1366 「虫捕」
「た、助けてくれ――いや、助けて下さい。 お願いします」
ヨチークは地動の塔の代表、コスモロギア=ゼネラリスの権力者。
様々な肩書を持ってはいたがこの場では何の役にも立たないと強く理解していた。
普段の他者を見下したような態度は鳴りを潜め、そこに居るのはただただ死に怯える小さな命。
彼の胸に抱えられた地動の巫女も目の前の二人に対して強い恐怖を抱いているのか震えている。
女は少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。 まるで捕えた小動物をどのように嬲ろうか?
そんな事を考えている様だった。 少なくともヨチークにはそう見える。
「……姉上。 いえ、ヴァレンティーナ様、戯れはここまでにしておくべきかと」
「別にいいじゃないかゼンドル君。 どうせここの駆除作業が終わるまでに少しかかるんだし、現地の生き物と交流を持って時間潰してもいいと思うよ?」
「地動の巫女は確保対象ですが、そちらの喋る虫は駆除対象なのでは?」
駆除対象と言われヨチークは本能的に逃げ出そうとしたが、彼の冷静な部分が告げていた。
逃げたらその時点で死ぬと。 だから彼は動けない。
まるで判決が決まる前の囚人のような心持ちで目の前で行われている会話の行方を見守っていた。
「まぁ、そうなんだけどねー。 どうでもいいけどゼンドル君」
「は、何でしょうか?」
「昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれないのかい?」
ヴァレンティーナのからかうような言葉にゼンドルは全く表情を動かさない。
「もうその手は通じませんよ。 自分も成長したのです。 いつまでも子供のままではありません」
「はは、君も大きく――あぁ、体は最初から大きかったね。 なんだか姉兼母親としては少し寂しいものだよ」
ヴァレンティーナは少し遠い目をする。
今は彼女の副官として良い働きをするゼンドルだったが、昔はお姉ちゃんお姉ちゃんと纏わりついてきて可愛い子だった。 しかし成長していくにつれてその頻度も減って今に至る。
生真面目な軍人気質。 それが今のゼンドルに対する周囲と彼女の印象だった。
これを成長として喜ぶべきなのか姉離れと寂しくなるべきなのか……。
ヴァレンティーナは姉としてどう思うべきなのかと少しだけ悩んだが、そろそろ目の前で震えている生き物の処遇を決めようかと考えた。 正直、暇だったのでからかって遊んでいただけだったであって、ヨチークには特に興味はなかったのだ。
ヨチークは消え入りそうな様子で視線には「命だけは助けて」と懇願の色が見える。
殺すだけなら簡単だが、ヨチークはこの世界における突然変異とも呼べる希少な個体だ。
「――折角だし、拾ってみるかな?」
「姉上。 またファティマ様に叱責を受けるのでは?」
「そう? 別に虫を一匹捕まえて飼いましたってだけの話じゃないか。 まぁ、ラボで裏切れない体にはなって貰うから問題はないんじゃないかな。 ――さて、ヨチーク君、君には二つの選択肢がある」
ヴァレンティーナは指を一本立てる。
「そこの巫女を引き渡してここで死ぬ事。 素直に渡して抵抗しないなら楽に終わらせる事を約束しよう。 そしてもう一つ」
もう一本の指を立てる。
「こちらの配下になる事だ。 ただ、信用できないから裏切れないように体を弄らせて貰う。 それを呑めるなら助けてあげてもいいよ?」
「か、体を弄る?」
「あぁ、そんなに難しい事じゃないよ。 裏切ったりしたら死ぬし、私達が死ねといったら死ぬ体になるだけさ」
つまりは生殺与奪の権利を差し出せという事だろう。
ヨチークは迷った。 この恐怖から逃れる為に即座に飛びつくべきだと思ったが、この条件は厳しすぎる。 間違いなく奴隷として酷使される毎日が待っているだろうが命だけは残る。
――死ぬよりはマシか。
ヨチークはそう思い込む事で選択に対する抵抗感を抑え込む。
最後に視線を巫女に落とすと巫女は小さく頷いた。 それがとどめだ。
要はどう頑張っても抵抗すればここで死ぬので死にたくないのなら投降するしかない。
「わ、分かりました。 そちらに従います。 どうか命だけはお助けを……」
あっさりと承諾するヨチーク。 その様子を見たゼンドルが小さく溜息を吐いた。
ヴァレンティーナは時折、こうして気に入った生き物を拾っては実家で飼っている。
ちなみに世話をするのは主にゼンドルなので溜息の一つも吐きたくなるというものだった。
「さて、巫女も手に入ったしゼンドル君、回収と報告よろしく」
「……ご自分でなされたらどうですか?」
「いやぁ、ほら私ってここの責任者じゃない? ここから動けないんだよね? あー、自分で報告したいんだけどなぁ、残念だなぁ……」
「代わりの護衛を要請しますのでそこでおとなしくしていて下さい」
「了解、了解。 よろしくね~」
ゼンドルは再度、はぁと溜息を吐くとヨチークに付いて来いと声をかけた。
ヨチークは相手の気が変わらない内にとそそくさとゼンドルに近寄る。
「これから転移する。 向こうではこちらの指示には絶対に従え。 怒らせたらその瞬間に殺される相手が山ほどいるから命が惜しかったらおとなしくするんだな」
はひはひと情けなく頷くヨチークにゼンドルはそれでいいと呟くと転移。
その場にはヴァレンティーナだけとなった。 ヴァレンティーナは何の気なしに視線を遠くへと向ける。 戦闘の音が反響し、大地が断続的に震えていく。
――勿体ない。
これからこの世界は滅び、目の前に広がる景色は永遠に見る事は出来なくなる。
そう考えると少しだけ勿体ないと思ってしまう。
正確には残るものはあるにはあるのだ。 オラトリアムの神は文字通り全てを喰らい全てを取り込む。
これまでに滅んだ世界はオラトリアムの一部となる。
大抵の者はそれは栄誉な事だと疑いもしない。
特に彼女の姉はその傾向が強く、全ての世界はオラトリアムが大きくなる為の糧だと言ってはばからない。
オラトリアムの躍進に酔う者は非常に多いが、危機感を抱く者もまた多かった。
進めば進むほどに世界としての規模は大きく膨らみ、戦力の拡充は進み、敵が居なくなっていく。
最初の頃は滅ぼすに当たって苦戦する事もあったが、今となってはただの殲滅作業だ。
このコスモロギア=ゼネラリスも今では圧倒できるほどの戦力差が存在するが、昔であったのならそうでもなかったが今となっては相手にすらならない。
「一体、どこへ向かっていくんだろうね……」
ヴァレンティーナは小さく空を見上げるとそう呟いた。
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