放す。
「あ、あー、これからお仕事ですか?」
取り繕うように尋ねてくるが、クリステラは特に気にせずに小さく頷く。
「はい――と言っても王都周辺の巡回任務なので特に問題がなければその辺りを回って終わりですね」
クリステラがそちらは?と聞き返すと二人は少し照れたように笑う。
「家は買ったんですが、小物類がまだまだ不足していまして休日を利用して買い集めようと思っています。 姉さんが折角だからこだわりたいって言ってるんで一日、買い物に使うつもりです」
「何よ! 長く使うんだからじっくり選んでもいいじゃない」
「いや、そこまで金に困ってないし、小物類は必要に応じてでいいんじゃない?」
「嫌よ。 折角、夢の一軒家を買えたんだから好きに弄るって決めてるの!」
「はは、しょうがないなぁ」
クリステラはあまり空気が読める方ではないが、この二人が醸し出す独特の空気感はあまり邪魔しない方が良いと思っていたので「では、私はこれで」と小さく会釈してその場を後にした。
相変わらず仲がいいですねと思いながら歩みを再開する。 モンセラートやマルゴジャーテ曰く「あの二人はデキている」との事。 実の姉弟という話だったが、領主家などは継承の正当性を確保する為だとかなんとか言って近親婚を行う所も少ないがなくはないのでそういう事もあるだろうと考えていた。
自治区をしばらく歩き、堀に囲まれたアイオーン教団の本部である城塞聖堂へ向かう。
跳ね橋を通り建物の中へ。 真っすぐに廊下を歩き中庭を通る。
こうして歩いていると王都での騒動で侵入した事が遥か昔の事に思えた。
あの時は確か――
「あ、クリステラさん。 どもっす」
「おはようございます。 カサイ聖堂騎士」
あの時、戦った異邦人――カサイだ。 後ろにはキタマが居る。
キタマはどもと言って小さく会釈。 クリステラも小さく返す。
彼らが朝からここに居るのは珍しいのでクリステラは小さく首を傾げる。
「あぁ、今日からしばらく空けるんで挨拶ですよ」
「――あぁ、そう言えば遠征するのでしたか?」
「まぁ、遠征っつっても数日ですけどね。 転移で大陸間の移動が簡単になったから船使わなくて良くなったのはありがたい話です」
「今回はどちらまで?」
「リブリアム大陸の方まで。 北部は獣人が多いってんで大丈夫だとは思うんですけど、それの確認込みで行こうかなって思ってます」
彼等は同郷の異邦人――転生者の保護活動に力を入れている。
この世界に迷い込み、右も左も分からない者達の助けになればいいと思っての行動だそうだ。
誤字報告いつもありがとうございます。
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