1369 「遍在」
特にサルファマスタードのような環境に影響を与えるタイプの能力は試すのが難しいので滅多に許可が下りない。 そんな事もあっていい機会だと投入したのだが効果は想定以上だった。
大気の流れが活発な環境だった事も大きな要因だろう。
「あー……これは駄目っぽいな」
確かに殺傷能力は極めて高い。 千人、万人単位を虐殺するには最適な兵器といえる。
ただ、除染作業など後始末が面倒なので、今回のように何もないような場所でもなければ使いづらい。
ラファエル=サルファマスタード。 とある手段を用いて上位天使を再構成した個体だ。
エグリゴリシリーズとの最大の違いはこれらは本当の意味での天使である事。
元来、天使や悪魔の召喚、使役は世界の外――コスモロギア=ゼネラリスの者達がいう総体宇宙に存在する概念的な存在と経路を繋ぐ事でこちら側に呼び出す、または力を引き出す事を基本としている。
後者に関しては権能と呼ばれる特殊な能力が最も代表的な例だろう。
数多の世界を見てきたが、形や名称に差異こそあれ、類似した天使や悪魔の存在は多数確認できた。
つまり、総体宇宙に存在する概念的な存在は独自のものではなく、全ての世界に遍在するのだ。
そして遍在するが故に不滅。
昔に敵対したグリゴリの天使という例外は存在したが、基本的にそういった概念的な存在を彼女は情報存在と呼称していた。 さて、情報存在である天使や悪魔は強力であればある程に「設定」が強固だ。 膨大な時間、膨大な人数にそうあれと認識されているので細かな差異はあっても大枠は変わらない。
ラファエルという天使であれば「風」を司る。
それ故にその天使の力を借りられるのであれば強力な風とそれに類する力を操れるという訳だ。
オラトリアムもそれはよく理解しており、積極的に戦力として採用していた。
だが、ある日の事だ。 ベレンガリアがふと恐ろしい事を思いついてしまった。
それにより召喚関係の技術に大きなブレイクスルーが発生したのだ。
発案者はベレンガリアだったが、実用化まで持って行ったのはファティマや教団だった。
正確にはベレンガリアの提唱した理論をファティマが教団を使って実証したのだ。
彼女は過去に起こったある事件から総体宇宙に情報存在を生み出す事は可能という事実を知った事で、ある実験を行った。
それはオラトリアムの内面――オラトリアムに存在する潜在的な意識領域を利用する事。
「無意識の海」と呼称されたその領域はこれまでにオラトリアムの神となった存在が吸収した記憶や情報が堆積した空間だ。 そう、空間なのだ。
この世界の頂点は意識の領域ですら空間として存在する。 その事実にベレンガリアは恐ろしいと感じたが、同時に研究者として自身が提唱した理論は正しいと認識してしまった。
イドは様々な情報が集まった領域、つまりは規模こそ違うが総体宇宙と同じ成り立ちなのだ。
理屈の上ではそこで情報存在を生み出す事が可能となる。
そしてファティマは自身に対してそれを実行した。 結果、ファティマはこのオラトリアムの内部では神にも近い力を振るう超越者へと変貌。 後に続いた教皇やサブリナも同格ではあるが、今のオラトリアムでファティマに勝てる存在は神を除いて存在しない。
過去にオラトリアムを壊滅の危機に追い込んだ世界ノ影ですら今の彼女の敵ではないだろう。
さて、具体的にファティマは情報存在を利用して何をしたのか?
それは非常に単純な事だった。 情報存在としての自分を生み出したのだ。
オラトリアムの神に仕える眷属神としての自身を。
それによりイドに存在する情報存在としての自身から無尽蔵の力を引き出す事が可能となる。
神としての在り方も定義すればその範囲内で力も振るい放題。 当然ながらただの人間ではそんな膨大な力の行使に耐えられるわけがないが、オラトリアムの技術によってもはや人の形をしているだけの生き物に耐久性を問うのは馬鹿々々しいとさえいえる。
いうには易いが実行するのは非常に難しい。 そもそも情報存在は人々の思念によって生み出される。
つまりその域に至った三名は自己の思念――ベレンガリアは神に対しての信仰心と定義している――によって神格としての自己を生み出す事は困難を通り越して狂気の沙汰だ。
だが、一度成功さえしてしまえば、もはやそれは別次元の存在へと昇華される。
流石にベレンガリアには真似できず――したいとも思っていないので、別の方向での利用を思いついた。 元々、広く伝わっているものを情報存在として生み出すのは難しいが、不可能ではない。
特に上位の天使や悪魔は広く伝わっているからこそ上位の存在として確立しているのだ。
それを利用すれば似た存在を下地として生み出す事は可能だった。
後は加工してしまえば天使や悪魔の強みを生かしつつ狙った能力を保有した情報存在を生み出す事が可能だ。 彼女の研究の成果として生み出されたのがラファエル=サルファマスタードなどの人造天使――彼女は黙示録シリーズと呼称した天使や悪魔達だ。
これの強みは一度生み出してしまえばイドに情報として登録されるので適切な召喚式を組めば自由自在に呼び出せる事にある。
特に魔力資源に関しては無尽蔵と言っていいオラトリアムとは非常に相性が良い。
欠点としては能力の細かな制御が難しいので局地戦などに投入する分には問題ないが、連携が求められるような戦闘では扱いが難しい点だろう。 実際、ラファエル=サルファマスタードの能力は敵味方の区別が付けられないので耐性のない味方に被害が出てしまう。
召喚者としてラファエル=サルファマスタードを操っているベレンガリアはその眼を通して双極の塔で何が起こっているのか正確に把握していたが、もはや見慣れた光景だったので何も感じずに結果だけを淡々と記録していた。 最初は言いようのない不快感を味わってはいたが、良くも悪くも人は順応する生き物だ。
今の彼女にとってこの虐殺行為はアポカリプスシリーズの性能実験の場でしかない。
「それにしても思ったよりも脆いな。 撃破ぐらいはしてくれると思ったのにこのままだとサルファマスタードしか試せないじゃないか」
だから、口をついて出てくる言葉は昔の彼女からは想像もつかないほどに事務的なものだった。
サルファマスタードの他にも数種類、アポカリプスシリーズを用意していたのだが入れ替えないと駄目だなと小さく溜息を吐く。 その目には苦しみの果てに死んでいく者達の姿は数字としてしか映っていなかった。
誤字報告いつもありがとうございます。
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