1370 「毒雨」
ラファエル=サルファマスタードの目を通してベレンガリアの脳裏に双極の塔の様子は伝わっている。
大気汚染は深刻なレベルに達しており、既に数百キロの範囲が生物の生存できる環境ではなかった。
ドラゴンが相手と聞いていたので簡単に死なないだろうと思ったのだが、思った以上に脆かったようだ。
――変えるか。
勝つだけならこのまま放っておけば問題はないのだが、データ取りの目的が果たせないので変える必要がある。 このオラトリアムは成果を出さないとあまり評価されないので、データという形で提出しておきたい。
今回の場合はアポカリプスシリーズの戦闘能力や特殊能力の詳細――要は具体的に何ができるのかを明確にしておく事だ。 それをやっておくと次回以降に声がかかる可能性が上がる。
オラトリアムの戦力は大きく膨らみ、以前のように一丸となって戦うような機会がなくなった。
要は強くなりすぎたのだ。 そうなるとどうなるのか?
戦闘は作業と化し、目的も情報収集や検証に重きを置かれる。 その為、投入される戦力もデータ取りや新たに開発された兵器などが優先されてしまうのだ。 ベレンガリアのアポカリプスシリーズの投入申請が通ったのもこれが理由で、使えれば次回以降にも声がかかり使えなければそれっきり。
何とも世知辛い。
現在、ベレンガリアはホルトゥナ書房というオラトリアムでの書籍の作成、販売、流通を担っている会社を経営していた。 最初は自著の出版からスタートして今ではこの規模まで大きくしてきたのだ。
目を閉じて思い出す。 初めて出した本の事だ。
タイトルは魔導書使用における注意点などを記した手引書だ。 内容を理解すれば悪魔や天使召喚に対する理解が必ず広がると著者であるベレンガリアが自信を持って出した一冊だったのだが、識字率の低さを計算に入れていなかったので立ち上げ当初は驚くほどに売れずに倉庫に大量の在庫を抱える事になった。
大量に売れ残った在庫の山。 回収できなかった初期費用による赤字。
自信があっただけにかなりショックだったので彼女は一人寝室で泣いた。
このまま終わるのかと思われたがオラトリアム教団が教本として買い取りたいと助け船を出してくれたこともあって首の皮一枚で繋がったが、それ以降ベレンガリアはサブリナに逆らえなくなった。
その後も教団がこんな本が欲しいと定期的に注文を出されるようになったので彼女の会社は生き残る事が出来た。 ただ、出版一本で食っていけるかと聞かれると――実は本人だけは食っていけるのだが会社を維持するのが難しいので他の事業にも手を出しているのだ。
魔導書研究もその一環で製造だけでは需要が落ちた魔導書は売れないので強化、改良などを行って品質の向上を図っていた。 オラトリアム自体の発展もあってできる事が増えているのでこうして食い込めていたのだが、戦力開発を行うにしてもライバルが非常に多いのでこうしてアピールできる時にやっておきたいと考えている。
昔であったなら圧倒的な力で弱者を踏み躙る事にやや抵抗を覚えていた彼女だったが、環境は良くも悪くも人格に影響を及ぼす。 ラファエル=サルファマスタードによって死んだ方がマシな苦しみを味わっている双極の塔の住民達の悲鳴や断末魔を環境音として受け流し、彼女は無慈悲に次の天使を投入する。
「ラファエル系は試したから次はガブリエル系を試してみるか」
そう呟き、手元に積み重なっているスクロールの一つを起動。
これは世界回廊の近くに存在する召喚陣と連動しているのでどれだけ離れた位置に居ようとも手軽に起動できる上、離れているので術者の安全も確保できる優れものだ。
魔法陣の起動によってイドから彼女が生み出した天使が実体を以って出現。
現れたのは六枚の青黒い羽を持ち、人型ではあるが謎の粘液に塗れ頭部は鰻のように長く先端に大きな口と等間隔に並んだ眼球。 凡そ天使という存在とはかけ離れたグロテスクな見た目だが、分類上は立派な天使だった。
ガブリエル=マリグナントチューマー。
水気を操るガブリエルを変異した別の存在として確立させた天使の一体。
能力はラファエル=サルファマスタードと同様に広域殲滅に特化している。
最近、オラトリアムで需要が高まっているのは単体戦闘能力ではなく殲滅能力だ。
理由は単純で個人の武勇では絶対的な存在が既に存在するので作った所でパッとしないとしか言われないので殲滅力を高めた方が評価されやすい。
ガブリエル=マリグナントチューマーは悲鳴とも咆哮ともつかない奇声を上げると自らの下位互換となる眷属を召喚する。
ドミニオン=ポリポーシス。
触手の塊に羽が生えている異形の何かにしか見えないが、一応は立派な天使だ。
召喚者であるベレンガリアの意に従ってガブリエル=マリグナントチューマーは小さく奇声を上げると眷属を引き連れて双極の塔へと向かっていった。
新戦力の投入とデモンストレーションの為、既に展開していたラファエル=サルファマスタードとその眷属は撤退。 入れ替わりに双極の塔へと侵入したのだが――
「うわ、これは酷いな」
思わずベレンガリアは呟いた。
ガブリエル=マリグナントチューマーが能力を行使。
周囲にある汚染されて奇妙な色になった雨雲が更に変化し、まるでヘドロのようだった。
そして雨が変化する。 影響は即座だ。
雨水を浴びた双極の塔の住民の全身がぼこぼこと泡立つように何かに浸食され、醜く変貌していく。 ガブリエル=マリグナントチューマーの能力は水を猛毒へと変化させ、それに触れたものは全身が泡立ち、それにより体内に猛毒が発生して死に至る。
これの厄介な点は宿主の肉体を変異させて毒素を生み出すので、どれだけ耐性があろうともその悉くを無効化する事ができる点だ。 何せ当人の肉体を触媒に精製しているので、生物であるならほぼ確実に命を奪う事ができる非常に殺傷力が高い能力だった。
――が。
ベレンガリアはうーんと首を捻る。
「発症まで十秒から十五秒。 死亡までプラス二十秒から三十秒か」
要は一分前後で死亡するわけなのだが、彼女が抱いた感想は「遅い」だ。
「生き物であるなら効果があるのは強みだけど、時間がかかりすぎるな」
ベレンガリアはこれは没かなと呟きながら次のスクロールを取り出した。
双極の塔が壊滅するのはこれから何度かの入れ替わりがあった後となる。
誤字報告いつもありがとうございます。
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